アルタイルアカデミーの初日

朝の淡い陽光が、城塞都市アルタイルの学園寮に差し込む。サイはベッドの縁に腰掛け、寝ぼけたまま天井を見つめていた。昨夜の出来事が強く脳裏に残り、まったく眠れなかった。見知らぬ少女――エリサが、全裸でふいに現れたあの瞬間。彼女の瞳には強い悲しみが宿っており、それだけを思い出しても心がざわついて眠りは遠かった。


朝食の食堂。サイはパンを口に運ぶが、味を感じることができない。


「やあ、サイ。おはよう!」

金髪でボサボサのレッコが、快活に声をかける。


「…おはよう、レッコ。」

サイは小さく返事をするだけだった。


レッコは即座に身を乗り出して笑った。

「昨日の歓迎スピーチ、どうだった?幽霊でも見たのかって顔してたぞ!」

彼は冗談めかすが、その目は真剣だった。


サイは軽く笑いながらも、心の中ではこう呟いていた。「幽霊じゃない。あれはエリサだった」


「まあ…そんなところかな」

彼は本当のことを言わず、曖昧に返した。


突然、サイの胸に懐かしさが込み上げる。「サンとマナ…今どうしているだろう?」

幼なじみの名前が脳裏をかすめ、彼はそれでも表情を変えずに言葉を続けた。


「レッコ、どう思う?この学院って、普通の人間ばかりかな?」

サイはどこか遠くを見つめながら言った。


レッコは冗談っぽく応じたが、真剣な響きを含んでいた。

「いると思うよ。人間じゃないやつだって、きっと混じってる。美少女に化けてるかもしれないしな!」と。


それを聞いてサイは、昨夜のエリサの姿を思い起こした。彼女がただの人間じゃないのかもしれない――そんな不安が胸を締めつけた。


チャイムが鳴り、昼の授業が始まる。サイとレッコは一緒に教室へ歩いていく。その途中、サイは通路奥の教室の窓越しに、エリサが一人、真剣に本を読んでいるのを見かける。彼女は動かず――その姿はずっと記憶に刻まれた。


— 「なぜあの夜、君は僕の前に現れたんだ? 」

サイは心の中で問いかけながら教室の席についた。


授業は厳格なカルメラ先生によって始まる。彼女は長い銀髪を揺らしながら教壇に立っていた。サイがぼんやりしていたその時、突然、石灰が頭に当たり――クラス中がどよめく。


「サイ!やる気ないなら前に出しなさい!」

先生の厳しさが教室を包む。


サイはもちろん立ち上がり、静かに板書へと歩を進める。

そしてときおり震える声で口を開く。


「これは――エルフの古代ルーナー魔術の基本です。今は簡素化され弱体化していますが、感情を込めた古代の力を呼び起こすには、まだ重要な体系です。私は――心の絆から学びました」

彼の目は真剣であり、クラス全体が静まり返る。


カルメラ先生はほんの少しだけ驚いたように目を見開いたが、やがて穏やかに頷いた。

「よろしいです。座りなさい」と。


授業が終わった頃、レッコが突然倒れた。季節課題があまりに重かったのだ。サイは慌てて彼を抱えて保健室へ向かった。


廊下で彼はまた校舎の窓からちらりとエリサと目が合う。エリサは少しだけ彼に微笑んだようにも見えたが、すぐに視線を戻してしまう。その一瞬以内でも、サイの鼓動は大きく乱れた。


保健室でレッコをベッドに横たえる。抱えた疲れが肩にのしかかる。

「大丈夫か、レッコ。あんまり無茶するなよ…まるでサンのようだぜ」

優しく呟く。


レッコは目を開けて言った。

「サイ、最後にお願いがある…」

「……何だよ?」

「この課題、代わりにやってくれ。僕、あの『死の街』に行きたいんだ。あの果実、絶対に高く売れる! 助けてくれ!」


サイは深く息を吐きながら、微笑んだ。

「相変わらずだな。…でも、分かったよ」

そう言って彼は教職員にレッコの世話を頼み、学園の廊下をまた歩き出す。**「マナ…どうして君はこの世界から去ったのか?」**と。


夕暮れ、学園の大きな中庭。サイは緋色に染まる空をひとり見つめていた。そんな空気の中、静かな足音が近づいてくる。


「サイ…」

低く、でも確かな声。


エリサがそこに立っていた。制服の上着をぎゅっと握りしめ、その目は濡れていた。


「昨夜は――ごめんなさい。抑えられなくて…何も知らずに来てしまって…」

彼女の声は震えていた。


サイは歩み寄り、優しく彼女の手を取った。

「今、言いたいことがあるなら、聞くよ」

緊張と優しさの混ざった瞬間だった。


エリサの唇が震えた。

「あたしは……人間じゃない。私は――悪魔なの。でも、誰も傷つけたくない。どうして私がこんな存在に生まれたのか、わからないの」

涙が頬に伝った。


サイはそっと頷き、つぶやいた。

「僕も…捨てられた人間だった。でも今、ここにいる。変化はできる。君を守る約束を、ここに誓うよ」


その瞬間、風が揺れ、聖なる学園の柱が静かに響いた。

エリサの目に小さな光が宿った。それはおそらく、希望だった――そして彼の長い試練の終わりが、この瞬間から始まったのだ。

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