第2章 報告書、その行先……

2-1 セグメント王宮内、応接間


 セグメント王宮の応接間。ヨルネ家に用のある客人しか訪れない静謐せいひつな空間である――。


……のはずなのだが、今日も、いつも通りの賑やかな魔法大好き女子二名による――

 “聖域魔導お茶会”が開催されていた。


「――こうすることで術式を抜けて、魔力増幅が強化されるわけよ」

「そうなのね。でも、それって黒魔術限定よね? 白魔術には応用できないのかしら?」

「白魔術は魔力の伝達が違うけれど、例えばここをこうして、この術式をこの位置に置けば――」

「ふむふむ」


 応接間のテーブルには魔法陣の設計図がいくつも広げられ、ペンが軽快に紙の上を走るたび、緻密な構造が次々と描き出されていく。見つめるその瞳も真剣そのものだった。



――コンコン。



ノックの音で、魔導談義はひとまず中断された。


「どうなさいましたか?」


「エルナー様がレフィガー様を連れてご帰還なさいました。

 伝令によれば、ファーガル王、ナディーネ女王、ラルファ様への報告があるとのことです。

 まもなくご到着されます」


「分かりました。ファーガルもこちらへ呼んでくださいな」


「ハッ! かしこまりました!」


 兵士が退室したあと、ティースプーンがコトコトとカップの内側で音を立てる。


「レフィくんとは途中で出くわしたのかしら?

 これはいよいよ婚約の報告かしらねぇ?

 私はそうだと嬉しいのだけれど♪」


 ちらりと隣を見やると、カップを置いた手がクスッと笑いを漏らした。


「私もそうだと良いと思うのだけれど、

 うちの息子は『ヘタレ』だから、望み薄よねぇ?(笑」


 そう言って、くるくるとティースプーンを回し、歯を見せて笑っている。


 その瞬間、扉がゆっくりと開かれた。


「なんだか、二人で楽しそうに話をしておるなぁ……」


「あら、ファーガル、もう来たのね。レフィくんがエルナーの旦那になってくれるなら、いい話じゃない?」


「わしからしたら、そういう話は……ちと複雑な気持ちになるんだが(汗」

 苦笑いを浮かべながら、王が小さく肩をすくめる。


 一瞬、反応が止まる――が、ラルファは『やっぱり来たか』と言わんばかりに肩が揺れ、背もたれへ勢いよく倒れ込んだ。

「っっはははっはっはっはっ!!」


 誇らしげに胸を張りながら爆笑して、指を向ける。


「ファーガル、安心なさい。うちの息子よ?

 エルナーからあれだけのアプローチを受けているのに、全然受け入れようとしないんだから、

 絶対にそんな話じゃないわ!(笑」


 その様子を見て、ナディーネがティーカップを音を立てずに戻しながら、肩をひとつすくめる。


「そうよねぇ。やっぱりレフィくんは逃げ続けるタイプよねぇ?

 なら、いっそ今ここで結婚式の準備でも始めちゃう?」


 イタズラっぽく視線を向けられ、今度はさらに爆笑が広がった。


「いや、無理よ! さっきも言ったけど、本当にうちの息子は『ヘタレ』だから!!

 この話になった瞬間、“神速しんそく”で逃げるわ!(笑」


「……あなた、それでいいの?」

「……おぬし、それでいいのか?」


 二人の声がぴたりと重なり――

 顔を見合わせた次の瞬間、同じタイミングで大きなため息が漏れた。



そのタイミングで、レフィガーとエルナーが応接間に到着した。



「ア、アノ……アナタガタ ハ、…… ナンノ、オハナシ ヲ シテイルノ デショウカ?……(滝汗」

 足を踏み入れた瞬間、嫌な予感しかしない。


 さっきからうっすら聞こえていた会話の内容――

 どう考えてもツッコむ隙なんて、微塵もなかった。


「まあ~♪ レフィく~~ん、エルナーの警護ありがとうねぇ♪

 エルナーったら相変わらずだから、別の意味で大変だったでしょ~~?♪」


(はい、本当に……。さすが生みの母。すべてを理解されている……)


「父様! 母様!! ただいま!!

