正体(2)

 モイリーショップ石川店の遅番は、夕方の十七時から二十二時までのシフトである。


「十八時から二十時ぐらいまでがピークだよ」と言われた通り、学校やバイト帰りの学生、仕事帰り――もしくは残業をするためや、これから仕事に出るための腹ごしらえとして、食事を買いに来る客が多かった。早番では出勤や通勤の客が、遅刻すまいとピリピリした印象だったが、遅番は遅番で、疲れ果て心に余裕のない客や、すでに出来上がっている客、これから遊びに繰り出す客など、早番の客よりも治安が悪い印象があった。


 怒涛のレジ打ちと品出し、清掃をしているうちに、時刻は二十一時になった。


 途切れず訪れた客も落ち着く。

 静かになった店内を前に、誠人はようやく、レジで肩の力を抜いた。


 あの日から、蒐宮莉央に会っていない。


 協力しろなんて言うものだから、てっきりすぐに再会するかと思いきや、莉央はかれこれ三週間ほど、誠人の前に現れなかった。


 あれだけ毎日のように来ていた『神』が急に来なくなり、モイリーショップの店員達は、「神が我らをお見捨てになった!」と半狂乱とも言える有り様で嘆き悲しんでいた。

 まるで太陽神が岩間に隠れた神話のようだ。誠人はそれを、冷ややかな目で眺めていた。


 誠人からすれば、莉央が来店しないことは喜ばしいことだ。彼の影を読んだことで、一定程度、彼に対する警戒心が薄れたとは言え、莉央のこれからやろうとしていることを考えると――しかも、誠人を積極的にそれに巻き込もうとしてくる彼のことを考えると、出来れば二度と会わずにすませたいと誠人は思った。


(実の父親を、殺す、ねえ……)


 莉央の影の内容を思い出し、誠人は少し、憂鬱になった。


 あの日、莉央からの答えはなかった。


 父親を殺す気なのか、違うのか――。「父を殺すのでは」と考えたのは、彼の影から誠人が推測した願いにすぎない。莉央はそれを、肯定も否定もしなかった。いや、『するまでに至らなかった』という言い方の方が正しいかも知れない。


 誠人が不本意ながら、莉央の真意を確かめようしたその時、莉央に危険を知らせる声が響いた。


 それは、一匹の鳥だった。


 何もないところから、突然、鳥は、現れた。

 体長は鳩よりやや小さい。真っ黒の頭に、汚れた灰色と、美しい水色が、首から長い尾の先までグラデーションのように続いている鳥だった。

 動物に詳しくない誠人は知らなかったが、その鳥は、「オナガ」と呼ばれる野鳥だった。


 オナガは文字通り、窓から入るでもなく、莉央の身体に隠れていたわけでもなく、突然、莉央の右肩のそばに出現した。


 影は嘘をつかない。


 だが、莉央の影が、あまりにも荒唐無稽なことを見せてきたので、誠人は信じきれずにいた。


 あらゆる影を読んできたわけでもないので、誠人の読む影の情報が、どれぐらい本人の主観に引きずられるのかも分からない。本人が錯視したものは錯視したように見えるのか、それとも真実の形で誠人に見せるのか、誠自身も分からなかった。


 オナガが突然現れた時、誠人は単純にびっくして体を揺らした。

 まじまじとオナガを見つめ、莉央の影から、それがだと理解しても、頭の中では半信半疑だった。


 オナガは莉央の右肩近くで滞空し、「ギュイギュイギュイギュイ!」と激しく鳴いた。何を言っているかなど当然誠人には分からないが、鳴き声に緊迫感がある。危険を知らせる声だった。


 オナガを見た莉央は、その声を聞いても、たいして表情を変えなかった。

 余裕とも言える笑みを浮かべたまま、鳥の報告を聞いているようだった。そうして、オナガは鳴き終わると同時に、煙のように姿を消した。見届けた莉央は誠人の方に振り向き、「今日は帰るよ」と、今までの攻防がなかったかのように、呆気なく伝えたのだった。


「ちょっと急いで処理したい人が来たからさ……」


 誠人は耳を塞ぎたい気持になった。『処理したい』物ではなくて『人』だと言う。そんな物騒な話、聞きたくないし知りたくもない。


「近い内にまた、店に行くね。その時、続きを話し合おう」


 いや絶対に話したくない。


 誠人は内心、「逃げよう」と思った。どうすれば良いかは分かっていないが、とにかくこれを機に、うまいことフェードアウトするしかない。


 考えが顔に出てしまったらしい。すかさず莉央が「店にいなかったら、ここにくるね」と笑顔で告げ、床に所在なさげに転がっていた『ダンベルだったなにか』を拾い上げ、丁寧に誠人の手に握らせた。

 誠人は引きつった笑みを浮かべるしか出来なかった。


「あら、もう帰るの?」


 呑気にリビングで家計簿をつけていた母は、残念そうに莉央に言った。

 莉央は丁寧にお辞儀をして答えた。


「はい。また来ていいですか?」


 誠人は心の底から「二度と来るな」と思っていた。もちろん、誠人の母は逆の答えを莉央に言った。「ぜひまた来てね!」母に見送られ、莉央は穏やかに物集家から帰っていった。


