Vol.2 ~判断の重さ~

第1章 向かう!行き先は神聖都市セグメント!!

1-1 帰ってきた、故郷への帰還


 あのランブルク王国の騒動から、五日が過ぎた。

 その間に、王の主導で城内の状況確認と死者の身元調査が進められ、混乱もひとまずの収束を見せた。

 エルナーは王城に滞在しながら、今回の一件を魔導士協会へ報告するための文書をまとめ、俺も必要な応対を終えて――今、ふたりはセグメントへの帰路についている。


 王都は表向きには落ち着きを取り戻していたが、ラフィールに関する情報は最高機密とされ、あの場に居合わせた者たちには箝口令かんこうれいが敷かれた。

 けれど、兵士も医療班も現場にいた。


――情報がれるのは、時間の問題だろう。


「尾ひれ背びれがついた噂で余計な混乱を招くのを避けたいだけ。私の報告が届くまでもってくれればいいのよ」

 二人きりのとき、彼女はそう言っていた。


 その言葉を思い出して、俺は言葉が少しずつ減っていく。


 本来なら、帰郷はもっと違う感情で満たされていたはずだった。

 エルナーにとっても、そして俺にとっても。



 だけど――今は、そんな時じゃない。


 たくさんの命が失われた。

 そして、世界で“最も危険な神”とされる魔竜神まりゅうじんアークリークが――その一部とはいえ、確かに復活してしまった。


 もし、もう一歩だけ判断が遅れていたら……

 もし、俺たちが持っていた力がなかったら……

 世界は“無の混沌”へと、確実に落ちていたかもしれない。


 あのときエルナーは、アークリーク召喚に関する魔導書を燃やした。


 そして言ったんだ。

「こんな危険なものは、置いておくことも持ち出すことも許されない。


 結局のところ、“なかったことにする”しかないのよ」


――それは、ただの破棄じゃない。


 あのとき彼女は、「世界を危機におとしいる知識すら、守るに値しない」と判断した。

 魔導士協会の上層部がどう考えようと、王族としての立場がどうあろうと――彼女自身の意思として。


 決して、“あの場の秘密”を隠すことが目的じゃなかった。


 セグメントに戻れば、彼女は必ずすべてを報告するだろう。

 それが立場であり、そして――彼女の信念だから。



 それでもなお、彼女は“焼いた”。


 報告書に載せる前に……。

 記録の形を残す前に……。



 ただ一人の判断で、禁忌の魔導書を、跡形もなく……。



 もし、あれが正確な召喚式の写本だったとしたら……?

 それを協会が“知の遺産”として保管すべきだったとすれば?


――あのとき、彼女は俺にいた。


「どうすべきか」と。


 何を求められていたのか、本当のところは今でも分からない。

 けれど、あの問いはずっと胸に残っている。


 それだけで、十分すぎるほどに重い。



ガシッ!!



 そんなことを考えていた矢先、突然エルナーが俺の腕にしがみついてきた。


「レッフィッガー? な~に考えてるのぉ?」


 無邪気な笑顔で、まっすぐに見上げてくる。

……この子は、あの出来事が怖くなかったのだろうか。


 だけど、そんな軽々しいことは口にできない。


 とっさに、適当な言葉を見繕って返す。

「なーに。この前エルナーも言ってただろ?ここ最近全然帰ってなかったから、何言われるかなーって思ってなぁ」


 ため息交じりに手をあげると、エルナーがぱぁっと笑った。


「なーんだ、そんなことぉ? 大丈夫よ!!

