第6章 迷宮に刻まれし眠詠

6-1 プロミナ迷宮区、第五階層へと帰還


 赤の化身が沈黙すると、スィーフィードの声もソウルドラグナーの中へと眠り、神域は深い静寂に包まれた。

 空間そのものが息を吐くように、言葉にならない安らぎが広がっていく。


 俺たちは、その場をしばし動けずにいた。

 光の粒が消えた空間に残された余韻。そして、名状しがたい疲労感。


 それらを背負いながら、俺たちは階段を戻り――第五階層へと辿り着いた。



――ゴゴゴゴ……



 背後に響いたのは、岩が擦れる音。

 第六階層への通路は、重々しく、静かに閉ざされた。


 歩みを止め、俺たちは再び沈黙のなか、入口の前にたたずんだ。



 ついさっきまで神と対話していた場所――その記憶が、思考の奥底にこびりついている。



 スィーフィードとの会話では、思考の流れが普段とは異なり、意識の輪郭が曖昧になっていた。

 それだけではない。あの“赤の化身”までもが語りかけてきた。


 脳の深奥が揺さぶられ、感覚の構造が何度も再編されるような、異質な体験だった。


 俺も、エルナーも、精神の疲労が濃く残っている。

 ましてや初めて神と対話したガリエルさんなら、なおのことだろう。


 ふと、ガリエルさんの方へ視線を向けると、彼女は遠くを見つめていた。

 現実への回帰を拒むような迷いが、その表情に静かに滲んでいた。


「……やっぱりスィーフィードと話したあとは、頭がぼんやりするな。二人はどうだ?」



 俺は、問いかけずにはいられなかった。

 この感覚が自分だけのものではないと、知りたかった。



「そうね。今回は神様二柱ふたはしらと一度に話したから、負担が大きかった気がするわ」


 エルナーが息をつきながら答え、続いてガリエルさんも口を開いた。


「これが……神との会話ってものなんだね。身体じゃなくて、精神の芯を削られるような感じだった。

 思考の底に、言葉が染み込んでくるような……不思議な感覚だったよ」


 二人の言葉に背中を押され、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。


「……とりあえず、出口へ向かおうか」


 意識は霞んだまま、疲労も残る。



 それでも、前へ進むことで自分自身を取り戻したかった。



「そうだね。ここの空気……よどんでるというより、何者かが閉じ込めようとしてるみたいだったね」


 ガリエルさんが小声で言い、エルナーが頷いた。


「外へ出ましょう。ちゃんとした空気を吸いたい」



 誰ともなく歩き出す。

 足取りは重いが、確かに前を向いていた。


 魔素まそおりが肺の奥に絡みつく感覚を振り払いながら、静かに出口への道を辿る。



――新鮮な空気。



 それは、意識の輪郭を、静かに呼び戻すために。



6-2 プロミナ迷宮区 入り口前


 迷宮内の空気は重く、時間の感覚すら曖昧だった。

 昨日よりも遥かに遅い足取りで、俺たちはようやく地上へ辿り着く。



 先頭を歩いていたガリエルさんの、“ガイド・ルーン・インスクリプト”を頼りに、

 神経を集中させながら、足を進める。


 出口に近づくにつれ、空気のよどみは少しずつ解消し、頭のかすみが晴れていった。


 その背に視線を送りながら、俺は小さく頷く。

 エルナーも隣で息を吐き、少しずつ顔色を取り戻している。



 神との交戦による疲労は、精神だけでなく、肉体にも深く刻まれていた。


 俺たちは無言のまま、それを共有していた。



 道中では何度か休憩を挟みながら、帰路を進んだ。


 慎重に――そして、静かに――。



 迷宮区の出口が見えると、ガリエルさんが歩みを緩め、深く息を吐いた。

「ようやく戻ってこれたね……」


 その言葉には、安堵あんどの色が滲んでいた。


 俺たちも無言で頷き合い、入り口前の石段に腰を下ろす。



 澄んだ外気が、地下で蓄積された澱みを洗い流すように肺へ染み込んでいく。

 それがあまりに心地よくて、俺は目を閉じ、深く呼吸した。



 そして、俺は静かに口を開く。