 莉央が帰った後、誠人の母は、名残惜しそうに玄関の扉を見つめ続け、ほうと感嘆のため息を一つついた。


「あんたの友達とは思えないぐらい、ちゃんとした子ねえ」


 一言余計だと言わざるを得ない。


「でもちょっと、なんか変な感じね……。蒐宮くんって、苗字も珍しいし、あんなに綺麗な子だったら、もっと印象に残ってそうなんだけど……。あの子、かしら?」


 不思議そうにする母の言葉に、ぎくりと誠人の肩が揺れる。

 母のその違和感の正体が、だと、影を読んだ誠人には分かっていた。


「まあ……成長すると見た目変わる奴とかいるし……。垢抜けたってやつなんじゃん……?」


 咄嗟に出た言葉に自分でも驚いた。

 何故か、莉央を庇うような言葉を吐いている。母の誤解を解く良いチャンスだったはずなのに……。先ほど見た、莉央の過去とも言える影が、誠人にそのように言わせていた。


「あー……それもそうね」


 誠人の言い訳を、母は素直に聞き入れた。


「あんたはいくつになっても全然垢抜けないけどね」


 嫌味をそえることは忘れない。


 莉央にしろ母にしろ、少し感謝が足りないのではないかと誠人は思った。

 そんな日から今日まで、誠人の人生で変わったことは起きていない。

 相変わらずモイリーショップでバイトをしているし、莉央に関係すると疑われるものとも関わっていない。


 店の自動ドアが開き、来店を伝える音楽が流れる。

「らっしゃいませー」

 誠人はいつも通り、やる気があるのか際どい声で、客に向かって挨拶をした。


 店内の時計が二十一時三十分を指す。

 初の遅番も、もう少しで終わりだ。


 一緒に入った遅番の先輩が、「裏でレジ締めしてきていいかな?」と訊いてきた。

 モイリーショップでは、遅番が一度レジを締めて金庫に売り上げを入れることになっていた。早番の社員は、前日に締めたその売り上げを、銀行に持っていく業務があった。


 店内に客はほとんどいない。品出しも清掃もひと通り終わったところなので、誠人ひとりになったとしても、十分さばける状態だった。

 先輩に誠人が頷くと、バックヤードに身体を向けた先輩は、ふと、思い出したように誠人の方を振り向いた。


「あ、そろそろ、『コンプラ女』と『探し人オジサン』くる時間だから、気を付けてね」


 誠人は困惑して、首を傾げた。

 徳田からの申し送りを思い出す限り、『探し人オジサン』は、誰だかを探しまわっているトレンチコートの客だろうか、『コンプラ女』は――?


 考えていると、先輩は小声で誠に言った。「例の万引き女のこと。大体牛乳は持っていくから、『乳牛』って最初呼んでて、乳牛に失礼だろってことで、乳つながりで『わがままボディ』になって、わがままボディはコンプラ的にどーなんってことで、『コンプラ女』になった」と、聞いて損するようなことを言われた。


「まあ、危なかったら、デリバリーポリスして」


 オーナーがオーナーなら、バイトもバイトだ。


 呆れながらも、誠人は頷いた。そのタイミングで、深夜番の一人が出勤してきて、誠人と目が合った。

 誠人も知っている顔だった。早番にも入るバイトで、いつもシフトの三十分前に来る男だった。


 今日は彼と、彼とは正反対に遅刻ばかり繰り返すフリーターの二人体制だと聞いている。

 三十分前行動の深夜番は、誠人を見て、『なんでいるの?』とばかりに一瞬驚き、その後、『あっ誕生日か!』と気がついて、したり顔を浮かべた。大方、『道連れ』という名の仲間が増えたこと喜んでいるのだろう。誠人は曖昧な笑みを浮かべ、会釈を返した。


 先輩と深夜番がバックヤードに行ってしまう。店内の店員は誠人一人となった。


 勤務終了まであと二十分。


 余った時間で補充が必要なものがないか確認していると、ドリンクコーナーの陳列が乱れているのが目に入った。

 店内に客は二人いるが、どちらも雑誌コーナーや酒を見ていて、すぐにレジには来そうにもない。いずれも若いので、いざとなればセルフレジも使うだろう。


 そのように判断した誠人は、レジに「しばらくお待ちください」の札を立てかけ、奥にあるドリンクコーナーに向かった。


 先程、酔っ払った大学生と思われる集団が来て、あれやこれやらここでかき集めていたせいか、ペットボトルは倒れているし、チューハイの後ろには缶ビールが置いてあるし、最前列もガタガタしている。


