第3章 判断の重さ――前編
3-1 決断と葛藤
「先に、謝っておくわ。……ごめんなさい。
ラフィールの机にあった、アークリーク召喚に関すると思われる魔導書……
わたし、独断で――消し去ってしまったの……」
その言葉が落ちた直後、応接間には重い沈黙が降りた。
誰も何も言わなかった。その静けさが、逆にエルナーの決断の重大さを物語っていた。
俺はやがて口を開いた。
「……エルナーの独断じゃないだろ? 俺たちにも、確認は取ったよな」
けれど、エルナーは小さく首を振る。
「確かに、魔導士協会に持ち帰るか、無かったことにするかを――周りに問いかけはしたわ。
でも……答えは、分かっていたのよ。
聞いたその時点で、自分の中ではもう……決めてた。
その上で、形式的に問いかけて……燃やしたの」
声を震わせながら、目元を押さえる。
けれど次の瞬間、張り詰めていたものがぷつりと切れたかのように――
「
研究者だからって理由じゃない!
持ち帰って、誰かがまた見つけたら……!
もし、誰かが同じことをやろうとしたら!?
そう考えたら……あのままにしておけなかった……!!
私、消したの……燃やしたの……自分の手で……!」
拳をぎゅっと握りしめ、言葉を絞り出すエルナーの瞳には、もう涙が浮かんでいた。
「ラフィールって人に――私は、会ったことがなかった。
私が知っているのは、彼の“
でも! 同じ魔術士で、同じ魔導研究者で……同じ、人間で!!
人間なら……誰だって過ちを犯すこともあるって、わかってるわ!
でも、でも、でも!! 絶対に、あんな研究だけは……許せなかったの!!!!」
感情が決壊して、語尾が震えながら荒れていく。
それでもなお、彼女の声は怒りと恐怖を抱えたまま突き進む。
「でも……ほんとは、持ち帰って調べるべきだったのかもしれない。
誰かが対処方法を編み出せたかもしれない。
私がやったことは……間違ってたのかもしれない……。
一時的な……感情だったのかもしれない……!」
そこまで言い終えたとき、彼女の肩は小さく震え――そして、
「レフィガー……怖かった。
ほんとうに、怖かったの……っ……!
…………
……うわぁぁぁぁぁん!!」
彼女は俺の胸にしがみつき、声をあげて泣き崩れる。
その涙も、声も、体の震えも――言葉以上に真実だった。
俺にできることなんて、たったひとつしかない。
静かに、彼女の頭に手を置いて――その髪を、ゆっくり撫でてやることだけだった。
3-2 号泣その後
少し時間は経過した。
旅の疲れもあったのだろう。
俺の腕の中で泣きじゃくっていたエルナーは、そのまま眠ってしまった。
そっと抱きかかえ、彼女の部屋まで運び、ベッドに寝かしつけてきた。
そして俺は、再び応接間に戻る。
集まっていたのは先ほどと同じ――俺、お袋、ガルおじさん、ナディさん。
最終的な結論が出るまでは、これ以上メンバーを増やすわけにはいかない。
今はこの小さな輪で、詰められるところまで詰めておくべきだ。
そんな中、最初に口を開いたのはナディさんだった。
「まず、レフィくん。……多分、娘一人じゃ途中で心が持たなかったと思うの。
ここまで一緒にいてくれて……本当にありがとう」
隣でガルおじさんもうなずく。
「わしからも礼を言う。……娘があそこまで追い込まれている姿は、はじめて見た。
レフィガー君がここまで連れてきてくれたこと、心から感謝する」
「……いえ。ガルおじさんも、ナディさんも、頭を上げてください」
慌てて俺は手を振った。
「むしろ俺自身……頭の中では、エルナーならきっとこう思ってるだろうなって、うすうす気づいてたんです。
なのに、それをちゃんと聞いてあげることもできず……
気づいていながら、ここまで来てしまった。
もっと早く……声をかけてやれていたら。
あんなふうに追い詰めるまでにならずに済んだかもしれない」
言い終えた俺に向かって、お袋がひょいと肩をすくめる。
「なに言ってんの?
女心が分かりもしないあんたに、そんな“器用なこと”できるわけないでしょ?
