第2話 案内人の少女

 僕たちはさっそくその塔を見に行くことにした。

 塔の外壁は乳白色で円周はどれぐらいだろうか。

「百メートルはありそうやな」

 僕の後ろを歩く母親の梨香が言う。

 それには僕も同意見だ。

 最初、僕だけで見に行こうとしたのだが、あたしも行くと無理矢理についてきた。

 こういうとき、母さんはどんなにいっても聞かないのだ。

 仕方がないので危なくなったらすぐに帰るということを条件に同行を許した。

 あたし高校生の時、陸上部やったからまかせてと母さんは大きな胸をはった。

 もう六十代なんだから無理はやめてほしいんだけどな。


 塔の外壁にたどり着き、それにそって入り口を探す。

 たしかに母さんの言う通り外周は百メートルありそうだ。

 しばらく歩くと白い外壁の中に黒い扉を見つけた。

 扉の高さはざっと二メートル強といったところか。重厚な鉄の扉だ。

 これがあきらかに入り口だと思われる。見るからに異様で異彩な空氣を放っている。


 僕はごくりと生唾を飲む。

 母さんが背中にしがみつく。真夏に抱きつかれるのは熱い。これが若い女の子だったらいいのにと思う。六十代半ばの母親では暑苦しいだけだ。


 僕は震える手で鉄の扉のノブを掴む。

 ドアノブは上半身だけの美しい女性で、かなり芸術的なつくりだ。

 普通のダンジョンがどういうものか、いまいちわからないが、かなりの異様さを放っていると思う。

 試しに右にまわすとガチャリという金属音がする。

 体重をかけて強く押すとギギギッという金属音がして、ドアが開く。

 さらに押すと、入れるだけのスペースが開いた。

 僕は母親の丸い顔を見る。

 珍しく真剣な顔をしている。

 母さんは大きく頷く。

 僕も頷く。


 僕は二人分のスペースを開き、一步一步ゆっくりと中に入る。

 中は思ったより明るい。LEDライトでも付いているのではないかと思わせる明るさだ。

 直線の廊下が伸びている。

 廊下の幅はどれぐらいだろうか。

「だいたい十五メートルぐらいやな」

 母さんが両手をひろげて、左右を見る。

「あたしの十倍ってとこやな」

 母親の梨香は言った。

 ふむ、僕もあっていると思う。


 さらに一步進むと突然ラッパの音が響き渡る。

 僕は母親の丸い顔を見る。

「なにこれ、音楽流れてる」

 母さんはきょろきょろする。

 どうやら緊張し過ぎて幻聴が聞こえたわけではなさそうだ。

 高揚感のある音楽だ。心なしか緊張がほぐれる。

 ラッパの音楽とともに前方二メートルのところに複雑な紋様の魔法陣が刻まれる。

 アニメなんかでよく見るシチュエーションだが、現実で見ると驚愕せざるおえない。

 母親にまた背中に抱きつかれた。

 暑苦しいたらありゃしない。


 魔法陣が目を開けていられないほど光輝く。思わず目をつむる。

 目の痛みがとれて、瞼を開けると魔法陣は消えていた。

 代わりにノースリーブの白いワンピースを着た小柄な少女が立っていた。銀髪ツインテールの端正な顔立ちの美少女だ。

「こんにちは。私はバベルの塔の案内人ナビゲーターアリエル・エリシュどうぞよろしく」

 銀髪の美少女はアリエルと名乗る。

 そのアリエルはワンピースの裾を両手でちょこんと掴み、軽くお辞儀する。


「あっどうも、こんにちは」

 反射的に僕も挨拶する。

「こんにちは、あたしは広瀬川梨香よろしゅうな」

 ばりばりの大阪弁で母さんは挨拶する。

「あっ僕は広瀬川瞬です」

 これまた反射的に母親につづいて名乗ってしまった。本名を名のると呪いをうけるなんてのはファンタジーもので良くある設定なのにミスったかもしれない。


 僕たちが名のると銀髪美少女アリエルは大きなアーモンド型の瞳をかっと見開く。そしてにこりと微笑む。人間離れした美しさに僕は思わず見惚れる。

「これはこれはご丁寧に有難うございます。私はこのバベルの案内人ナビゲーターアリエル・エリシュと申します。お二人は私へのユーザー登録をなされますか?」

 小首を傾げる可愛い仕草をアリエルはとる。

 僕は何度目かの母親の丸い顔を見る。

「面白いじゃないの。やってみましょうよ」

 母さんははしゃいだ様子で言う。本当に好奇心満載な人だ。

「わかった。登録するよ」

 僕が言うとアリエルはまたあの綺麗なほほえみを浮かべる。

 アリエルはすっと右手をさしだす。

 これを握れということか。

 僕はアリエルのちいさくて白い手を握る。

「広瀬川瞬様、登録完了いたしました」

 その声はどことなく事務的で機械的だ。

 続いて母さんもアリエルの手を握る。

「広瀬川梨香様、登録完了いたしました」

 これまた事務的で機械的な声だ。


「アリエルへの登録はあと二名となります。どうぞお気をつけください。ログインボーナスとしてカシナートの剣と海皇ポセイドンの杖を進呈いたします」

 機械的な声でアリエルがいうとあの魔法陣が再びあらわれ、光輝く。

 魔法陣から黒鞘の長剣と白い木の杖が現れる。

「広瀬川瞬様にはカシナートの剣を広瀬川梨香様には海皇ポセイドンの杖を進呈いたします」

 僕はアリエルに言われた通りに黒い鞘の長剣を握る。

 握った途端、体中に力があふれる気がした。

 慢性的な肩こりが消えて、すっと体が軽くなった気がする。体にたまっていた残業の疲れも何処かに消えた。


「わあっえらいことや!!」

 母親の叫び声がする。

 僕よりも母親の変化が著しい。

 なんと母さんの顔の皺がみるみるきえて、白髪交じりの髪は黒くなっていく。

 たるんでいた頬はひきしまり、顔のあちこちにあったシミは無くなる。

 ぽっちゃり体型は胸の大きさだけはそのままに腰や手足が引き締まる。

 それは幼少時に見た二十代の母さんの姿だ。

 母さんは若い時は美人だったのよという口癖だったが、それは本当であった。

 若い時はである。

 そして母親の梨香は僕が見る限り二十年前半下手したら十代後半に戻っている。


 母親はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、自分の顔を見る。

「あら、あたし若いわ」

 うっとりと自分の顔を母さんは見ていた。

「ぼ、僕は?」

 体に力がみなぎっているので僕も若返っているかもしれない。

「あんたはそのままやね」

 母親の言葉を聞いてがっくりした。


「それでは瞬様、梨香様チュートリアルを始めましょう」

 アリエルは廊下の前方を指さす。

 そこから何かうねうねとした軟体動物が近づいてくるのが見えた。

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