M

ふかひれソーダ

プロローグ

「……先輩」

 牛の角を立派に生やした後輩が、煙草を吸いながら、ふて腐れていった。こちらを見ようともせず。いや、それは喫煙者を脊髄反射的に軽蔑する俺に非があるのだが。

「マフィアって、もっとこうドンパチやるようなところじゃないんですか」

「そりゃあお前、毎日やってたらそれはもう戦争と変わらない。俺たちは喧嘩や紛争はするが、戦争だけはしねェんだ。例えそれがいがみ合っている敵組と対面してるときでも、領地で小便して汚したときもだ」

「誰がそんな……ヤクザみたいな……」

 あ、と後輩。彼女は赤面して、その後は会話が続かなかった。深夜の見回りで頭が働いていないのが原因だが、流石にこの空気は堪えた。

「はぁ、何か言って下さいよ、それでも経験豊富な若衆さんなんですかぁ?」

「あぁん? 可愛い可愛い後輩のために話ひりだそうと考えてんのに、何だその口はぁ」当然、嘘である。しかし、持ちネタを思い出して、彼女には話していなかったかとにやけがこぼれた。この話だけで、厭な上の連中との会合を乗り切ったことがあるのだ。そのくらいに濃く……マフィア様を満足させるに足る話だ。どこで覚えたのかすら覚えていない。親に読み聞かせられた伝説か、祖父が夜中に語った怪談か。はたまた……。

 それでも、聞いた瞬間の『恐怖』。それだけは耳にこびり付いていた。

「とっておきがあるんだな、これが」

「え、なんですか。もったいぶらないでさっさと言えばよかったんじゃないですか?」

「まぁまぁ、こんな寒い冬だから、積もる話もあるだろう。雪だけにな」

「最高ですね」溜め息をついて、煙草を雪の上に投げ捨てた。煙草に火はすっかり消えて、雪の中に引きずり込まれていった。「今夜は大雪でも降るんでしょうか」

 そんなこと言うなよ、皮肉屋。

「それは誰かの戯れ言だったか……それとも噂話、都市伝説の一つだったか……」

 

 亜人(普段は区分で細かく分けられているが、ここでは総括として、亜人をする)という種類の生命体は、道徳の教科書にも毎年登場するほどに、過去に差別をされていた。こと、日本においてもそれは例外にはならず、戦後の技術革命以来、ほとんど未開の地であった山々が開かれて、そこで細々と生きていた亜人の生命活動に異常をもたらした。

 最初の頃こそ、開かれた社会によって異種族が進出するのは歓迎されていたが、それらが突然の文明開化に馴染めるわけもなく、戦時中の疲労が重なり高齢の者は死に絶えて、墓場のような場所が自然に社会の中に形成されていった。人々は口にはしなかったが、自然と亜人らとは距離が離れ、街に一人いれば大騒ぎになるほど、差別は加速した……。そしてその死骸の山にそびえ立った新たな社会『裏社会』が本格的に成立するのにはさほど時間はかからなかった。


「……そして、その中で差別の風潮を無くしたのが鳥の亜人オーバーレイ、鮫組初代組長・鮫古大鰭亜門であった、とか……」

「あぁ、その二人の話なら聞いたことがあります。かなり有名ですよね。私は優しいから最後まで聞いてあげましたけど。それのどこがとっておき……」

 だれかが、後輩の口をすっと塞ぐ。殺意は微塵も感じない。一応短剣を手に取って、私は後ろの誰かに言う。

「……誰だァ!」

 それは話を邪魔されたという幼稚な考えから来るのか、後輩を失うという『奇面』によってもたらされたトラウマの再発なのか。どちらにせよ、結論に至ったところで私に得は無いが。

「そう警戒すんな。ただ小耳に挟んだのを聞きたくてな。今時こんな話をする若者も珍しい」

「おやおや、ジジ臭さが出ているが大丈夫かい?」

 二人、どう見ても私より若い男二人が、達観した面持ちで見つめてくる。

「お、お前たちは何者だ。殺気が無い。おまけに戦闘力も無さそうだが、返答次第では応戦か、確保。そういうカシラとの取り決めだ」

「なんやぁ、今の社会は刃は向けてもすぐ襲いはしないんやなあ。──良い時代、と言えばそうやけど」

 妙な水色がイメージカラーの男がぱっと後輩から手を放して、複雑な表情をしていた。

「……いきなり絡んできて、手を引くのか。目的はなんだ? 伝達か?」

「さっき言ったやんけ、ただ俺は話が聞きたい。大鰭亜門の何を君が知っているのか」

「……関係者か?」

「まさに」推測……オーバーレイらしき男はそう言ったきり、何も言わないで雪の山の上で寒そうに座り込んだ。ほら吹きか酔っ払いかとも思ったが、よく見れば、この男の顔は何度も見たことがあるし、顔に赤みを感じない。それどころか、死人。軽快の口ぶりの裏には、どこか喪失感が漂っていた。確か、鳥人間は年を取りにくいそうなので、俺より若く見えるのは納得だ。だからこそ後ろの男が全く掴めないが……。

 そうなると目の前にいるのは鮫組お偉い方。幸い、鮫古爽治郎や紅葉めめのような強豪の姿は無くひょろがり二人だけが白い景色に佇んでいた。

「……それはそれは五〇年前」

「え、先輩話すんですか? こんな怪しいヤツらに?」

「その二人はさっきの話の身内だ。全く……何で聞きたいのかはさておいて、俺たちは敵対しているどころか、コンタクトさえない。そんなお前がどうしてここにいる」

「朝六時、そちらの組長さんと商談があるんや。来るのは早ければ早いほど良い……まぁそこまで常識無いわけじゃないし、普通に通りがかってたら組長の話が耳にひょっこり流れてきたんで、それでな。

 五時間もあれば、俺目線からの組長も語りまくって、あっという間に夜明けやろうに」

「情報屋が、情報漏洩もいいところだろう」

「ヒトラーの本を出し続けることに意味があるように、組長が犯した過ちやその人生を語り継いでいかないとな。なぁに、流出はそれほど痛手じゃあなし」

 スマホを確認すると、ちゃんと本部の方から連絡が入っていた。数時間前から後輩と寒空を共にしていたから、あまり目を通さなかったから、自分の情報確認の怠惰を哀れんだ。

「じゃあ先輩、見回りはどうするんですか」

「一応、あと四人くらいが見回りしてんだ。俺が少し駄弁ってたって、誰も文句は言いやしないだろう」

 本当に話してもいいのだろうか? この二人が偽物であるかのどの可能性もあるはずなのに。しかしその思考は、大雪が奪い去っていった。

「……本当に降ってきましたね」

「カイロいるかい?」

 貼るタイプのカイロを四枚持っている中性的な男が差し出す。その時に自分が短剣をしまい忘れていることに気がついた。後輩は彼らと私にドン引きしながらも、カイロを受け取って静聴したいた。いよいよ、「話すべきだ」という空気になっている。状況を見ても、もうやけくそだ。話してやるよ畜生。

「じゃ、喋りますけれどもね。深夜のノリで話すだけですし、何より噂ですから違う部分があっても文句は言わないでくださいね」

「ええやろ、伝説には歪曲も改変もつき物だ。文句は言わん」


「これは、とある男の辿った軌跡の話──」

 そう──。

 奇蹟だ。

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