……ナディーネとファーガルの前で言うのもなんだけど――
途中で泣かせるより、ずっと良かったと思うわ?」
そして、ちらりと笑って言い足す。
「それにね……まあ女の心理としては、聞かずにそっとしておいてくれたのは――正解よ?」
「えぇ、そうね」
ナディさんがお袋に同意して頷く。
「無事に、エルナーが帰ってこられた。それが何より大事なことなの。
あの状態の彼女を、ここまで導いてこれたのは――
きっと、幼なじみのレフィくんじゃなきゃ無理だったわ」
「……そう、なんですかね」
ここまで肯定されるとは思ってなくて、正直ちょっと戸惑う。
けれど、空気を切り替えるようにガルおじさんが前傾になり、話を切り出した。
「それより……今後のことをどう考えるか、だな」
「そうねー」
ナディさんが顎に指を添えて考えるように言葉を続ける。
「一連の件、遅かれ早かれ噂にはなるわ。
むしろ、そうなる前に魔導士協会にはきちんと報告を入れておくべきでしょうね」
「問題は――“消えた魔導書”よね」
お袋がぽつりと呟く。
「エルナーが燃やしてしまったとはいえ、それは“残るかもしれなかった不穏な種”だったわ」
「そうねー」
ナディさんが柔らかく答える。
「世の中にはいろんな魔導士がいるから、
あの魔導書を“見てみたかった”って思う人も、それなりにいるでしょうしねー」
――ここまでくると、もう俺に口を挟む余地はない。
俺は魔法が多少使えるけど、本分は剣士で、しかも
魔導士協会には属していないし、過去に所属していたことすらない。
お袋の背中を追ったこともなかったから、この話題はまるで異国語に聞こえてくる。
「ちなみに……ひとつ尋ねるが」
ガルおじさんが、ゆっくりと周囲を見回して問いかけた。
「ナディーネ。……そしてラルファ。もし――おぬしらが、エルナーと同じ立場に置かれたとしたら。どうしたと思う?」
お袋が椅子の背に軽く肘をかけながら、にやりと口角を上げた。
「――
対するナディさんが、紅茶を
「周りに聞くまでもなく……」
『燃やすわ!』
ぴたりと重なった声が、空間の温度を一気に跳ね上げた。
そのあと、ふたりは息を合わせたまま、ほとんどリズムで言葉を続ける。
お袋の声は、ため息交じりに。
「エルナーも言ってたように、あれは禁忌中の禁忌よ?」
ナディさんの声は、どこまでも穏やかに。
「魔導士協会には野心家も多いんだから、危険な魔導書なんて持ち帰らない方が正解なのよ?」
『そんな危険なもの、魔導士協会に持ち帰ろうとか言う方が気が狂ってるわ!!』
いや、いま完全にハモってたよねこの人たち……。
どう見ても打ち合わせなしで打ち合わせ済みみたいな圧がある。
お袋が、肩を揺らしながら言う。
「エルナーにはね? 結構厳しく魔導教育を叩き込んできたつもりだったのよ。……まだまだ若いわねー?(笑」
ナディさんも、いつもの笑みを深めながら応じる。
「何言ってるのよ。エルナーはまだ十八歳よ? 若いに決まってるじゃない。
女は度胸って言うけど――結局は場数なのよ(微笑」
「…………(゜д゜)ポカーン@ガル」
「…………(゜д゜)ポカーン@レフィ」
俺とガルおじさんは同時に言葉を失った。
なんだこの“母ズ無双”……。
「だ、だが……その、さっき“燃やしたことが問題になる”とか、そういう話も……」
困惑しながら、ガルおじさんがなんとか質問を返そうとする。
「そんなの言わせとけばいいのよ」
ナディさんが軽く笑う。
「誰かが手にする危険があるのなら、消してしまうのが一番安全なの」
「そうそう。ちゃんと“間違ってないのよ”って伝えるつもりではあったんだけどねー?」
お袋が肩を揺らしてケラケラ笑う。
「ほら、勝手に感情的になって息子に泣きついてるの見たら……
そのまま見守るほうが面白そうだな~って思っちゃってねー?(笑」
あれ?、なんか……俺の第六感が震えてる。これはもうダメなやつだ。
この空気……完全に俺に向かって“何かが飛んでくるぞ”って言ってる。
ナディさんが、まるで娘の
「かわいらしいわよねー? ああやって男は落ちるのよ?(微笑」
すると、お袋がティーカップを口元に運びながら――
「息子よ? エルナー、可愛かっただろ?(笑」
(や、やっぱり!、ほ、矛先がこっちにやってきたーーーー!!)
俺の中で危険信号がフル点灯する。
お袋は音もなくティーカップをソーサーに戻すと、そのままスッと立ち上がる。
そして、音も気配もなく――俺の左肩へ、そっと手を添えた。
『ひぃ~~~~ッ!!』
背筋を氷柱でなぞられたような悪寒が走り、その直後、冷や汗が背中をつたった。
「エルナーは、ちょっと狙い方がストレートすぎるのよねー」
そう言って、ナディさんもティーカップを静かに置き、立ち上がってこちらへ向かってくる。
「ああいう“弱み”を見せてあげる方が、男はコロっといくのにねー?(微笑」
(ヤバい。これは絶対にやばい……!!)
お袋が俺の顔をじっとのぞき込んで、不敵ににやりと笑う。
「で? どうなの?(ニヤリ」
「ど、どうなのとは……なんの話でしょうか……?(滝汗」
とぼける俺の正面に、ナディさんが静かに立ち、今度は俺の右肩にそっと手を置いた。
『ヒィッ!!』
俺もばや俺の背筋は冷や汗どころか汗が氷り粒の状態で噴き出してるというレベルで一気に冷え込む。
氷結魔法でも放たれてるのかな?。
(……これはもう逃げられないのか? いや、俺は逃げるぞ)
全力で
お袋は「この『ヘタレ』め」と言いたげな呆れ笑いを浮かべ、
ナディさんは一瞬「あらあら」と困ったような顔をするが、
すぐ“いつもの”微笑みに戻る。
――このタイミングでナディさんが“いつもと同じ微笑み”なことが俺には返って『恐怖』だった。
ガルおじさんは、ずっと目をそらしたまま、何も言わなかった。
助け船を期待した俺が間違いだった。
「まあ、あの子も明日の朝には目を覚ますでしょう。二人とも、今日はここに泊まっていきなさい」
ナディさんが、ひとときの“攻勢”を締めくくるようにそう告げる。
こうして――深夜まで続いた話し合い。
いや、“俺への拷問”は、ひとまず幕を下ろすことになった。
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