「……昨日までと比べると、空気がこんなにも軽く感じるとはな」


 隣で肩の力を抜いたエルナーが、穏やかに言った。

「さすがに今回は疲れたわね……」


 俺も頷いて、言葉を重ねる。

「常識の枠外に踏み込んだからな……」


 すると、窓辺に視線を向けていたガリエルさんが、ぼんやりと呟いた。

「うん。おそらく、これと同じ経験をする人なんて、この先も現れないと思うよ」


 しばらくの休憩の後、俺たちはプロミナの街中へと足を歩み出した



6-3 プロミナの街――夕食後。



 俺たちは宿の一室に集まり、灯りの下で静かに向き合っていた。

 外の夜風が、時折窓を撫でては去り、部屋の静寂に微かなゆらぎをもたらす。



 そして――、ガリエルさんが口を開いた。


「今回の件、誰かに話したりした?」


 問いに応じるように、俺は腕を組みながら記憶を手繰る。

「俺はしていない。詠唱学院への報告のとき、二人と一緒に話しただけだ」


 隣にいたエルナーも顔を上げる。

「私も同じ。外には、何も言っていないわ」


 二人の答えを受け、ガリエルさんは小さく頷いた。

「私も。探索場所を横取りされたくないし、拾った文書は解析に渡したけれど、場所の情報は伏せてある」



 しばし沈黙が落ちる。

 灯火ともしびの揺れと、窓辺の静かな気配だけが空間を埋めていた。



「それで……もう、探索は終わったってことよね?」

  エルナーが、ぽつりと言った。


「うん。今回を超える体験なんて、そうそう起こりえないだろうし」

 ガリエルさんの声には、静かな確信が込められていた。



 俺は視線を落としながら、言葉を探す。

「……公開するか、伏せるか――」


 ガリエルさんは窓の外に目を向け、ゆっくりと口を開く。

「もう、あの場所には戻れない。岩は魔力回路がなければ動かないし、無理に壊せば階層ごと崩れてしまうかもしれない」


 エルナーが息を吸い、静かに頷いた。

「……あの空間は、スィーフィードの化身の聖域。


 ゆっくりと眠らせてあげるべきだと思うわ」



「私も、第六階層のことは伏せて、第五階層までの探索だったって報告しようと思う」

 ガリエルさんが、どこか安堵のような微笑みを浮かべてそう言った。


 俺もその考えに賛同し、静かに言葉を重ねる。

「それが一番だろうな。証拠も残っていないし」



 こうして、俺たちは一つの結論に至った。



 第六階層のことは、語られぬ物語として――そっと眠らせる。



6-4 プロミナ最後の朝


 俺たちはプロミナの詠唱学院に立ち寄り、探索報告を完了した。

「第五階層まで探索可能だったが、既出資料しか確認できず、新ルートも発見できなかったため、調査を終了した」――そう伝えた。



 虚偽であることは確かだった。


 けれど、あの神域に眠るスィーフィードの化身を、そっと安らかに眠らせたかった。

 あの静謐さを、永遠の余白として残したくて――。



 学院を後にする前、ガリエルさんがぽつりと呟く。

「これで、お別れだね。……楽しかったよ。貴重な経験もできたし」


 その言葉に、俺は姿勢を正して返す。

「俺もです。本当に……ガリエルさんには感謝しています」


 隣でエルナーが微笑む。

「ほんとよね。オブスキュア・レガシーの遺跡なんて、滅多に入れないし。プロミナの迷宮区を探索できたなんて……まるで夢みたいだったわ」


 俺はその迷宮の姿を思い描きながら、静かに言った。

「巨大で、底が見えない迷宮だったな……」



 ガリエルさんはエルナーに視線を移す。

「エルナー、君の魔力キャパシティは私を超えている。正直、刺激されたよ。私も、もっと鍛えなきゃと思った」


 エルナーは少し照れながら笑う。

「そんなことないわ。……でもね、ガリエルの魔素まその流し方を見て気づいたの。

 スィーフィードの洞窟のときは魔素まそ任せに無理矢理、目一杯流してたの。

 だけど、あなたのおかげで、効率よく制御できるようになったの。すごく勉強になったわ」



 その言葉に、ガリエルさんは思わず目を見開く。



「一回見ただけで……覚えたのかい!? 教えてもいないのに!?