 どうして客は、取った商品を、元あったところに戻さないのだろう。

 ただ取ったところに戻すだけなのに、わざわざ別のところに戻す気がしれなかった。同種でそろわないことに不快感を覚えないのだろうか。


 同じ銘柄の商品同士で並べ替えていると、来店音が鳴る。天井のコーナーに置かれている鏡を見ると、五十代ぐらいの男が店に入ってくる姿が見えた。客は六月のこの時期に、暑苦しいとしか思えないトレンチコートを着ていた。『探し人オジサン』だ。


「いらっしゃいませ〜」


 様子を気にしつつ、誠人は声をかけた。

 『探し人オジサン』は、店内をキョロキョロしたあと、雑誌コーナーに向かっていった。


 暑くないのだろうか、と誠人は思った。

 時々、こういった季節感を無視した服装の客が来店する。そういった客の大半は高齢者だが、時々、二十代ぐらいの若者でも、真夏にダウンを着ていたりする。そういう人達の体感温度はどうなっているのだろう。


 誠人は店内の時計を見る。もうあと十分で退店だ。それまでにはここも整理整頓できるだろう。

 動かす手を早めた時、雑誌コーナーから若い男の声がした。


「はあ? なんすか?」


 穏やかじゃない声音だ。何かを邪魔されて、苛立っているような声だった。彼が外したイヤホンからか、雑音のような音楽が店内に鳴り響く。

 その合間に、ぼそぼそとした、中年男性の声が聞こえた。


「――を知っているか」


 音楽がうるさくてよく聞こえない。

 どうやら、『探し人オジサン』は、雑誌コーナーにいた若者に、今日は聞くことにしたらしい。


 客同士でトラブルになっては困る。誠人は二人の間に入るため、作業の手を止めて、二人のいる方に体を向けた。


「だから、なんて?」


 若者の刺々しい声が再度聞こえる。急いだほうが良さそうだ。

 その時まで、誠人は彼等を肉眼で見ていなかったので、すっかり油断していた。


 雑誌コーナーにたどり着く。

 早歩きをしていた体が、うっと怯んで凍りついた。


(マジかよ……勘弁しろよ……)


 、だなんて――。

 若者の方は普通だった。見た目はいかついが、影の濃さはせいぜい二十パーセントほど。


 もう一人は違う。


 トレンチコートを着た、通称『探し人オジサン』は、なんということか、九十パーセント以上の影だった。


(なんなんだよ、こんなのばっかり……。めんどくさ)


 先日の件が終わって、まだひと月も経っていない。こんな影の人物と会うことなんて、今までずっとなかったのに……。


 ホラー映画だって、同じ演出ばかり繰り返されれば恐怖も薄れる。


 短期間で二度目ともなると、誠人も「怖い」というより「うんざり」だった。 

 さすがに店内でいきなり殺そうとしたりはしないだろうが、どんなトラブルも面倒だ。徳田から、『デリバリーポリス』の許可も得ていることから、誠人は気持ちに余裕を持ちながら、二人のそばに近づいた。


 その時、影濃度九十パーセントの『探し人オジサン』の声が聞こえた。


「蒐宮莉央、もしくはユタカという名の人物を知っているか」


 誠人の心臓に冷水がかかる。

 息を止め、二人を見つめた。


「いや、あんたこそ誰だよ、オッサン」


 『探し人オジサン』は、若者の答えを聞いていなかった。

 もっと言えば、若者の顔すら見ていなかった。

 視線は彼の手元に落とされている。その両手には、ハンディカメラと思われる物が握られており、男はそれを通して若者のことを見ているようだった。


「なんか、それ……撮ってんの?」


 若者が不気味そうに言い、腕で顔を隠す素振りを見せる。

 言葉を無視し、男の指は、カメラの画面をスライドするように動いた。

 そして更に不自然なことに、男はスライドを終えると、まるで全てを読み取ったかのような顔をした。


 一つだけなら、誠人はを疑わなかった。

 二つだけでも、疑惑を抱いて終わっただろう。

 三つ揃って、虫の知らせとも言える、防衛本能が働いた。


 九十パーセントの影。不審な行動。そして何より――「蒐宮莉央」という名前。


 莉央の秘密を読んだあの日、「影は嘘をつけない」と、分かっていても駄目だった。何もない空間に突然現れ、霧のように消えるオナガを見ても、信じることは出来なかった。

 今も信じていいか分からない。

 だが、予感がする。

 莉央が見せたあの秘密。荒唐無稽すぎて安っぽい、物語のようなあの存在。 


(魔法使い――)


 莉央の影が語っていた、人ではない、『魔法使い』という存在達――。

 眼の前の男が、「それかもしれない」と、自分の本能が騒いでいる。


「ちょっと……マジなんなん……」


 心細そうな若者の声が店内に響く。男はもう聞いていない。顔を上げ、誠人を見た。

 身体を震わせた誠人は、金縛りにあったように動けなかった。

 男が誠人に近づいてくる。そして、カメラを見ながら、誠人に言った。


「蒐宮莉央もしくはユタカという名の人物を知っているか」


 誠人の脳裏に、腹立たしいほど美しく笑う、蒐宮莉央の姿が浮かんだ。

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