魔界の料理に飽きた魔王様は日本に行くことにしました
福宮アヤメ
第1章:我が名はヴァルセルグ、職業:常連客
第1話 魔王、カツ丼に震える
--魔界。冥府の門を超えし大地にそびえる、黒曜石城の最上階。
その玉座で、かの偉大なる魔王・ヴァルセルグ・ザ・ディープグレイヴ三世は、今、猛烈に不機嫌だった。
「また……地獄の血のスープか……」
豪華な皿に盛られたそれは、見るからに禍々しい。ぐつぐつと煮え立つ漆黒の液体の中には、ナメクジのような触手、羽根付きの頭蓋骨、謎の発光するゼリー。味の想像もつかない。
魔王はため息をついた。長いため息だった。あまりに長すぎて、隣にいた魔族の大臣が気絶した。
「我は飽きたのだ……この世のすべての魔の料理に……」
その瞬間、空間がねじれ、時空が裂けた。
「このままでは、我の舌が滅びる……よって…」
バンッ!と玉座を叩く。
「人間界に行く!!目指すは……日本の”カツ丼”じゃ!!」
ーーーそして翌日。
魔王は本当に来てしまった。
「………おい、なんか空から黒い人降ってきたぞ」
日本、東京の下町。商店街の外れにある昔ながらの定食屋「かつやま食堂」。その厨房に立つ一人の男、藤原カツオは、白衣に割烹帽、そして魂のこもった目で、油の温度をにらんでいた。
「来たな……今日も”勝負”の日だ……!」
彼が目の前で構えているのは、豚ロース。丁寧に筋を切り、衣を纏わせ、いざ熱々の油の海へ--。
その瞬間だった。
空が割れ、店の前に黒マントの人型隕石が墜落した。
「ふははははははっ!!着地成功!!ついでに商店街のスピーカーが壊れたが、些事!!」
「えええ……なんだあれ」
「……異世界人じゃね?」
定食屋の看板娘であり、唯一の常識人である女子高生・真白ほのかは、アイスティー片手にスマホをいじりながらため息をついた。
「この香り……これは、これは……っ」
ヴァルセルグは定食屋の中にズカズカと入り込み、厨房のカツオの目の前に立った。が、カツオは動じない。
「……カツを、見に来たな?」
「……ッ!?わかるのか、ただの人間よ!」
「俺も、わかる男だからな………ようこそ、”カツ丼の聖域”へ」
二人の視線が交差する。意味の分からない友情が生まれかけていた。
「ところでお客さん……カツ丼、食うか?」
「是非に!我は、カツ丼に命を賭けに参った!!」
カツオは腕まくりをした。ヴァルセルグは厨房の仕切りのガラスに張り付き、異様なテンションで実況していた。
「おおっ……まずは肉を……下処理ッ!?豚の筋を断ち、柔らかさを調整し……!!」
ほのかが後ろからぽつりとつぶやく。
「……誰でもやるよそれ」
「なんという芸術……!これは”聖なる肉の儀式”か!?魔界では肉に話しかけて焼くだけだったのに!!」
「そっちのほうが怖いよ」
カツオが衣をまとう作業に入ると、ヴァルセルグは拳を握りしめた。
「白き粉が……卵に浸され……金色の粒となり、衣を纏う……美しい、まるで戦場に出る騎士のようだ……!」
「”衣を纏う”は確かに騎士っぽいけど、パン粉な……ただのパン粉だからな……?」
そして、ジュワァァァ……!
油の中にカツが落とされ、黄金色の泡が炸裂する。揚げる音だけで、ヴァルセルグの目に涙が滲む。
「この音……この音は……!歓喜の鐘の音!!揚げの神が舞い降りた!!」
「揚げの神って何!?お供え油でいいの!?」
やがて、見事なきつね色に揚がったカツが、溶き卵と甘辛いタレの中でぐつぐつと煮られる。
「う、うわあああ…っ!肉に卵!?タレに煮込む!?今度は戦場で踊っているのか!?」
「カツが戦ってるんじゃなくて、あなたが勝手に見てるだけだよ……」
ついに目の前に置かれた”それ”。
白く輝く米の上に、甘辛く煮込まれたトンカツがとろりと乗る。卵のふわとろ、香ばしい衣、食欲を誘う香り。
「これが……日本の……”カツ丼”……ッ!」
ヴァルセルグは、箸を手に取った。が、初めての箸に悪戦苦闘。
「な、なんだこれは!?魔力を込めれば開閉するのか!?」
「しない。まず利き手に持とう」
なんとかカツを掴み、口に運ぶ。--瞬間。
「----んっ……」
静寂。
そして。
「うますぎるうううううううううううううううううッ!!!!!!!!!!!!」
店が揺れた。商店街の鳩が一斉に飛び立った。近所の子どもが泣いた。
「これは……神々の料理……いや、神をも超えた味……”魔神の味覚暴力”ッ……!!」
「だから、ただのカツ丼だって言ってるでしょ……」
ヴァルセルグ、完全に胃袋を掴まれる。
かくして、彼は宣言した。
「この”カツ丼”こそ、我が新たなる覇道……!日本よ、覚悟せよ……カツ丼のために、我が全てを賭けようぞ!!」
「え、これから世界征服じゃなくて……定食屋通いになるの?」
「その通りじゃ、常連とやらになるのだ!!毎日食う!!」
「胃が死ぬわ」
こうして、”魔界の破壊神”と”熱血料理人”、そして”ツッコミ女子高生”によるカツ丼グルメ伝説は、静かに幕を開けた--かもしれない。
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