第1話
「阿片……」
薬部阿片──彼は友人として、そして付添人として、ほとんど専属と化していた運転手の車に腰をかけていた。そして、彼は大変に苛立っていて他の人間の迷惑もなんのその、灰色の煙を撒き散らして顔を顰めていた。
そうなった原因たる男……鮫古大鰭亜門は、自分の責任であることも知らないで、阿片のコートを無理やりに引っ張っていた。夜背組の玄関で帯刀する門番らしき組員は、困った顔をしながら夜背という男に連絡している。
「あのっ……なぁ大鰭、私がどうしてこんなにも憤慨しているのか理解できるのか? 本当にお前は一組織の長なのか? だんだんお前の立場が偽りなんじゃないかって疑わしくすら思うよ。どうして親父に認められて組を統括できるようになったのかも全く……」
「ああ分かったから、よく分からないけどとりあえず降りてくれ、そして今すぐタバコを消してくれ、消臭の料金を払うのは俺なんだ」
「いいか、分からないのならば教えてやるよ、ありがたく思いたまえ。
まず私は今日会議があるとあらかじめ連絡したのにも関わらず電話を寄越し、それも会議中だ! ──舐めくさった態度で「夜背との交渉に追いて来てくれ」とのさばった挙句、果てには会議場に車ごと突っ込んで迎えにくるなんて破天荒にも程があるお前はもう二十歳だろう? 電話の件までは良い、いやこの時点でかなりキレていたがな。しかしお前どうして地下までのキーを持っていた! あそこはお前の管轄で無い以前に我が薬部組ですら未踏の地だったんだぞ! 訳が分からない全く……」
大鰭に捲し立てる姿は、子供に説教を喰らわす父親、タバコを吸いつつ講釈を垂れようとするのは教養のあるやくざの姿だった。
「お、おい落ち着け、阿片。今回の件はお前がいないと解決しないんだ! 聞くに──夜背の野郎は取引の天才で、並大抵の交渉は果たしておきながら、最近では表社会の連中とも絡んでるらしい。そんなヤツと対面して緊張しないヤツと言えば古くからの友人で、家族、兄弟も同然のお前くらいしか居ないんだ!」
「随分な説明口調だな。だが俺は最後、お前が諦めるまでこの座席からは一歩も動かない! 大体兄弟というのならこっちの事情も少しは尊重してほしいね。俺はお前に振り回されてばかりで、俺がお前に頼るときはすぐに暴力沙汰になる! お前ばかりが良い思いをして場を滅茶苦茶にしていくんだ、そしておだてをもっと勉強してから『兄弟』というを使うんだな」
「なんとかなってるだろう兄弟!」
「後処理が面倒なんだって話をしてるんだ!」
気がつけば、阿片は立ち上がって、大鰭に詰め寄っていたが、あまりのお互いの気迫に、その場にいた全員がその事実に気づくことができなかった。そんなときに阿片が、大鰭の後ろにこぢんまりした、背筋の悪い男の姿が目に入った。
「喧嘩するほどなんとやらとは言ったものだが、武器を無意識に出すほどの絆は初めて見たな。記録しておこう」
「……誰だお前」
大鰭亜門がとぼけに走る。
「夜背通。夜背組の組長にして裏社会至高の『潤滑油』の一人だよ」
『潤滑油』……裏社会の全区域で通用するいわゆる隠語。裏社会取締局からマークされないように用いられた単語の一つで、それが持つ意味は文字通りだ。裏社会において、多大な影響力を持つ人物のことを指す。それは取引……産業、殺し、亜人実験に至るまで、色々なジャンルの特攻を抱えている者の多くで、夜背は取引と亜人保護、阿片は殺しと麻薬の分野の『潤滑油』として数えられていた。もっとも……影が太陽を知らないように、『潤滑油』という存在を知らぬ者もいる。それこそ裏社会の中心部、戦時中の闘争精神を宿したまま落ちぶれた輩はそんな『リチテキ』な野郎のことは、一生涯存じることは無いのだろう。幸いにも、大鰭は阿片との関わりがあったことによって、台風の渦中に巻き込まれずに済んだのだが。
