初期のスターダスト
朝靄(あさもや)に包まれた静かな森の中、馬車がごとごとと軋みながら進んでいた。高く伸びる木々の間を抜け、どこか神秘的な空気が漂う。
その馬車の中で、一人の若き旅人が眠っていた。彼の名は——高嶺 拓央(たかげ たくお)。
薄汚れたマントに身を包み、蒼白な顔には汗が滲んでいた。悪夢でも見たのだろうか。彼の夢の中では、自らの“創造主”と対峙していた。
「これは……運命の前触れか……?」
拓央はぼんやりとした目で、揺れる馬車の窓から微かに見える空を見上げた。
夢の中——燃え盛る炎の海に立ち尽くす彼の前に、翼を持つ巨大な影が現れ、雷のような声で告げた。
「時は満ちた、拓央。選べ……“魔法”か、“運命”か。」
彼は静かに息を吸い、ゆっくりと身を起こす。窓の向こう、〈死の森〉の影がちらりと姿を現した。
旅の目的は——“魔狼”の牙を手に入れ、前線の騎士たちのための儀式用の剣を作ること。
やがて馬車は、小さな村に辿り着いた。ここは〈カイエン村〉、死の森に入る前の最後の補給地だった。
馬車から降りた拓央は、錬金術の書と地図、わずかな食料を詰めた鞄を抱え、村の中へ足を踏み入れる。
この村は、一見平和に見える。しかし誰もが知っていた——この静寂は、一時的な〈停戦〉によって保たれた偽りの平和だと。
「すみません、ここに武器や薬草を扱う店はありますか?」
拓央が尋ねたのは、庭を掃いていた初老の男だった。
「おや、旅人か。あるにはあるが、品揃えは期待しない方がいい。海神の王国が堕ちてから、交易はさっぱりでね。」
礼を言い、拓央は市場へ向かう。
その途中——不意に誰かにぶつかった。
「……っ!? 財布がない!」
見ると、小さな影が人混みをすり抜けて逃げていく。
「待てっ! それは俺の財布だ!」
少年の姿をした小さなエルフ。ボロをまとい、泥だらけの足で必死に逃げる。
村人たちの協力で追いついた時、少年は角の壁に追い詰められていた。誰かが手を振り上げようとした——その瞬間、拓央が前に立ちはだかった。
「やめろ。子供だ。俺が責任を取る。」
ざわめく村人たち。だが、彼の声に押され、しぶしぶ手を下ろす。
拓央は膝をつき、少年と目線を合わせた。
「なぜ、盗んだ?」
少年は目を伏せ、唇を震わせた。
「……両親は……魔族に村を焼かれて……僕は、一人で……お腹が空いて、どうしようもなくて……」
「もういい。俺と来い。」
「え……?」
「俺には荷物を持ってくれる仲間が必要だ。そして——君には、生きる術を知る機会が必要だろう?」
「……名前は?」
「リラ……」
「いい名前だ。星座のように美しい。」
リラは顔を赤らめた。
「私も……他の困っている子供たちを助けたいの。癒し手になりたい。」
「じゃあ、一緒に来い。まずは——腹ごしらえからだ。」
彼らは果物とパンを買い、道端に座って食事を分け合った。
「ありがとう。でも、私……何も返せない……」
「君の正直さが、何よりの“対価”さ。」
旅が再開される。
「……魔族を殺したこと、ある?」
「ある。けど、殺すことが目的じゃない。理解することが目的だ。」
「じゃあ、どうして〈死の森〉へ?」
「混沌を封じる剣を作るためさ。混沌を広げるためじゃない。」
道中、拓央はリラのことが気になり始めていた。
小柄で、柔らかな声。服装は少年のようだったが——
「……リラ。君……女の子、だよな?」
「っ!? ……うん。ごめん、隠してた。女の子だと危険だから……」
「もう隠さなくていい。俺といる間は、大丈夫だ。」
陽が沈み、彼らは野営することにした。
火を起こし、肉を焼く。拓央はリラに刃物の扱い方や獣の足跡の見分け方、罠の作り方を教える。
「剣なんて無理……」
「君ならできると、俺は信じてる。」
夜の闇の中、木の剣を振り合う音が静かに響く。
二人の剣が踊るように交差し、小さな笑い声が宵の風に溶けていった。
「……こんなに、生きてるって感じたの初めて。」
星空の下、草の上に並んで横たわる二人。
「ありがとう、拓央。こんな夜は、もう来ないと思ってた。」
拓央は、夜空を見上げながら言った。
「これは終わりじゃない。始まりだよ。俺たちの“本当の物語”の。」
その夜、運命の歯車は音もなく回り始めた。
孤独な魂と、迷い子の希望——
そして、後に“サイ”と呼ばれる男の、はじまりの夜だった。
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