第2話

「いやっ……ちょっと……すんませんホントに! 許して下さい! もう殴らないであぁぁ!」

 撮影機の録画で見た銀色の髪が無様に踏みにじられ、美形の顔は容易く崩れ、唇からは血以外に、命乞いと謝罪が滝のように流れていく。

 山田組の河川敷、鮫古大鰭亜門は橋の影の中で殴られまくっている限界鳥を見た。行き当たりばったりで、夜背組から直行した際に、ふと騒音でやってきたところに対象は居たのだ。

 本来ならば……大鰭は山田組付近の歩道をなんてことのない感じで散歩をして(いるという体で)、仕事を終えて邸宅を出る限界鳥を迎えるつもりだったのだ。


 山田組は組長の邸宅以外に精密機械を持ち合わせていない、言ってしまえば貧乏のそれ、杜撰な管理状況……なのだが、その邸宅には、裏社会随一の大きさの地下施設であり、鉱業、生産業においては『潤滑油』連中にも引けを取らないほどの資産を持ち合わせている。

 大鰭は一度だけ、その施設に足を踏み入れたことがある。その長たる男、山田華之助……厭な男だ。純金で身体を彩って、女や屈強な人物を右腕左腕に携えて、余裕どっぷりに構えていた。ただ、そこで横暴に立ち振る舞えるのも、数々の業績や、個人としての戦力が圧倒的であることがそれを許しているのだ。射撃精度や身体の柔軟性は、ごつごつした装飾を全て無視したような身軽さで接近を行い、最速で敵を抹消する。

 今日は満月の一夜、きっと任務の完了で行われる例の祝賀パーティを地下で開いているだろう。目的の情報の出所は、予想にはなるが、華之助の娘の自室であろう。理由は、彼らはまさに娘専用の箱庭を造るほど、跡継ぎの保護を重視していたのと、華之助の元々の親バカが重なった結果、組織の重要部分として、彼女の部屋に存在していると踏んだワケだ。

(しかし、俺が行くわけでは無い。疲れて帰ってくるのは限界鳥の方だ……散歩のついで、妄想程度にはなっただろうか?)大鰭はとことことステップを踏んで、性懲りも無く武器を振り回した。縦横無尽に駆け回る刃はまさに、『空を裂く』という言葉にふさわしい。

 大鰭の武器は、そんじょそこらのテクニシャンでも扱いに困る代物だ。持ち手は竹を加工したもので、その先には全長三メートルの鎖、先端部分に切れ味の良い刃物(刀身五〇センチ)が取り付けられている。目標の拿捕や、殲滅に長けた武器であり、団体戦が主流の裏社会では、無類の強さを誇った。大鰭亜門の圧倒的な筋力と、彼の祖先に伝わる武芸法を混在させて、自在の方向に駆け回ることができる。彼が武器を手にしている時、触れれば最期、触れた手から崩壊してくかのように砕け散る。『鬼面』の名の由来は、その奇襲的戦闘スタイル。予想可能回避不可避と、肥溜めの荒くれ者は噂し、鮫古組の方面には接近することが出来ないという。

 限界鳥言えど、そこまで到達するのはかなり骨が折れるであろう。だから、疲弊して出てきたところを確保! 最有力脱出ルートを大鰭が封鎖し、夜背から送られた地図にマークされた彼の寝床への進行方向を別の組員(彼らは指折りの精鋭たちだ。俺とも遜色はあるまい)を配備した。いくら逃げ足が早かろうが、ガリガリの身体では鍛え上げられたうちのモンからは逃げられない。と、大鰭は踏んでいた。

 彼はおもむろに、彼が来るまで影の中で涼んでいようと考えて、橋の方へと向かった。そこに、目的がぼこぼこにされているということも知らないまま……。

 

「いでででで! そこ違う! 曲がる方向とちゃう! 頼むから折らなぁぁぁ!」

 ベキリと、何の感慨も湧かないほどに情けない、指の骨が折れる音が僅かに耳に入る。白目を剥いてもがく限界鳥をみて、山田組の者と見られる衆(七人くらいが集っている)が高らかに笑う。

「黙れ裏切りモン! 山田のおっさんのご息女の部屋ァ、荒らしたのは一体どこのどいつだ! 羽毛と足跡までご丁寧に汚しやがって、ポンコツ情報屋ァ!」

 衆の中で、最も立派な服装の男が、持っていた棍棒で更に彼を殴った。それに追随するように、他の者が次々と蹴りを入れた。サンドバッグのように転がった限界鳥は心転がると云った様相で、身動き一つも取らなかった。断末魔を叫ぶことで精一杯、みたいな感じだ。