 そして、ラルファもこんにちは!!!


 そうよね、やっぱりレフィガーは今すぐ私と結婚するべきですよね!!!」



(……へ?)

 ツッコミを入れる精神力が立ち上がる前に、

 暴走列車は加速を始めていた。


「さーっ、レフィガー!! 私の両親は公認よ!!

 ラルファ!! 私にレフィガーをください!!」


 その瞬間、テーブルにバンッと手をつき、ぐっと前のめりになる。

 声量はさらに倍増――空気の支配権は完全に彼女のものになった。


「私はエルナーが息子をもらってくれるなら文句はないけど


 ……その挨拶、普通は男がするものよね?(汗」


 あれだけフリーダムなお袋ですら、すでに混沌に呑み込まれている。


「え? えぇ?

 ……わし、まだ何も答えておらん……(困惑」

 ファーガルは眉尻を下げ、乾いた笑みで宙を見つめている。


 その横、俺はというと――冷や汗を垂らしながら視線を虚空に泳がせていた。

(もはや、俺の意思なんて関係ない……誰か助けてくれ)


 女子トークは暴風域に突入し、


 俺とガルおじさんはただただ困惑することしかできなかった。


2-2 報告、事の流れ。


 あのあともしばらく、女性陣によるうたげは続いた。

 ようやく話が落ち着き、空気が静まり返ったところで、ついにお袋が真顔になった。


「さて、レフィガー、エルナー? 何があった?

 私まで呼ぶように言ったぐらいだから、ただごとではなさそうね」

 お袋が鋭い目つきで、まっすぐこちらを見据えてくる。


「えぇ、まずは経緯から説明するわ」

「じゃあ、エルナーが来るまでの流れは俺が話す」

 俺とエルナーは、ランブルクで起こった出来事を順に説明していった。


 そして、話は徐々に核心へと踏み込んでいく。


「魔族のような姿をした者の正体は、ランブルク王国の副魔導士長ラフィールだったわ。

 彼が魔導研究の末に生み出した召喚術を唱えた結果、彼の身体からだは“召喚した存在”に完全に支配されてしまった。


 おそらく、召喚が完了した時点で彼のスピリットウォールに魔族が入り込み、スピリットソウル――魂は喰われたと思われるわ。

 つまりその時点で“ラフィールという人格”は、肉体だけを残して消え去っていると思うわ」


「それは……珍しいケースね」

 お袋がペンを置き、少し姿勢を正して話し始めた。


「普通、召喚魔法というのは――魔力で“はこ”を作り、それをスピリットウォールの代用にして魂を収めることで成り立つの。

 魔力を依り代にして“精神体”を作って、そこに対象の魂を埋め込む。

 その“はこ”のエネルギーが変質して姿を持つのが、召喚された存在の『形態かたち』よ。


 でも、それを他の生物や人間の肉体に直接流し込めば『憑依ひょうい』。

 死体に入れれば『ゾンビ』。

 造形物や人形に入れれば『ゴーレム』になるわ。


 全部、魔力で形成されてるから、スピリットウォールより不安定で崩壊しやすいの。

 ……そのラフィールがやったのは、おそらく『憑依ひょうい』の部類ね」


「彼は、聞いたことのない……たぶん、魔族語と思われる言語で呪文を唱えていたわ。

 構成は単純で、同じフレーズをひたすら繰り返すような詠唱だった。

 防御魔法を多段で展開するような感じでもなかったわ……。


 たぶん、“自分自身のスピリットウォールの内側に封じ込める”ような術式だったんだと思う」


「召喚者自身を“うつわ”にするタイプ……。それは、かなり危険な奴ね。

 普通、そんな術式を使おうとはしないわ。――いったい、何のために?


