第15話 屋上へ(市川)

 何か声がすると思い先生に適当な理由をつけて屋上の鍵を貰って扉を開けると、教育実習で来ている杉村先生と2年生3人がいた。何があったのか聞くと、話すと長いから放課後に集まるということになった。私は全く訳が分からなかった。

 そしてギチギチに6人がカラオケ部屋へと入った。他の人に聞かれてはいけないためとはいえ、この変な状況にどこか居心地の悪さを感じた。そこで松本さんが話したことは全てファンタジーみたいで、幽霊が本当に存在したということに少しワクワクした。

「僕の…実の弟のことも忘れてしまったのかな…」

「…もう多分前川先生のことだけしか覚えていないんじゃないですかね」

「前川先生?」

 唐突に前川先生という単語が出てきて、驚いて聞いてしまった。

「咲希は前川先生のことが好きで、告白までしたんですが、振られてしまって、それで自殺をしたかもしれないんです」

「しれないっていうのは?」

 杉村先生が少し睨むような顔で松本さんに聞いた。

「幽霊はどんどん忘れていくらしくて、死んだ時のことも覚えてないらしいんです。だから自分ならこうするだろうっていう憶測で語ってくれたんです」

 少し場がしんとした。

「とりあえず、前川先生を連れて行ったら何か喋ってくれるんじゃないですか?」

「それって危なくねえか?だって今も前川先生が好きなら一緒にいたくて前川先生をこう…呪い殺したりするんじゃないか?」

 松島君の意見に出雲君は少し非現実的な反論をした。

「でも、幽霊は呪ったりできないはずだから大丈夫だと思う…でもそれで良いのかどうかは…」

「僕が姉に話す。話させてほしい。姉にはお別れを言えてないどころか、随分長い間会話をしていなかった。避けてきてしまった。昔につながることを言えば思い出して話してくれるかもしれない」

「とりあえず…やりましょう。じゃあ、明日の放課後に屋上前で集合で。松島君と出雲君は?」

「一緒に…行っても良いですか?見届けたいです」

「俺も…行きます」

「じゃあ、また明日」

 そう言って松本さんは出て行った。流れで杉村先生や松島君、出雲君も部屋を出て行った。

「城崎君、歌う?」

「ごめん用事があるから」

 あっけに取られているといつの間にか1人になってしまっていた。松島君と出雲君は何故あそこにいたのだろうか。よく分からないまま仕方なく部屋を出た。やはりみんな居心地が悪かったのだろうか。出る時、みんなきっちり代金は払っていた。


「じゃあ、行きますか…」

 少し怯えながら屋上の扉を開けた。空は曇っていて、気味が悪かった。

「姉はどこに?」

 松本さんは入口の上の所を指差した。杉村先生は目を瞑り、深呼吸をした。

「姉さん、僕に相談しようとしてきた時、逃げてしまった。ごめんなさい。もっといっぱい話しておけば良かった」

 静寂が流れた。杉村先生が振り返って松本さんの方を見ると、松本さんは首を横に振った。

「じゃあもう、前川先生を呼んでみよう」

 そう言った顔は少し寂しそうな顔をしていた。でもどこかあっさりしているような感じがした。

「わ…私呼んで来ます!」

 私は階段を駆け下りてグラウンドへと向かった。案の定グラウンドに居て、呼んだのが私ということもあり、特に何の用かも聞かれなかった。屋上の扉へ向かっていると気づいたのか、少しぎょっとした顔をしたが何も言わずについてきた。

 前川先生ならもしかしたら咲希さんが思い出して…思い出して?どうするんだろうか。松本さんと咲希さんの仲が戻る?それとも杉村先生が最後の言葉を告げられる?あれ、何のためにこんなことしてるんだっけ。またいつもの癖で何も考えずに人助けをしようとしている。私は本能的にこの扉を開けるべきでは無いと感じていた。

「開かないのか?ちょっと貸してみ」

 そう言って前川先生が扉を開けた瞬間、杉村先生は鬼の様な形相で走ってきた。

「あんたのせいで姉さんは死んだ!いや、あんたと僕だ。姉さんを狂わせてなんでまだ普通に生きてるんだ?僕も父さんも母さんも、普通に生きられなくなった。なあ、あの世に謝りに行こう」

 私が前川先生の手を掴むより、杉村先生が前川先生を引く方が圧倒的に早く、私の手は何も捉える事なく地面についた。

「待て!杉村!」

「杉村先生!」

 真っ先に動いたのは少し意外な人物だった。

「松島!下行け!」

 出雲君が走り出すと同時に松島君は最初からそこに居なかったと錯覚するほど静かに消えた。

 でもすでに前川先生の足は地面を捉えていない所にあった。杉村先生がひとつ大きく踏み込みながら私の視界から消えて行く。ほんの少し遅れて出雲君が屋上の端に足をつけると、手を大きく下にして何か重たいものを持ち上げるような動きを見せた。

「重っ!…松島、キャッチしろ!」

「な、何やってるの?」

「俺らは能力があるんです。松島が瞬間移動ができて俺は遠くの物が掴めるっていう…これ以上は言えないです!どうか察して下さい!」

 私はポカンとして何も言えなかった。アニメの見過ぎで幻聴でも聞こえたのかと思った。

「え、カッコよ」

 城崎君が言うと出雲君は少し照れた。

 しばらくすると松島君が瞬間移動を使い、杉村先生と前川先生を連れて戻ってきた。二人とも下を向いているまま唇を萎ませていた。

「俺は、お前に死ねと言われたら死ぬ気だった。変な話だがな」

 先に話しだしたのは前川先生で、それを杉村先生が驚いた顔で覗き込んだ。

「なんで…姉さんの葬式にも来なかったのに」

「とても行けなかった。俺に行く権利はないと思ったからだ。でも今思えば…逃げたのかもしれん」

「じゃあ、逃げず、今ここでまた飛び降りれるのか?僕はできる」

 しんとした中、大きく風が吹いた。

「あ、咲希!」

 パチン

 松本さんの声と乾いた強い音が聞こえてきた。そこには制服を着た綺麗な女の子が立っていた。ここの制服なのだが、見覚えがなく、直感的にあの子が咲希さんだと気がつき、目を擦ってみる。そうか、私は今幽霊を見ているのか。今に泣きそうな咲希さんと頬に手を当てて唖然としている杉村先生が見つめあっていた。

「死んだら怒るよ!私」

 その声ははっきりと私の耳にも聞こえてきた。

「姉さん…?」

「前川さんも、簡単に死ぬとか言わないで !」

「咲希…ごめん。俺が何も考えずに…」

「前川さんは何も悪くない。凛もね。あの時はどうかしてたから」

 松本さんは喉の奥をヒクヒクさせながら駆け寄って行った。

「思い出したの?」

「うん、全部ね。ごめんね、千夏。寂しくさせちゃって」

「うん…許せないけど、良いよ」

「ありがとう。またね」

 全ての仕草と言葉が綺麗で、一瞬も目の離すことのできないほど私の心は惹かれていた。

「ねぇ、凛」

「何?」

「私が死んで悲しかった?」

「分かんない。でも、葬式の5日後に泣いたよ」

「そっか。自殺してごめん。だから過ちを繰り返さないようにね。約束」

 そう言うと咲希さんの身体はまるで桜の花の様に散ってゆき、跡形も無くなってしまった。

「姉はもうどこにも居ない?」

「はい。もうどこにも…」

「そうか。良かった」

 あまりにも非日常的で、心がぶつかり合った屋上での時間は、私がいくつになっても忘れることは無いだろう。できることなら、幽霊になっても忘れたく無いものだ。

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