「で、でも! 俺はあんたらの組の傀儡である以前に、情報屋です……仕事には一応に、プライドを持って、」

「プライド、だぁ?」

 今度は、後ろの薄汚い男が、持っていた古い拳銃で限界鳥の足を撃った。ぴちゅんと情けない銃声は、あっけも無く彼の大腿部を貫通した。

「うごぁっ!」

 衆の親玉が接近し、言葉のリズムに則って腹を殴る。

「プライドたァ、お前なァ、そういうのはァ、仁義あるヤツがァ、口にするモンだァ!」五回も殴られたせいで、服が破れて腹が変色している。「恩も借金も返せない、自惚れ鳥野郎が」

 これは……まずそうだ。大鰭は静かに仮面を装着して、お得意の武器を展開する。じゃらりとした音に衆は全員、その存在に気づいたが、双方あまり同様はしなかった。いや、若干衆の何人かが『鬼面』に畏れを為している。

 確かに、親玉の云ったことには一理ある。というより、正しい。何故ならば、大鰭は仁義の重みを知っているからだ。あの日……薬部家に拾われる前、何事にも敵意を向けていた大鰭亜門少年が阿片の父を対峙した時に、ある男が居た。それは、平凡な組員で、名を知るに値するかも分からない凡庸を貫いたかのような男だった。

 いつも無表情で、何を考えているかも分からない。

 故郷での惨劇もあり、体力が限界を迎えかけていた少年は、案の定阿片父に惨敗を決し、空き部屋で療養することが決定した。その時に少年を看病したのが彼だった。彼は器用とは云えなかったし無愛想であったが、懇切丁寧に火傷や傷跡、出血のあと処理を行ってくれた。傷がほとんど癒えて、かなり動けるようになった頃、大鰭は彼に訊いた。「何故よそ者である俺をこんなにも良くしてくれたのだ」と。ちょっとした優しい答えを期待してしまった。が、そこから口にされたのは、十一を迎える少年には想像つかぬものだった。

「俺はお前のためでは無く、昇進と薬部様のためにしたことだ。部下が上に従うのは当然のこと、良くしてもらっているのなら、要求以上のことだってしてやるのが、仁義。そして野心だ。『この者の下でならどんなことでもしてやろう』、そう誓ってから、俺は薬部組の中のどんな雑用も熟せるようになったのさ」……昔噺だ。まるで。

 その時の彼は得意げに雄弁し、幼い大鰭を組長の下へ連れていってくれてから、今日に至るまで大鰭との接触には至っていない。

 幹部の座に上り詰め、数々の事柄を成功していると、耳にした事があるが、彼のことを薬部組で見たことは無い。しかし、それはつい二〇年前の記憶。顔も覚えてはいない……。

 俺は、この言葉通りに動くことは無かったが、いつだってそれを信念に生きてきた。だから、頭の云ったことには全面的に支持できた。限界鳥が山田組に貸しがあり、それを契機に下働きしている裏切り行為。誰だって許せるはずが無い。しかし、裏社会というものを山田の連中は知らないらしい。

 ここは『裏』だ。無法者が勝手に法を築いて、無意識にその偽りの檻の中でもがいている。誰が作ったかも分からないルールに囚われて、『強者』だの『正義』だの『狂気』だのを選定して、制定している。あの彼も、お前らも、俺も…………。

 仮面の裏から睨みを利かせているのも知らず、老境に差し掛かった男が鬼面という、個人には収まらない裏社会の『流れ』に対して言葉を介する。

「……あんた、鬼面か。『氾濫』の時に何回か見た事がある」

「そちらの御人は場数を多く踏んでいるようだ。前の『氾濫』は七年前。俺のこの武器も、まだ生まれていない。『鬼面』が都市伝説的存在だった頃の話だ」

「そんなお方が今目の前に居ることに……俺らは動揺している。お分かり? こんな荒くれ者なんぞより、山田の旦那に会う方が有意義だし、裏切り者の処刑を観覧に来たんじゃああるまい。散歩なら尚更さ」

 この男……見た目にそぐわず礼儀が成っている。老け具合から見るに……戦前に『肥溜め』に流れて、狂わずに戻った者だろう。

 肥溜め。裏社会形成の契機となった地だ。第二次世界大戦が終わり、喜びと哀しみの傷跡が地に張り巡らされていた頃に、この地に死体を処理する施設が建設された。国力の弱い本国に、各々での火葬は困難を極めた為、合同追悼式の会場に、この鉱山近くを選んだのだった。

