第3章 判断の重さ――後編
3-3 翌朝
3-3-1 レフィガーサイド
目が覚めた。
久々の柔らかいベッドに包まれながら、なんとも言えない幸福感を覚える。
窓から差し込む朝日が暖かくて、穏やかな目醒めだった。
この地、セグメントは魔力量が豊富なせいか、心身の回復も早くて、起きた瞬間からどこか体が軽い。
起き上がると、部屋にお袋の姿はなかった。
気配がないというより、「もう動き始めてる」そんな空気が残っていた。
俺は軽く伸びをして部屋を出ると、足を応接間へと向けた。
そこには、ガルおじさんとナディさんの姿がある。
「レフィガー君、おはよう。よく眠れたか?」
「おはようございます。はい、久々に柔らかい布団で寝られました」
俺が返すと、ガルおじさんは満足そうに頷いて、口元にほのかな笑みを浮かべた。
「レフィくん、おはよう」
ナディさんも変わらぬ穏やかな微笑みで挨拶してくれる。
「今ラルファは、娘の部屋に行ってるわ。
……何を話してるかまでは分からないけど、必要な話は、ちゃんとしてくれてると思うわ」
「そうなのですか」
ナディさんではなく、お袋がエルナーの部屋に。
――昨日のことを思えば、それが自然かもしれない。
魔導研究に関しては、ナディさんよりお袋の方がずっと深く突っ込める。
だからこそ、今、ふたりきりで話してるのかもしれない。
そんなふうに考えていると、ナディさんが明るい声で空気を動かした。
「ラルファとエルナーが来次第、朝食にしましょうね?」
「はい」
俺は軽く頷いた。
すると、ガルおじさんが姿勢を正しながらゆっくりと口を開いた。
「レフィガー君。……ここまでのエルナーの件、本当に感謝しておるぞ」
そう言って、彼は頭を下げた。
続いてナディさんも、ふわりとした口調で言葉を重ねる。
「えぇ。昨日も言ったけど、本当に――あなたがいなかったら、娘はどこに向かったか分からなかった。……」
そこまで言って、ナディさんはふと表情を変えた。
ほんの一瞬、目を伏せて、何かを噛みしめるように間を置いてから――
「……まあ、でも。無事に戻ってこられたことが、一番よね」
そう言って、ふたたび明るい笑顔に戻る。
「それにね、レフィくんが一緒だったからこそ――ここまでちゃんと帰ってこられたのよ?」
俺はその言葉に一瞬沈黙する。
どう返すのが正しいのか、少しだけ迷って――それから小さく息を吐く。
「……エルナーは意志の強い奴ですから。俺がいなくても、ちゃんと帰ってきたんじゃないですかね?」
俺の答えに、ナディさんは小さく笑いながら、肩をすくめた。
「いいえ? そんなことないわ?あの子も――まだ十八歳の女の子よ?
昨日の、あの様子……見たでしょ?」
ガルおじさんも腕を組みながら、静かな口調で言葉を継ぐ。
「娘は、よく育った。けれど……まだ、心が弱いところもある」
「えぇ」
ナディさんが頷く。
「そして、その子がそう育ったのは――レフィくん。あなたの影響も、大きいのよ?」
ナディさんの優しい表情に、俺は少しだけ眉を寄せる。
照れ……というより、うまく返す言葉が見つからない。
「……そうでしょうか」
ナディさんは軽く微笑みながら、椅子にふわりと腰を深く預けた。
「そうよ。レフィくんは小さい頃から自由で、それでいて冷静に物事を見ていた。
何でも自分で判断して進んでいく子だったわ。
……だからこそ、娘も自立心が育ったのだと思うの」
俺は思わず目を
面と向かって褒められるのは、やっぱり照れくさい。
――と、次の瞬間。
「娘はね? レフィくんのこと、大好きだからね~♪
早くお嫁に貰ってくれないかしら♪」
ニコニコ笑顔でナディさんの“いつものアレ”が始まった。
「い、いやー、俺なんてただの剣士ですし。エルナーの相手なら……どこかの隣国の王子の方が、きっとふさわしいかと……?(滝汗」
「何言ってるの? 私としてはね、レフィくんが娘と一緒になってこの国を統治してくれるなら、何も文句なんてないのよ?……そうよねぇ、ファーガル?(微笑」
「い、いや~……レフィガー君のことを悪くは思ってないが、そう聞かれると、わしもちょっと答えに困るというか……?(困惑」
(ガルおじさんがそうなってしまうと、俺ほんとに逃げ道ないんだが)
「私はね、娘の気持ちを一番に尊重したいし。
それにレフィくんは良い子だもの。
本人にその気があるなら、私にとっては何の問題もないのよ?♪」
「俺は……その、まだ世界を見て回りたいっていうか。旅を続けたいんですよ」
「ふふっ、そういうところは――お母さん譲りなのよね。ラルファにそっくりだわ」
ナディさんの言葉に、ガルおじさんも笑いながら頷いた。
「そうだな。ラルファはセグメントにも何度も来ていたが……
なかなか定住はしなかったからのう。
……若くして実力もあったし、わしも父上も、何度も“残ってくれんか”と頼んだものだった」
――こうして、ナディさんとガルおじさんとの談笑は、お袋とエルナーが現れるまで、緩やかに続いていった。
3-3-2 エルナーサイド
早朝。
エルナーはベッドの上で、じっと天井を見つめていた。
夜明け前には目を覚ましていたが、すぐに起き上がることはできなかった。
思考の波が脳裏を巡り、ただ静かに、物思いにふけっていた。
――昨日、取り乱してしまったこと。
話を最後まで伝えきれなかったこと。
それらが彼女の中で、じわじわと自己嫌悪となって押し寄せてくる。
そして何より、魔導書を――あの禁忌を、消し去ってしまったという事実。
その選択が、本当に正しかったのか。
あの場でしかできなかった判断だったのか。
心の中で、自分に問いかけ続ける。
燃やしたことで、恐れていた危険は消えた。
でも、同時に……“可能性”もすべて失ったのではないか?