 何かしら、“異様な執着”でもあったのかしら……。


 ところで、召喚されたのは従来の神獣や魔族とは異なる新種だった?」



 お袋に問われた瞬間、エルナーが一度だけ小さく顔をしかめる。

 そして、ほんの少し間を置いて――


「……魔竜神まりゅうじん……。


 魔竜神まりゅうじんアークリークよ」



――『!?』



 俺とエルナー以外の全員が、驚愕きょうがくの表情を浮かべ、言葉を失った。


 静寂を破るように、ガルおじさんが前のめりに問いかける。

「アークリーク……!? 魔竜神まりゅうじんアークリークだと?

 本当に……そやつは、“本物”のアークリークだったのか?」


 エルナーは、ひと呼吸置いて答える。

「アークリークになんて遭ったこともないし、本物だったかどうかなんて分からないわ。

 でも、ラフィール本人はそう名乗っていたわ。


 それを証明できるかは分からないけど……レフィガーのソウルドラグナーの一撃が致命打になって、

 アークリークは消滅したようだったわ」


 俺も、あのときの言葉を思い返して続ける。

 「……確かに、奴はぎわに『あの人間の剣が……』とか、

 『スィーフィードがまた邪魔をした』とか、そんな言葉を漏らしていたな」


 それを聞いたガルおじさんが、腕を組みながらゆっくりとうなずいた。


「セルキナー家に代々受け継がれる聖魔法剣せいまほうけんソウルドラグナー……。

 伝承によれば、あれは神竜神しんりゅうしんスィーフィードの牙が変化したものとも言われている。


 もしそれが事実なら……今回の出来事は、伝説そのものと地続きになるかもしれんな」


 そのまま、エルナーが話を引き取る。


「ただ、ラフィールが放っていた“黒い矢”は――たぶんダークサイド系の黒魔法。

 範囲こそ広かったけれど、威力はそこまでではなかったわ。

 少なくとも、アークリークの力が本物なら、あの比じゃなかったと思う」


 その言葉に、お袋の表情がふっと引き締まる。

「なるほど……彼の魔力キャパシティは、そこまで高いものではなかったのだな?」

 そう問い返す声には、手応えを探るような抑揚よくようが混ざっていた。


「えぇ」

 エルナーが肯定するように続ける。


「ランブルク王や宮廷魔導士たちの報告を見る限り、

 魔素まそ量は宮廷の中でも平均的なレベルだったわ」


「ふむ……そんな程度の“うつわ”じゃ、アークリークのような存在を召喚して保持できるはずがない。

 ……だから、“本人の魂”を依り代にした。そういうことね」

 お袋が静かに、しかし確信をもって言い切った。


 俺も思い返しながら口を開いた。

「そういえば……あいつ、“この世界に戻ってきた”とか、“自分の身体からだのひとかけら”とか、意味深なことを言ってたな」


 その言葉を受け取るように、エルナーが小さくうなずく。

 そして、少し間を置いてから続けた。


「魔力が足りなかったせいで、力を集める必要があったのでしょうね」


 そう語る横顔は、冷静で、どこか寂しげだった。

 さらにひと呼吸置いて、彼女は言葉を重ねる。


「だから彼は――“黒い幕”を張ったの。


 ……おそらくあれは、周囲からスピリットソウルを吸い上げるための術式。

 アークリークが力を取り戻すための“結界”だったのだと思うわ」


「つまり、こういうことかしら」

 お袋が椅子に深く座り直し、全員へ向けて語るように言葉を重ねた。


「ラフィールはアークリークの召喚を試みたけど、自分の魔素まそ量では“うつわ”として足りなかった。

 だから、自分の魂を依り代にして、“アークリークが意識を持てる程度”の召喚に成功してしまった。


 でも当然、それだけでは不完全だったため、残りの力を補うために――

 周囲の人間のスピリットソウルを喰らい始めた。


 レフィガーたちが目撃した“黒い幕”の正体は、おそらくそれね。

 しかも、魔族は恐怖に染まった魂を特に好むというしね」


 その流れに乗るように、ナディさんが紅茶をそっとテーブルに戻し、

 体を少し乗り出して穏やかに語り始めた。


「人間の魂は、肉体に宿ってこそ安定するものよ。