 私が『レフィガーを連れ戻してきたから今夜にでも結婚式を挙げましょう!!!』って言っちゃうから、レフィガーはおとなしく私の旦那になりなさい?」


「ますます帰るのが嫌になった。今から俺は別の旅に出るから、ここからは『別行動』ってことでいいか?」


「ちゃんと護衛してくれるって言ったのはレフィガーじゃなーい?♥

 今更キャンセルなんて、さすがに許さないわよ♪」


 そんなふうに軽口を叩き合いながら、俺たちは街道を歩き続けた。



 歩き始めて二日目の昼過ぎ――



 見覚えのある景色に差し掛かり、やがて遠くに大きな壁が見えてきた。

 目指す目的地――神聖都市セグメント――が、いよいよ目前に迫っていた。


「レフィガーが帰ってきたのって、いつぶりだっけ?」

「前回の大会の時以来だから……そうだな、十ヶ月ぶりくらいか?」

「そうよねー! あのときも相変わらず圧勝だったわね、さすが私の旦那様♥」

「だーかーらー、婚約した覚えもないんだから、エルナーの旦那ではないと何度言えば」


 本当に、彼女はいつもこんな調子だ。

 冗談半分なんだろうけど、俺のことを好きすぎる。

 お姫様なんだから、どこかの名家や隣国の王子と結ばれるのが“正解”ってもんだろうに。


 でも、いかんせん俺に夢中すぎて、他の男と浮いた話がひとつもない。


 血筋も名声も申し分なく、才能も魅力も天井知らず。

 魔法の才覚、知識、魔素まそ量に至るまで飛び抜けていて、それでいて温厚で、人に好かれる。

 そんな子が、なぜか未だに俺に夢中なんだから――


 ……もったいないにも程があるよな。



 などと頭の中で考えているうちに、やがて城門へと辿り着いた。



「エルナー様、おかえりなさいませ!」

 門兵が一斉に敬礼する。

 言葉を発するまでもなく、顔を見ただけで即通行が許される。


 ……さすがはお姫様だ。


 俺も顔はある程度知られているはずだけど、一人で帰ってきていたらこうはいかない。

 何をしに戻ったのか、何を持っているのか、逐一尋問され、検査魔法で全身を調べられて、ようやく通れるのがオチだ。


1-2 神聖都市セグメントの街中


 正門を抜けると、目の前には一気に華やかな景色が広がった。

 石畳の道沿いには小綺麗な商店が並び、行き交う人々の顔には自然な笑顔が咲いている。

 商店街からただよこうばしいパンの匂いと果物の甘い香りが混ざり合い、街全体がまるで“生きている”みたいだった。


「エルナー様、お久しぶりです!」

「エルナーねえちゃんだ! こんにちはー!」

「おや、エルナー様じゃないですか!ちょうど今日、採れたての林檎が入ったところなんですよ!よかったらお持ちになりますか? すぐ食べられるようにカットもできますんで!」