先ほどまで阿片が出席していた会議はその『潤滑油』の顔合わせであった記念すべき第一回だったが、夜背は今回の取引のために早退していたそうだ。まさか会議メンバーが二人も、記念撮影する前に帰るなどとは誰も思わなかっただろう(体裁は仲良くやるスタンスらしく、現像した後焼却するそうだ)。
「……まぁまぁまぁ、君たちに対して、定型文の自己紹介は失礼極まれるだろうし、組長ともなれば僕のことはみんな知っているだろうから割愛させてもらうよ」
「あぁ、どうも。鮫古大鰭亜門だ。今日はお呼びしてくれて感謝する。そしてこっちは……」
「薬部阿片。不本意だが、今日は同行させていただく」
「いやぁ、二人とも背が高いね。鼻も高いし地位も高い。兄弟みたいだよ」
「実際、こいつは薬部組の下っ端だったときにも兄貴分だったからな。似るのも無理は無い」
大鰭が照れ臭そうに阿片の方を見ると、露骨に厭な顔をして鼻であしらわれた。嫌悪ではなく、単純に苛立っていたからだ。
「人生、何が起きるか分からんもんだ。順調に親父殿の訓練をこなしていた時にある日突然、こいつは組の玄関に、今の奥さんを連れてやってきた。もう二〇年くらい前のことだがな」
「ふーん。誰かが預けてきたのかね」
「いや、俺は故郷を女房……咲と抜け出して裏社会の区域に入ったんだ。それでも、なんで薬部組にいたのかが全く分からなくてだな。眠っていた間にすでにそこに倒れていて、ましてやってきた方から真逆に位置する場所になんでいたのやら……」
つくづく謎だらけだ。お前は。と、阿片が言った。
「ふぅん、俄然君に興味が出てきたぞ。今日は情報の交渉と言うよりも、君そのものについて深掘りするために呼んだんだが、想像以上の収穫だ。鮫組の組長の裏社会入りは駆け落ちだった、と……」
「おい」
大鰭が照れくさそうに笑う。暗澹としている幼少の心を精算するような子供らしい赤面だった。
「ハハハ、冗談だよ。マフィアには威厳が一番欠かせないものだ。どれだけ情けない過去だからと言って、恥晒しをするつもりはないよ。まぁ──」
「まぁ?」
「ふふん──それ以上に何かありそうだが」
……この男、俺の幼少を知った上でからかいやがったな。今日の内容を思い出す限り、彼も『それ』を利用したことがあるんだろう。老けきった頃にはきっと滅多刺しにしてやる。と冗談を考えていたが、自分が言うと洒落にならないことを珍しく気がついたので閉口した。
そうであっても油断ならない男だ……簡単に信用してしまうのは悪手だろう。そうであるならば、おだての挟み方が妙に上手い。野心や傲慢を、平社員よりも低い頭(これは比喩であったり、物理であったりだ)で覆い隠してる……そんな印象を抱いた。あんな生き方が出来れば、と大鰭は感心はしたが感嘆はしなかった。
「冗談もほどほどにして、あんたにとっちゃ今のが本題なんだろうが、こっち側の本題について聞かされていないな。『優秀な情報屋について』と連絡寄越したのは忘れていないだろうな」
『それ』、のことである。
「忘れた、などと云える訳が無い。情報のやり取りは提供元の信頼にかかっているんだ。どんな役者であろうと、事務所の信用度で人生の進み具合が変わる。裏社会において僕らが事務所の管理者で、情報は役者他ならない」
「比喩はいい。さっさと始めろ」
「はいはい、代償は既に決めてあるから言及しない。まずはこれを見てほしいかな」
夜背の差し出した貼り紙は、雨に濡れた跡がある。筆で書いたのか、ほとんどの文字は濁って解読不可能だが、そこから割出せる情報は限りないものだった。が、大鰭はその紙を一度、目にしたことがある。
「……『限界鳥』か」
「ご察しの通りだよ」
『限界鳥』。裏社会に燦々と輝く情報屋の代名詞。五年前、『肥溜め』こと、裏社会の中枢部分で、無所属の荒くれ者が路地裏で、この貼り紙を発見した。男は、それをデカい組に売り込めば、自分のその組に加入させていただけるかもなどと考えながら、とある組にその貼り紙を持っていった。