 体内に小さなスピリットウォールが形成されて、その中にスピリットソウルが閉じ込められることで、“人”という固定形態が保たれるの。


 スピリットソウルは、肉体の制御や固有性の維持には使われるけれど――

 それ単体じゃ、記憶も意思も、魔力の構築もできない。


 肉体と結びついて初めて、人は“人として”存在できるわけ」


 そこで少しだけ言葉を切り、視線で全員を見回してから語調をわずかに強めた。


「でも、魔族は構造が“逆”なのよ。

 記憶も、思考も、知性も――すべてをスピリットソウルの“内部”に構築しているの。


 強力で巨大なスピリットウォールを形成して、その中に“自分という存在”をまるごと詰め込む。

 だから、肉体がなくても彼らは意思も知性も保ち続けられるのよ。


 人間の魂の収める場所スピリットウォールのことを“はこ”と言うに対して魔族の魂の魂の収める場所を“うつわ”というのはそこからきているわ」


 そして、まるで読者に本を読み聞かせるような声で、静かに結論を落とす。


「ただし、そのままだと魔力が外へと漏れてしまうから――

 魔族は、肉体という“壁”を作って、それを押さえ込むのよ」


 そこまで語って、ナディさんは一度だけ静かに目を伏せる。

 再び顔を上げたとき、その声は芯のある静けさをまとっていた。


「魔族は、『魂の“うつわ”』であるスピリットウォールを大きくすればするほど、取り込める情報や魔素まそ量が増える。

 だからこそ、自分の“うつわ”を拡張するために、他者のスピリットウォールを――喰らうの」


「……ほぅ? それは私も初耳の話だな」

 お袋が小さく笑いながら、腕を組み、どこか楽しげな目でナディさんを見つめていた。


 ナディさんが、静かに言葉を継いだ。

「そうでしょうね。

 まだ未完成の研究で、白魔導士協会の中でも一部しか知らない情報だから。


 つまり魔族は、“魂を喰らう”のではなくて――

 “スピリットソウルを閉じ込めるために必要なスピリットウォール”そのものを取り込みたいのよ」


 彼女の視線が、テーブルの一点に落ちる。


「今回のケースで言えば……

 アークリークが“ラフィールの魂を喰らった”のではなくて、

 “ラフィールの魂をスピリットウォールから追い出して、

 そこにアークリーク自身のスピリットソウルが収まった”ということになるわ」


 お袋が、眉をわずかにひそめながら問い返す。

「……つまり、どういうこと?

 それなら、魔族が“恐怖した魂を好む”必要なんてないと思うのだけれど?」


 ナディさんは、少しだけ苦笑しながら首を振った。

「ここから先は、まだ研究段階の仮説になるのだけれど――


 怯えるってことは、“魂が震える”ってことなのよ。

 つまり、スピリットソウルが暴れるような状態になるの。


 そうなると、スピリットウォールが不安定になって壊れやすくなる。


 結果的に、“吸収しやすい状態”になる。

 もしくは、一度に取り込めるスピリットウォールの“容量”が増す可能性もあるわね」



 そこまで聞いて、ガルおじさんが小さく咳払いをして、話の空気を正す。

「……とりあえず、話がだいぶ専門的な方向へ逸れてきておるが……


 アークリークが召喚され、ソウルドラグナーで討たれたことで危機は去った――

 そういう理解で良いのだな?」


顛末てんまつとしては、そうなるわね」

 エルナーが静かに肯定する。


 それを聞いたガルおじさんは、ようやく安堵あんどしたように、胸の前で手を重ねて息をついた。


 だが――エルナーは、そこに被せるように口を開いた。

「でも、話は……まだ終わってはいないわ」


「……まだ何かあるのか?」

 ガルおじさんが顔を上げる。


「先に、謝っておくわ。……ごめんなさい。


 ラフィールの机にあった、アークリーク召喚に関すると思われる魔導書……

 わたし、独断で――消し去ってしまったの……」


 エルナーはわずかに肩をすくめ、まるで自分を責めるように、声を絞り出していた。

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