第2話 魔王、余韻に沈み、現実に連れ戻される
食べ終えたばかりのカツ丼の器が、まるで聖杯のように神々しく光って見えた。
「……完食、じゃと……?」
魔王・ヴァルセルグ・ザ・ディープグレイヴ三世は、自分の手元を見下ろしながら呟いた。器の底が、名状しがたい達成感と共に顔を覗かせている。
「たった一杯で……この我が…」
ぽろり、と涙がこぼれた。
「……満たされたのだ…!!カツドォォォォォォォォン!!!!」
「うるせぇな!!」
隣で真白ほのかが全力のツッコミを入れた。静かに、だが鋭く。
「なんだよその”感動のエンディング”みたいな空気!カツ丼食べただけだよね!?」
「ふむ……おぬしらには、そろそろ話しておくべきであろう」
ヴァルセルグは真剣な表情で椅子から立ちあがると、ゆっくりとマントを翻した。唐突に背後の風が吹いた。商店街の風なのに、なぜかドラマチック。
「我が名は、ヴァルセルグ・ザ・ディープグレイヴ三世。魔界を統べる大魔王にして、地獄の王にして、七柱の災厄の一柱……」
「長いわ!」
またも即ツッコミが飛ぶ。
「三秒以内で自己紹介できないやつは覚えてもらえないよ。あと”ディープグレイヴ”って何?」
「深き墓、である」
「怖ぇよ」
藤原カツオは箸を拭きながら、感心したようにうなずいた。
「へぇー。魔王様かぁ。やっぱりな、ただもんじゃねぇとは思ったんだよな。あの食いっぷり、尋常じゃなかったし」
「そこ基準!?」
その時--。
店の天井がゴゴゴゴと揺れたかと思うと、突然、天井をぶち破って一人の男が降ってきた。
「陛下ーーーーーッッ!!」
黒スーツに漆黒のマント、背には魔界式公文書ホルダーを背負った、いかにも有能そうな魔族の大臣だ。
「お迎えに参りましたッ!魔界が大混乱でございます!!陛下がいない間に第七魔獣が反乱を起こし、血の湖が干上がり、地獄テレビの放送が無限バグループに突入し、挙げ句には--」
「うるさいっ!!今は”余韻”の時間なのだ!!」
「そのカツ丼とやらを食べた余韻で魔界滅びてますよッ!」
ヴァルセルグはふっと目を閉じ、真顔で呟く。
「…だが、あの一杯は、それに勝る価値があった……」
「こっちは負けてますよ!?というか”あの一杯”ってどういう表現!?何!?カツ丼が恋人かなにか!?」
ついに連行されることが決まったヴァルセルグ。大臣に肩をつかまれ、名残惜しそうに店の入り口に目を見やる。
「くっ……もっと、食べてみたかった……焼き魚定食……カレーうどん……お子様ランチという神話……」
「待てよ」
そのとき。カツオが包丁を研ぐ手を止めて、厨房から声をかけた。
「別に、今日で最後ってわけじゃねぇだろ?」
「……!」
「また来りゃいいじゃねぇか。魔王でもなんでもな。うまいメシは、いつだってここにある」
さりげないその言葉に、ヴァルセルグは目を見開いた。
「カツオよ……貴様、まさか人の身で、ここまで心を揺らすとは……!」
「惚れるな惚れるな惚れるな!!」
背後から、ほのかが速攻でフライパンを投げてきた。ジャストミートでカツオの後頭部に当たる。
「あと”うまいメシがいつもある”って言った直後に、おじさん今日は味噌汁焦がしてたからね!」
「やっべ!」
「”やっべ”じゃねぇわ!」
そんな騒ぎの中、大臣は大げさに咳払いをして魔法陣展開する。
「では陛下、お戻りを--っ!!」
「待て、最後に……ひとつだけ……!」
ヴァルセルグはズイと振り返り、ふたりに宣言する。
「……また来るぞ」
「うん知ってた!」
「絶対言うと思ってた!!!!」
こうして、ヴァルセルグはひとまず魔界へと帰って行った。が、その背中はほんの少し寂しげで、でも確かに--満たされていた。
そしてその後、カツオは常連ポイントカードに新しいスタンプを追加した。
<魔王様:1来店>
(*有効期限は無限)
ーーー胃袋が繋ぐ異文化交流、まだまだ続く。
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