早速、その組長が記された電話番号を入力すると、ぎこちない関西弁が受話器から発生されていた。
「○○組やな?」
彼は裏社会で聞き慣れないほど透き通った声をしているのに、関西弁で何とかマフィアらしさを保っているかのような声質だったと云う。そして、何よりも驚いたこと、瞬時にかけてきた相手の所属を云い当てたことである。この時点で、組長は彼の実力を見抜き、とある情報を拾わせた(この情報というのは、別の組の特殊事業に触れるらしく、言及されていない)。報酬は二〇〇万円。この頃は、商売の程度を分かっていないのか、値段は控えめだった。今でこそ、千万単位の金額が提示されるが、下積みとも云える期間とその破格の正確性や信頼が、今の名声に繋がったのだと考えると、こいつのやり口はかなり上手いと思える。
話を戻すと、報酬を指定の口座に振り込んで数日すると、敵組の情報が送り込まれた。それを組長が他の場所へと存在を拡散し、現在の一大巨頭の状態が出来ている。
「更に、彼は尻尾を遺さないことでも有名だ。どういうワケか、どう頑張っても限界鳥の逃走能力には敵わなくてね。しばらくすれば、依頼が行われたという証拠さえも消えてしまっている。正体が探られない要因だな」
「その尻尾を掴んだと」
「この夜背からは誰も逃れられんよ~」
ぴらぴらと、写真を奥の棚から引っ張ってくると(埃を被っている!)、夜背は得意げになってそれを提示した。
「コレが……限界鳥か?」
「そうだとも」
「若いな、二〇代前半……最近は若いのが有能ばかりだな」
「何を云うかね、君だってまだ三〇だ。まだまだ現役さ。それはそうとして、彼は鳥の亜人で、複数の姿を用いて情報収集に励んでいる。若い組員が個人調査中に、仮定ではあるが撮影したものだ」
「やっぱり若さってのはいいな。それだけでモノに付加価値が付く」
亜人類……大鰭の耳にも僅かに記憶されている単語だった。……正直、耳障りの良い言葉かと問われればかなり迷う。マイナスイメージがどうしても先行してしまうのだ。肥溜めビル群での亜人体実験事件、三大山岳からの追放、そして表社会での亜人迫害……。
彼らに何の非は無いが、その特異性により、表のみならず、裏社会までもがその存在を畏れた。特に、肥溜めに住む腐れ外道たちは、自分たちのテリトリーの破壊を恐れて、亜人と見なされたものには一切の暴力を辞さないことが暗黙に了承されているのだ。だがそれは、『潤滑油』管理下にある者たちも感じていることであり、暴力沙汰には成らないにせよ、密かな迫害や差別は行われていた。中には亜人体実験に興じる者さえも現れている。その邪知暴虐を止めることが、亜人擁護派の意見だったが、知る通り、その戦力は常軌を逸しているので、攻めるに攻められない状況にある。その中で大成している亜人は、恐らく限界鳥のみだろう。
さて、写真を観察すると、彼がかなりの美形であることが窺えた。かなりピントがぼやけているが、それでも十分に身体的特徴は捉えられている。
美しい瞳や銀色の髪は、確かに人間には出せない異質感があり、どこかこの世のものとは思えない感じを与える。金持ちの感じを彷彿とさせていたが、衣服は意外にも庶民的で、血が付着していたりする。意外にも実力行使派なのかもしれない。それとも、別の名義で別の活動をしているのか。
いや、深く考えることでは無い。大鰭は我に返る。が、そんな魅力的な想像が膨らむほど、限界鳥はカリスマ性や美的特徴を備えていた。そう、それはまるで、焦土の中で意地汚くも、儚くに咲く一輪の…………という感じだ。
「でも、これは限界鳥と断定された情報では無い。これでは交渉材料として不可欠にも程がある」
大鰭が続ける。でも……まだ一つ、残ってるだろ?
