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自転車を押し、姉と歩いて帰った後は、特にこのことについて話したりはしなかった。
自身の説明に不足を感じた誠人は、翌朝、バイトを休んで姉の大学についていこうと思った。
どんなに隠れたり変装したって、誠人の瞳に映ればそれが昨日の男だと分かるはずだ。
名案に思ったのに、それを姉に告げると「死んでもやめて」と頑なに断られてしまった。誠人が食い下がる空気を感じたのか、気づいた時にはすでに姉は出かけており、結局、誠人はいつも通りモイリーショップのレジに立つことになった。
バイト中も昨日の男のことが気になって、業務どころでなかった。いつもならしないようなミスを連発し、散々なものだ。最初は誠人のミスに腹を立てて指導してきたバイトリーダーも、五回目ぐらいからは不安そうな顔をし、「なんか……体調でも悪い……?」と心配してきたほどだった。それに曖昧に答えているうちに、バイトリーダーの中で「誠人は体調が悪い」ということになったらしい。「早めに休憩入っていいよ」と優しい口調で慰めを言い、早めにバックヤードに追い立てられた。
体調が悪いからと言って、早退させないところがコンビニバイトらしいと誠人は妙に感心した。
お言葉に甘えて、バックヤードに入った誠人は、食欲も感じなかったので、ひとまず休憩テーブルに突っ伏した。
頭の中をぐるぐる昨日の男の姿がまわる。
男が姉に近付いた理由や、何を隠してそんな真っ黒な影になったのか、分からないから余計に不安だ。
――影を読めば違った。
頭の中の、辛辣な自分が誠人のことを責め立てる。
――あの時、すぐに影を読んでいれば、こんな不安になることもなかったはずだ。
(大学にあいつを探しに行く……? ねえちゃんは嫌がってたけど……隠れて行って探して、そんで影を読めばいけるんじゃないか?)
しかし姉は、男のことを「あんまり学校にこない先輩」と言っていた。大学で見つけられなきゃお手上げだ。
ますます、昨日のチャンスを逃したことが悔やまれる。悔やんだところでどうにもならないが、自己嫌悪を回避することも難しかった。
良いアイデアが浮かぶこともなく、一日が過ぎていく。
姉はその夜バイトがあり、帰りが遅くなると聞いていた。
心配になった誠人は、やはり迎えに行くと連絡したが、「いや、未成年が夜中に出歩くほうが補導されるでしょ」と至極真っ当な返事をされ、断られてしまった。彼女が帰ってくるまで気が気じゃなく、時計を見ながらリビングをうろうろした。そのせいで母から「シスコンぶり返したの? お姉ちゃんストーカーもほどほどにね」と不名誉な言葉をかけられた。
そんなんじゃない、とイラついたが、どうせ言っても心配をかけるだけだ。誠人は口をつぐみ、ひたすら姉の帰りを待った。
二十三時を回り、待ちくたびれてついウトウトしていると、玄関が開く音がした。
姉は結局、バイト先の先輩に送ってもらって帰ってきたようだった。
誠人が寝ないで待っていたことに不気味そうな表情を浮かべ、「あんたさ、もうそれ、ノイローゼでしょ」と呆れたように言われた。
言われなくても分かっている。でもどうにも出来なかった。
姉がきちんと布団に入ったことを確認して初めて、誠人はほっとした気持ちになって眠りにつけた。
翌朝、誠人にとやかく言われたくなかった姉は、「友達と遊びに行く。今日は帰らないから、絶対に探すなっていうか、あんたの言ったことはちゃんと守るから、マジほっといて」と母に伝言し、誠人が起きるよりも前に家を脱出してしまった。
慌てた誠人は(我ながら気持ち悪いとは思うが)どこ行ったんだよ? 誰と遊んでんの? あいつには絶対近寄んなよ! とメッセージを送りまくったが、徹底している姉は、誠人が何を送っても未読スルーを決め込んだ。
もしかしたら、誠人からの着信通知をわざわざオフにしているのかもしれない。
こんなに心配してやってんのになんだよ!もう知らねえかんな! と憤りを感じた一方で、まあでも確かに理由が分からなければ自分の行動は気持ち悪いか、という冷静な感想に挟まれた。