残されていれば、誰かが解析し、記録し、防げるようになったかもしれない。
……だが、いったん失われてしまった記録は、二度と戻らない。
――取り返しのつかないことを、してしまったのかもしれない。
そんな堂々巡りの中、ただ一つだけ、彼女の胸を温めてくれる記憶があった。
レフィガーが、あのとき優しく頭を撫でてくれた。
あの手の温もりだけが、彼女の中では小さな“救い”だった。
朝焼けが空を染めはじめた頃――
――コンコン。
「エルナー、起きてるか? 入るぞー」
やわらかくも遠慮のない女性の声が、ドア越しに響く。
返事を待つ間もなく、扉が開かれる。
――おそらく“いつものこと”なのだろう。
エルナーは驚かなかった。
「ラルファ、おはようございます」
「あぁ、おはよう、エルナー。
……少しは落ち着いたか?」
「……はい。ラルファ、昨日は……ごめんなさい」
ベッドに座ったまま、エルナーは小さくうつむく。
しゅんとしたその背中に、まだ自問の
ラルファはゆっくりとエルナーのもとへ歩み寄り、ベッドの端に腰を下ろした。
「……いいんだ、気にするな」
そう言って、エルナーの頭をそっと撫でる。
その手はとてもあたたかく、そして、強かった。
ラルファは撫でる手の動きを緩めずに、穏やかな声で語り始める。
「エルナーが寝ついた後も、私たち四人で話してたんだがな」
「……うん」
「結論から言うと、私もナディーネも即答だった。
『あの魔導書は有無を言わさず、その場で燃やす』って回答だ」
「え……?」
エルナーは、わずかに目を見開いた。
「エルナー、お前は――アークリークを呼び出すような魔法が、
今後の研究に必要になると思うか?」
「……無いと思う。だって……呼び出してしまった時点で、
この世界は、消えてなくなるのだから」
「そうだな。その通りだ」
ラルファは軽く頷いた。
「でも、また……同じことをするような人が現れるかもしれないし。
そのことを考えると……」
エルナーの毛布を握る拳に少し力が入る。
「それも分かる。でもな、
私もナディーネも、そういうものは――“研究する前に、誰の手にも触れさせないこと”が一番安全だっていう立場だ」
「……そう……なのですね。じゃあ……私は、間違えてなかったのですね……」
「ああ。“正しい選択”だ」
エルナーは、静かに頷いた。
「……ありがとう、ラルファ」
そう言って、そのまま彼女にそっと身を寄せる。
顔を伏せるようにして、また一筋、涙がこぼれた。
けれどその涙は、昨日のような怒りや悲しみからではなかった。
――母と師、どちらも自分と同じ判断を下していたこと。
その一致が、確かな安心をもたらしてくれた。
そして――
その師から、迷いのない口調で「正しかった」と断言してもらえたこと。
それは、エルナーにとって格別な意味を持っていた。
“信頼し、学んできた人”の背中と、自分が歩んだ答えが重なっていた。
それが何よりもうれしくて、ようやく『自分の信念は間違っていなかった』と胸を張れる気がした。
心の奥深くに絡みついていた不安が、すっとほどけていくようだった。
「まあ、強いて言えば、私とナディーネの回答は、エルナーのように問いかけることもなく――
『即、焼き捨てる。』だったがな(笑」
ラルファは、お得意の胸を張り勝ち誇った顔で、歯を見せるように笑った。
だがその笑みを一拍で納め、ふっと息を整えるように語調を落とす。
「なあ、エルナー。
魔導士――いや、人が“力”を持つというのは、常に“正しさ”と“危うさ”の狭間を歩くってことだ。
私だって、一歩間違えれば、誰かを傷つけていたかもしれない。
魔法も武器も、守ることができる反面、壊すこともできる。
だからこそ、排除できるリスクは、できるだけ早く取り除く――
今回のお前の判断は、まさにそういうことだったんだよ」
エルナーは、ただ静かにうなずいた。
「……はい。わかります。
そういう光景、日常の中で、よく見かけてきたので」
「そうか。“私も”だ。
だからこそ、力も知識も、“正しく使える自分”でありたいと思っている」
「……はい」
エルナーの返事は真っすぐだった。
わずかに涙の跡を残したまま、それでもその瞳は、しっかりと前を向いていた。
「……ありがとう、ラルファ」
静かにそう言って、エルナーはラルファに身を寄せた。
そのまま、彼女の胸に顔をうずめるようにして――また一筋、涙がこぼれ落ちた。
けれどそれはもう、
