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「で、来週までには新作上げてもらえると助かります。ただこの辺りは映画の取材もあるんで書き上がらないならその辺は考慮しますけど」
「………」
「はぁ…随分不機嫌ですね」
スケジュールを見せながら今後のことを説明をする伊原さんが私の顔を見てため息をついた。
伊原さんと直接会ったのはお祝いをしてもらったあの時ぶりだ。
「誰のせいで」
「先週の居酒屋での件ですか?珍しく根に持ちますね。別に間違ったこと言ってないですよ」
「間違ってなければ何を言ってもいいんですか?」
「…そうですね。言い方に落ち度はありました。すみません」
伊原さんが珍しく謝った姿を見て少し驚いた。
あまり反省している雰囲気はないけれど。
「だけどこれだけは言えます。先生は小説家という険しい道を歩き続けるには優しすぎる人です」
「え…」
「ライバルを蹴落とすくらいの気持ちで歩き続けないといつか足をすくわれます。俺はそれが心配です」
…きっと素直に、伊原さんの言葉を聞き続けていれば、私は間違った道になんていかないだろう。
それができれば私は…何も失わずに済むんだろう…。
伊原さんの言葉に不機嫌になったり、言われていることが素直に受け入れられないのは、私が子供で図星を突かれたことが悔しくて、うまく自分の気持ちを表現できなくなるせいだ。
「…わかりました」
怠けているわけではない。
私も伊原さんも真剣に向き合っているはずだ。
それでも度々こんなふうに衝突が起こることは、避けては通れないことなんだろうか。
私を優しすぎると伊原さんは言ったけど、もしそうだとしたら…こんなことにはなってないんじゃないかな。
そのまま打ち合わせが終わり、伊原さんが車で送ってくれるというのでエントランススペースで待っていると、近くで男の人2人が言い合いをしているのが目に入った。
私と伊原さんも然り、こういう光景は割とよく見る気がする。
作家と編集者が何かをきっかけに口論しているんだろうけど、ここでやらなくても…と思う。
「柊麻美程度の作品が柱になっている時点でこの会社は弱いんだよ」
…場所を移動しようとしたけれど自分のペンネームが聞こえて思わず足を止めた。
「柊先生は柊先生なりにご苦労されています。私の至らなさや会社とは関係ありません」
「噂によると休業を申し出たとか…。甘すぎて話にならん。どうせ大した人生を送ってないんだろうし、きっと編集もお前みたいにろくなやつじゃないんだろ」
…この渋くて響く低い声を、知っている。
私のデビュー作が受賞した時、
審査総評をしてくれた塙山先生だ。
あの時はオンライン越しだったけど、それでも覚えてる。
不自然なくらい作品を絶賛してくれて違和感すら感じたから。
もしかしたら嫌々言わざるを得なかったのかもしれない。
経験のない子供が賞を取ったくらいで調子に乗るなと思われていたかもしれない。
作家になってしばらく経った今だから気づけることもたくさんある。
真実を塗り固めた現実もあるとわかってるから。
そこから動けずにいると声の主が私に影を落としていた。
顔を上げると鋭い眼孔と目が合う。
こうして直接対面するのは初めてだ。
着物を着ていて、ガタイが良くて、眼鏡の向こうの表情は気難しそうだ。
もう少し年配の人だと思っていたけど、想像よりも若く見えて、なんだかそれが尚更近寄りがたいと思った。
「どいてくれないか」
…怖いと思った。
だけどタイミングがよくなかった。
この時の私は、どうにもイライラしていて……。
「柊先生?」
後ろにいた編集さんに名前を呼ばれて、塙山先生もようやく私のことを理解したようだった。
「ああ…そうか……君か…」
気まずい空気であることに間違いないのにどこかピリピリしている。
“どうせ大した人生を送ってないんだよ”
私も………そう思ってた。
そんなのわかってる。
そんなの…誰よりも私が1番、そう思ってたよ。
でも…、
“…応援してます。誰よりも”
でも今は違う。
「撤回してほしいです」
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