「映像記録だぁ!」
「正解~! 彼は夢遊的なところもあるが有能だ、交渉相手との電話の際の声の取ってあったのだ」
「ささ、早速それを流しちゃってくれよ」大鰭は振り向いて、阿片の方に目を向ける。「なぁ、お前も聞く……」
そう言いかけていた時、彼は正気では無かった。白目を剥いて、一週間のスケジュールをぼそぼそとひとりごちている。
夜背は、その様子に困惑していたが、大鰭はそれを何回も目撃しているので、流石に慣れている。ただ『ブツ』をキめて面倒な事象から目を背けているだけだ。この状況で云えば、幼馴染みの都合に付き合わされていることだろう。これのことは良いから、とジェスチャーを送ると、すぐに夜背が順応して撮影機を再生した。
画面には、写真よりもはっきり映った美青年が受話器を取っていた。そしてぎこちない関西弁を滑らせる。
『○○組やな? 俺は限界鳥や。情報屋。知っててかけたんなら自己紹介はええわな。そんじゃ、要件を云ってくれな。その内容次第で金額は変動する。釣りは返さんから、財が惜しかったらキッチリ支払ってなぁ。
(中略)
──何々、山田組かいな。偉くおっかな……ちっさい組やな。それの亜人関連の情報を洗い出してほしいと。なるほどなぁ。あんたのところが擁護派なのは知ってたけれど、俺に頼むほどのものとは……いや、感服した。ただ、それ関連はかなり裏社の情勢に関わってくるから、どんなしょーもない情報でも機密扱いだ。かなり値は張る。それが嫌なら今すぐに別の同類に受話器を傾けること、おすすめするが……ええんか。
……分かった。期限は二日後、夜にあんたの組に直接寄越す。俺の姿を見ようなんてことは考えないことやな。それと、金額は二〇〇〇万。俺の依頼額平均ド真ん中。これでええやろ。そんじゃ、早速取りかかるから、あんたも早う寝な。上司が駄目じゃあ、若手もじゅーぶんに育たん。励め。(受話器を置く音)
親父さんに何云おうかねぇ……』
「まぁ、想像通りって感じだな。声と姿がマッチしてるし、コイツで間違いないだろうな」
「ま、提供元がデカいだけの情報だから、僕らは偽装し放題なんだし。信用するも投げ捨てるのも君次第だよ。信頼だのなんだの云ったところで、最終的には君が信じるか否かで交渉の結果は左右されるわけだ」
大鰭はもう一度、動画を再生して、云った。
「ありがとう。コイツを信用し、代価を払うことを約束しよう」
「本当かい?」にたにたと、夜背が怪しい笑みを浮かべる。「僕は卑怯者で故郷では通っていたんだ」
「……夜背、俺は結構お人好しだ。良く接してもらえればすぐにつけあがって信用しちまう。しかしな、どうして俺がこうやってオープンに人と会話して、あっさり交渉を済ませるのか、分かるか?」
「否が応でも分かるさ」
夜背の顔が、歪む。
「誰も君に逆らえやしない。それこそ急所を全て──組が崩壊するところから、お気に入りの屋台が来なくなるところまで、虚ろさえも突かないと殺せないくらいに、君は強い。──『鬼面』」
『鬼面』。それが、当時の鮫古大鰭亜門の別名。それは暴君の渾名であり、恐怖の象徴。
その鬼がいつぞやか、『奇』となり、裏社会に絶大な畏れを刻むのはまた別の話である。
大鰭は酔いつぶれた阿片を背負って、もう一人の付添人を連れて、夜背邸を後にした。
「……シジマ。わざわざこそこそしなくてもいいんだぞ」
「いいのさ。私は傍観者くらいが丁度良いんだ。それはそうと大鰭くん。今夜は忙しくなりそうだね。咲さんと爽太くんのことは任せたまえ」
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