 いよいよ式の日、遺族の人間はそれに狂った。

 死体の山は刺激が強く、女子供も多かった会場は混乱の嵐となった。

「殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!」

 遂に、遺族の一人が軍服を着た男を斬りつけた。それを皮切りに、弱き者たちは銃を持った『奴ら』に刃を向けた。

 軍人たちは銃を乱射し、それに震え上がった民衆もまた、奪い取った銃を乱射した。

 事件発生時間五日。死者多数。怪我人三人。行方不明多数。

 そんな地獄を、国は放棄した。

 結果、気性の荒い者だけが集い、そこを中心に人間社会、技術が発展し、裏社会が成立したのだったな──確か。

 そんな推測や復習は無意味だと感じるのにそこまでの時間は要さなかったが、返答に割く思考回路を停止させていた故、二秒ほどの間があった。それを怪しんだ者も居たが、その意識は裏切り者、限界鳥の逃走を許さない為の監視に費やされていた。

「いんや。それがどうにも、この仮面男はあんたらの親父さんは眼中に無いという。おまけに散歩に通りかかって、数分前からその様子を見張っていた。と云ったら、君たちは怪しむだろうか?」

 武器の持ち手を突きつけて、半ば強引に首を縦に振らせると自然と口から「うむ」と言葉が発生した。

「──それを見て我慢ならなくなった鮫古大鰭亜門が処刑を手伝ってやろうと云う」

「鬼面。この男はあんたの刃を汚すに値しないほど、価値が無いんだ。それに、俺たちだって日々の鬱憤を晴らすために痛めつけている。すぐに死んでは楽しめない」

「それに、コイツは亜人とかいう異人だ。卯人やヱ人じゃあない。亜人だ。なんてったってコイツらは人を取って食うようなヤツらも居るそうじゃないか。社会のクズを清掃しているのと同義で、更に的っていう役割も与えてやってんだ。本人たちもありがたいって思うだろうよ」

 緊張をほぐした別の者どもらが一斉に話す。会話、というよりも一方的な言葉の直球に近しい。

「どれ、その人外とやらの強度を見計らってやろう」

 少し乗り気に、やや怪しさを含んだ言い方に、衆はわぁっと湧き上がる。

 刃を振り回し、限界鳥へと向かう。彼はついに表情筋を動かす事なく、そこに居るだけ、まさにサンドバッグだった。

「お前、名は」

「……オーバーレイ。アンタは」

「鮫古大鰭亜門だ。聞いた事ないか?」

「…………あるともよ。何度も依頼で潜り込んだりしたからな」

 お互い食い気味に言葉を交わすことになるとは予想だにしなかった。口だけは達者、という言葉がよく似合う。ただ、似合うだけだ。『お前らしく』は無い。お前は情報でモノを語るべきだ。断末魔なんか、金を払ったところで興味も無い。

「なあ情報屋」少し溜める。「仕事が欲しいか」

「?」

 有無を云う暇は無いぞ。

「¿」

 真っ逆さまに飛んだ首の一つが困惑を表現していた。赤黒い血がまた、異端分子の混じった楽しい時間の「赤」のようで、面白かった。

雇用いらいだ」

「貴ッ……様ァッ!」

 上機嫌だった衆が怒りに任せて突撃してくる。拳で対抗できるほど、『組長』は軟くない。

「おやおや」

 回避。

「おやおやおや」

 回避。

「おやおやおやおや」

「い"ッ……」

 回避w

 一人が腕が攣った。他のヤツの腕は、空いた片方の腕の短剣で、それ以外のヤツは、手首から切断してやった。数日前部下から注意されて怠っていた整備をしておいて、本当に良かったと思う。

「もう終わりか」

 気迫と愉悦をたっぷりと込めた、柘榴のような言葉を投げかけると、痛みを忘れて皆絶望していた。上空、残像を残して動く刃と鎖に打ちひしがれて。

「鬼面貴さm」

 初老が言葉を発するに至る前に、首から上は既に空虚だった。

 圧巻のショーだったとばかりにオーバーレイが拍手する。

「……助けてくれたんやな」

「せやせや」ぎこちない関西弁を真似してやると、レイが赤面した。言葉をほとんど用いない彼にとっては、隙というのは恥なんだ。そのくらいは分かる。阿片と似ているからだ。

「そして、お前は仁義を無視して、山田組を裏切るんだな?」

「……貴方にしばらく護衛されるとしよう」

「なら、しばらくは俺の元で働くんだな。情報屋」

 だからと云ってレイに、沈黙はあまり似合わなかった。亜人という差別要素も……裏切り者というレッテルも。

「返事は」

「分かりました、組長……」

 

 この選択が果たして鮫組にとってプラスだったのか……マイナスだったのか。今の俺には分からない。だがハッキリできることがある。

 俺にとっては、憎しみの始まりだと。

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