3-4 再び応接間へ
エルナーとお袋が、応接間へやってきた。
「父様、母様、それにレフィガー。おはようございます」
エルナーは昨日までの
これが、セグメントでの“普段の彼女”だ。
俺も、どちらかというと旅人スタイルの彼女より――この“お姫様スタイル”の方が見慣れている。
正直、ほっとした。
「エルナー、おはよう」
「エルナー、おはようございます」
「おう、おはよー」
ガルおじさんもナディさんも、そして俺も、それぞれが声をかける。
けれど、その瞳を見て皆が思ったに違いない。
――もう、昨日までの迷いや不安はそこになかった。
彼女の瞳には、
「みんな、昨日は取り乱してしまって……ごめんなさい」
「いいのよ? エルナーはまだ経験も浅いんだから(微笑」
ナディさんが穏やかに微笑みかける。
「ラルファとは、ちゃんと話できた?」
「はい。たっぷりと」
エルナーの返事には、迷いがまったく感じられなかった。
ただ明るく、まっすぐに笑っていて――それが彼女の“答え”だったんだと思う。
「昨日の、あの後のことは……大体伝えておいたわ」
お袋があっさりそう言うと、ナディさんが一つうなずく。
「なら、何も私からは言わないわ。ねえ、ファーガル?」
「うむ。ラルファが話してくれたのなら、それで十分だ。わしからも何もない」
「それなら、さっそく朝食にしましょう。話の続きは、それからよ♪」
ナディさんが明るく言って、流れるように立ち上がる。
俺たちは自然とそれに従って席を立ち、食卓へと歩き出した。
あの夜が明けたことを――俺たちはようやく実感として受け入れ始めていた。
3-5 朝食後
「さて、今後の話だが――どうする?」
朝食を終えて落ち着いたところで、ガルおじさんが静かに切り出した。
「まずは、魔導士協会に事の経緯を報告ね。
エルナーの報告書にはすでに目を通したけど、内容としてはこれで問題ないと思う」
お袋がそう言って、資料をテーブルに置いた。
「一応、ナディーネも目を通してくれるかい?」
「ラルファがそう言うなら、たぶん大丈夫だとは思うけれど
――ええ、私も見ておくわ」
ナディさんが笑みを浮かべて応じた。
「……エルナー、これだけの報告書、よく作り上げたな」
お袋がやわらかくエルナーを見つめる。
そのまなざしには、ほんの少し誇らしさが混じっていた。
「師が……いいので」
エルナーも、照れくさそうに笑ってみせた。
そこにあったのは、真っすぐな信頼。
「じゃあ、順調にいけば、今日の午後には魔導士協会か?」
「そうね。情報の公開は一刻も早い方がいいわ。
協会に報告が届けば、魔導回路を通じて、
世界中の
迅速に動けるはずよ」
「こういう話は、下手に伏せると変な噂だけが走るから――
正しい情報を、最初から出しておく方がいいものね」
ナディさんも、落ち着いた声でうなずく。
「ええ。混乱を防ぐためにも、できることは先手先手で打っておきたいわね」
3-6 昼過ぎエルナーの部屋
――コンコン。
「開いています、どうぞ」
控えめなノックにそう応じると、ガチャリとドアが開いた。
入ってきたのは、ナディーネだった。
「報告書のチェックは完了しました。問題は見受けられないわ」
「確認ありがとうございます、母様」
「今から魔導士協会に向かうの?」
「はい。同行してくれると言ってくれているレフィガーと、ラルファも待たせていますので!」
エルナーは元気よく、迷いのない声でそう答えた。
ナディーネはそっとエルナーに歩み寄り、やさしく抱きしめる。
その腕の温もりとともに、やわらかな言葉が降りてきた。
「エルナー。……ラルファから聞いたと思うけど、あなたが出した答えは、間違っていなかったと思うわ。
大丈夫。あなたのまわりには、たくさんの理解者がいる。
胸を張って、魔導士協会へ行ってらっしゃい」
そして、抱きしめたときと同じように、ゆっくりと、そっとその手を放す。
「母様。ありがとうございます。行ってきます」
もう、涙も震えもなかった。
エルナーは――いつもの、
たった一晩の出来事で、彼女は、大きく“大人”へと成長したようだった。
報告書を手にしたエルナーは、軽やかに部屋を出ていく。
廊下を歩いていくその小さな背中を、ナディーネは静かに見送っていた。
そのときの彼女の表情は、いつも以上に、やさしくやわらかかった。
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