 本来なら何年もかかるはずなのに……


 本当に君はすごいね!」



 やがて彼女は口元をほころばせ、満面の笑みを浮かべる。

「ふふっ、なるほど、“歩く魔導図書館”か。センスも才能も一流……これからの活躍、楽しみにしてるよ」


 エルナーも、晴れやかな表情で応える。

「ええ、私もまた、一緒に冒険できる日を、楽しみにしてるわ」



 次に彼女は俺を真っすぐ見据え、にっこりと笑った。

「レフィガーも、期待してる。剣技も度胸も文句なし、センスも抜群。……ほんと、頼もしいよ」



――ガシッ!!


 そう言うなり、突然俺の首に腕を回してきた。



 がっしりホールド。

 逃げ場なし。



 俺は慌てて叫ぶ。

「力強すぎますって! 男の俺が押し負けてるし!(汗」



 すると、エルナーが鋭く突っ込んでくる。



『ちょっと!? ガリエル、レフィガーは私のなんだから!』

 俺の腕にしがみつきながら、ガリエルさんを真剣に睨む彼女。



 ガリエルさんはからからと笑う。

「ん? あはははは! 奪う気なんてないよ、これは友情の証さ!」


 腕を外したかと思うと、今度は俺の背を勢いよく叩いてきた。



「――ほら!」


「ぐおっ……!?」

 よろけた俺につられて、しがみついていたエルナーまで転びかける。


『もーっ! ガリエルったら!』

 エルナーは目を三角にしながら、俺と彼女を交互に睨む。



 それでもガリエルさんは、どこ吹く風だ。


「そうそう。君たちはヨハスに会いに行くんだったね。ザイレムは東方の拠点だけど、王宮はちょっと荒れてるって噂さ。気をつけな。


 私は西方諸国を転々とするよ。

 もし、セグメントによったら、ラルファやナディにも会うかもね。


 じゃ、またな!」



 荒々しく、けれどどこか温かな風のように――彼女は去っていった。



 彼女の背を見送った後、エルナーが俺に詰め寄ってきた。

「絶対にガリエルには渡さないから!」


 俺は戸惑いながら口を開く。

「何言ってるんだよ……(汗」


「大人の魅力に流されたの? デレデレして!」


「いや、してないから! ガリエルさんも“友情の証”って言ってたじゃないか!」


「ほんとに?」

 彼女は俺の腕にしがみついたまま、不安そうな顔で、ルビーのような赤い瞳をこちらに向ける。


 俺はしっかりと答えた。

「ああ、本当にだよ」



 ぱぁっと、彼女の表情が晴れやかに輝く。

 さらに力を込めて、ぎゅっと俺の腕を抱きしめる。



「じゃ、急ぎましょう! 婚前旅行の続きをね♥

 クライムレンジを越えて、東方諸国よ〜💕」



「婚前って……いや、まだ結婚なんて考えてないし……って、おい、話を聞け!!

 おい、腕をそんな引っ張るなってば!」


 思わず、ため息がこぼれる。



 こうして俺たちは「乾きの門」を抜け、プロミナを後にした。

 これから向かうはスィラグナ大陸の中央山脈『クライムレンジ』――難所として知られる地帯だ。



 その先に広がるのは東方諸国。

 乾いた風が吹きすさぶ砂漠地帯。



 そして、目指すは――その奥、巨大で豊かなオアシスに寄り添うように存在するという遺跡都市ザイレム。



スィーフィード・レクイエム Vol.4


 ~迷宮に刻まれし眠詠~ ―完― Vol.5へ続く。――

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【新装版】スィーフィード・レクイエム Mustang_TIS @Mustang_TIS

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