 市民や商人たちは、彼女を見かけるたびに挨拶してくる。

 丁寧な敬語を使いながらも、どこか距離感のないあたたかさ――彼女への信頼と好意が、街の空気に溶けていた。


 そして、彼女もまた、それに屈託くったくのない笑顔で応じていた。

 まるで、子どもたちの笑顔を自然と引き寄せる、陽だまりのような光だ。



 本当に……我が幼なじみながら、みんなに愛されている『姫様』だと思う。



 肩書きじゃなく、人柄で得た信頼。

 たぶんそれが、エルナー・ヨルネ・フィールという存在のいちばん強い魔法なんだろうな。


 俺たちは、そんな活気の中を抜け、ゆっくりと街の中心――神殿へと向かっていく。


1-3 ――神聖都市セグメント(概要)――


 神聖都市セグメント――この世界最大の都市だ。

 俺も各地を旅してきたけど、ここまで人が多くて、活気に満ちた街は他にない。


 街全体が“神竜神しんりゅうしんスィーフィード”の加護を受けるために設計されていて、巨大な魔法陣そのものになっている。

 外周は正円形の高い魔導防壁で囲まれ、主要な通りは正六芒星せいろくぼうせい(🔯)を描くように敷かれている。


 そして街の中心にあるのが、エルナーの実家――ヨルネ家が住まう神殿だ。

 神殿の中央には王宮があり、そこでは天井いっぱいに六芒星ろくぼうせいの魔法陣が描かれている。

 中心には、ヨルネ家が代々継承してきたという『聖杖せいじょうセイバーン・スフィア』が静かに浮かんでいる。


 この『聖杖せいじょうセイバーン・スフィア』こそが、セグメントの“かなめ”だ。

 街に満ちる膨大な魔力の流れを調整し、魔導障壁や魔力供給の循環までも担っている。


 膨大な魔力の影響で、日が落ちると街全体が青白い光のドームに包まれて見える。

 外から見るとそれは神秘の結界のようで、内側から見上げれば――夜空が広がっているはずなのに、ほんのり明るさが残っている。


 この街は白魔術を中心に構築されている。

 六芒星ろくぼうせいは白魔術でよく使われる魔法陣だし、セグメントはその象徴でもある。


 だけどスィーフィードの力は白魔術に限らない。“すべての魔力の源”でもある。

 そのせいもあって、白魔術、黒魔術、精霊魔法、召喚魔法――あらゆる系統の魔導士たちが、ここに集まってくる。


 魔導士協会も、ここセグメントが世界最大規模だ。

 研究施設や図書館、学術機関もこの地に集中していて、白魔術中心の都市でありながら、世界最大の“魔導都市”でもあるわけだ。


 人が増えれば、それに比例して商業も膨らむ。

 そうして、この活気ある巨大都市ができあがっている。


 街の構造は、神殿を中心に正円状に広がっていて、区画ごとに役割が決まっている。


 最も内側にヨルネ家の神殿。

 その周囲に魔導士協会と研究施設。

 さらにその外側が、神殿や魔導機関で働く人たちの聖域勤務居住区。


 その先に魔導装備品の店や医療施設が集まるマジックエリア、

 さらに外に食料や日用品の商業エリア、

 そして最外周に一般市民の住む居住区が広がっている。


 この街全体が、まるごと一つの“生きている魔法陣”なんだ。


1-4 聖域へ向かう。


 俺もセグメントの出身だから、実家はこの街にある。


 親父は元王宮騎士団の団長だったけど、今は気まぐれに木こりなんてやってる。

 お袋はというと、世界を旅していた魔導士で、親父と結婚してからここセグメントに落ち着き、魔導士協会に出入りしながら、今も現役で魔法の研究を続けている。


 だから俺の実家は、研究者や王宮関係者が住む“聖域勤務住居エリア”にある。

 けれど、実家に顔を出すのはエルナーの話が終わってからにするつもりだ。


 俺たちは王宮を目指し、さらに足を進めていく。

 マジックショップが並ぶ賑やかな通りを抜け、聖域勤務者用の住宅エリアに入った瞬間、街のざわめきが遠のいた。人の気配が一気に減る。


 このエリアの先には、また城壁と門がある。

 出入りできるのは魔導士か王宮関係者に限られていて、買い物目的の市民が立ち入ることはまずない。


 けれど、ここにも普通の暮らしはある。家族で住んでいる者もいるし、道の向こうでは、この辺りに住んでる子どもたちが遊んでいた。

 そしてもちろん、エルナーを見かけると、元気に挨拶をしてくる。


 住居エリアを抜けると、ふたたび城壁と正門が姿を現す。

 ここから先が、“聖域エリア”。


――『聖域』というだけあって、入るには厳格な理由が必要だ。


 一般市民が無許可で入れるような場所じゃない。……はずなんだけどな。

 実際には、案外そうでもない。


 エルナーに道ゆく市民が気軽に声をかけていた様子を見ても分かる通り、彼女の両親――父で国王のガルおじさんも、母で女王のナディさんも、とにかく気さくで穏やかな性格をしている。


 たとえば、「ファーガル様とチェスの約束をしていたから」とか、「庭でいいトマトが実ったから、ナディーネ様にお裾分けに来た」とか――そんな理由でも、普通に聖域の門を通れるのだ。


 もちろん、ガルおじさんもナディさんも魔素まそ量は桁違いに強いし、周囲には常に護衛の騎士や魔導士がついている。

 だから無用な心配はしなくていい。


 結局のところ、“許される空気”があるんだ、あの一家には。


 門の前に立ったエルナーは、先ほどまでの柔らかな口調から一転し、わずかに威厳を帯びた声を放った。

「エルナー・ヨルネ・フィール、ただ今旅から帰還しました。

 途中再会した剣士のレフィガー・セルキナーも一緒です。

 旅の途中で起きた出来事について、父と母、それと――ラルファ・セルキナーにも、集まっていただけるよう伝令をお願いします。」


 門番の表情がすっと引き締まり、背筋を正す。

「了解しました! 直ちに確認を取ります!」



『ラルファ・セルキナー』――

 名前から察した人もいるかもしれないが、俺のお袋だ。


 エルナーに魔法を教えたのも、俺のお袋。

 親父と結婚するまでは世界中を旅して、ありとあらゆる魔法を研究していたらしい。

 その知識量は魔導士協会の中でも間違いなくトップクラス。今でも現役の研究者だ。


 エルナーが“歩く魔導図書館”と称されるようになった背景には、当然ながらお袋の教育がある。

 あの人の手で育てられたなら、ああなるのも……まあ、納得というべきか。


 エルナーが今回、お袋を呼んだのはきっと――“禁忌”の話があるからだろう。


 門番は魔導回路を使って、魔導士協会の連絡所にアクセスしていた。


 その先にはセグメント全域に張り巡らされた魔導ネットワークが広がっていて、研究施設や王宮、協会のあらゆる端末と繋がるようになっている。


 お袋が今どこにいるのか――魔導研究施設にこもっているのか、それとも家にいるのかは分からない。

 お袋は協会には属しているけど、助手を置くことはまずなく、好きなときに研究するタイプだからな。


「エルナー様、報告します! ラルファ・セルキナー様は現在、ちょうど王宮にいるようです!」


「そう、それは助かるわ。ありがとう」

 エルナーは微笑みながら、丁寧に礼を述べた。


(あー、たぶんナディさんと茶でも飲んでるな、お袋……)

 昔からこのふたり、やけに仲がいいんだよな。


 けど、ナディさんのもとにいるなら、今回の話もしっかり通る。

 お袋も聖域の中ならすぐに呼べるし、内容的にも王宮と協会の両方に通じてるほうがありがたい。


――そう思いながら、俺は一歩、門の内側へと足を踏み出した。

 エルナーの隣を歩きながら、神域の空気を静かに吸い込む。


 こうして、俺たちは王宮へと進んでいった。

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