誠人は深い溜息とともに、自らの頭を乱暴にかきむしった。
――こんなこと、いつまでも続けていられない。
たった二日で誠人の精神はボロボロだった。
極度の緊張と不安から、極端な行動に出てしまうストレス。やめたくても事が事だからやめられず、やめ時も分からない始末。こんなこと、いつまでも続けているべきじゃない。続けていたら、それこそ病気で死んでしまう。
(こんなんでぐだぐだ悩むぐらいなら、ダメ元で大学に行って、あいつを探してみたほうが良いかもしれない)
と言っても、今日のところは何も出来ない。頑固者の姉は自身の言ったことを自ら覆したりはしないだろう。心配でどうにかなりそうではあるが、どうにもならないと信じるしかない。
幸い、明後日はちょうどバイトが休みの日だ。家族共有カレンダーをみる限り、姉は十時から大学と書いてある。
誠人は彼女の大学の場所もよく分からない上、そもそも大学に行ったことがないので、中に入れるのかも分からない。
(ひとまず、距離を取りながらついて行ってみるか)
弟が姉をつけるなんて、はたから見れば異様だろうが、休みなく不安な心境に置かれている自身のストレスを考えたら、姉や姉の友達に「気持ち悪い」と思われる方がマシに思えた。
そう決意してようやく、誠人は落ち着いていつも通りのペースでコンビニ業務をこなすことが出来た。
予定が狂ったのは、その日の夕方だった。
十七時になり、シフトを終えた誠人は、今日も自転車で家に帰ろうと、バックヤードで準備していた。
そこに、店に一本の電話がかかってきた。
オーナーの徳田からだった。
来月のシフトを組んでいた社員が電話を受けたのだが、横から聞いていると、どうやら、本部に出す予定の書類をここに忘れてしまったようだ。
徳田は石川店のほかに、もう一店舗経営していた。ここから自転車で十五分程度の場所にある中村橋店だ。今日はそこに出勤しているらしく、中村橋店で本部の社員に書類を渡そうと用意していたのに、間違って石川店に置きっぱなしにしてしまっていたらしい。
少し気の毒に思った誠人は、「俺、帰りに寄ってもいいですけど……」と控えめに聞いた。
すると社員の目がギラリと光り、
「本当?! ありがとう! 悪いね!!」
そう言うなり、素早く書類を押し付けてきた。
自分から申し出たことだが、なんだか言い出すのを手ぐすね引いて待たれていたような感じがした。
釈然としない気持ちが芽生えたが、「やろうか」と言ったからにはやるしかない。やむを得ず、中村橋店に向かって誠人は自転車を走らせた。
中村橋店は代々木駅を超えた、明治神宮のそばにあり、家とは逆方向に位置していた。
予定通り、十五分ほどで中村橋店に到着すると、満面の笑みの徳田が待ち構えていて、「残業代一時間つけるから、お願いだから十八時までヘルプしてくれない?」と図々しいことを言ってきた。時刻はすでに十七時三十分だった。
三十分のヘルプに意味があるのか分からずモヤモヤしたが、二日前に冷たく残業を拒否した手前、なんとなく断りにくかった。あげく、「唐揚げも奢るから」と駄目押しされては仕方がない。
しぶしぶ、母に「残業する」と連絡した後、スペアの制服を私服の上から着込み、三十分だけバイトする。
徳田はやや大げさに感謝の念を述べ、約束通り唐揚げを奢ってくれた。
「はやく物集くん、十八歳にならないかな〜」
という世迷い言を背中に聞きつつ、退勤の挨拶をして、誠人は駐輪スペースで唐揚げを平らげた。時刻は十八時十二分になっていた。
ここから帰るとなると、家に着くのは十九時になりそうだ。
唐揚げの容器を店内のゴミ箱に捨て、今度こそ、自宅に向かって自転車をまたがる。
早く帰宅するには、代々木駅まで出て、一旦石川店に戻るようなルートが良さそうだ。頭の中に道順を思い浮かべながら、誠人はペダルを漕ぎ始めた。
走り始めて数分後、誠人は、見間違えを疑って、振り返った。
十八時十六分。真っ暗とは言えないが、薄暗くはなってきている。
そこには、九十%の男が立っていた。
それは間違いなく、あの日、姉に話しかけていた、あの男だった。
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