Section_4_1b「はい……父の仕事の関係で」
## 4
「実は……」
航が口を開く。
でも、すぐには続きを言わない。
何度か口を開きかけて、でも言葉にならない。
「航くん?」
私が心配になって名前を呼ぶと、航がはっと顔を上げた。
「すみません……どう言ったらいいか」
どう言ったらいいかわからない話。
ますます不安になる。
「ゆっくりでいいですよ」
私が優しく言うと、航が小さくうなずいた。
「僕の家のことなんですが……」
家のこと。
「実は、転校の話が出ているんです」
転校。
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓が止まりそうになった。
「転校……?」
「はい……父の仕事の関係で」
父の仕事の関係。
そういう事情なら、どうしようもない。
でも——なんで今なの?
やっと私たちの関係が始まったばかりなのに。
「いつ頃……」
私の声が震えている。
「まだ確定ではないんですが——来年の春には」
来年の春。
ということは、卒業前に?
私たちが三年生になる前に、航はいなくなってしまうの?
## 5
「確定ではない……ということは」
私が必死に希望を探そうとする。
「まだ、変わる可能性もあるんですか?」
「それが……」
航の表情が、より一層暗くなった。
「父は、もうほぼ決めているようで」
ほぼ決めている。
ということは、覆る可能性は低いということ?
「どこに……」
「関東の方です。具体的にはまだ……」
関東。
遠い。新幹線でも数時間かかる距離だ。
「そう……」
私は、それ以上何も言えなくなった。
頭の中が、真っ白になってしまった。
転校。
航がいなくなる。
もう一緒に図書委員の仕事をすることも——
放課後に一緒に帰ることも——
何もかも、なくなってしまう。
やっと始まったばかりなのに。
まだ、手も繋いだことがないのに。
まだ、たくさん話したいことがあるのに。
「綾瀬さん……」
航が心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
大丈夫かって聞かれても——
大丈夫なわけがない。
でも、泣くわけにもいかない。
航だって、辛いはずなんだから。
## 6
「いつ頃から……知ってたんですか?」
私がやっと絞り出した質問。
「一ヶ月ほど前からです」
一ヶ月前。
ということは、文化祭の頃?
「だから、あの時……」
「はい……文化祭の日に、変な態度を取ってしまったのも」
文化祭の日の、よそよそしい態度。
あれは、転校のことを知っていたからなんだ。
私に気持ちを伝えるのを躊躇していたのも——
きっと、同じ理由だろう。
どうせ離れ離れになるのなら、余計な感情を抱かせない方がいい。
航は、そう考えていたんだ。
でも——
「どうして告白してくれたんですか?」
私の質問に、航が少し驚いたような表情を浮かべる。
「それは……」
「転校することがわかっているのに」
「でも、やっぱり伝えたかったんです」
航の声が、少し震えている。
「たとえ短い時間でも——あなたと、ちゃんとした関係でいたいと思って」
ちゃんとした関係。
短い時間でも。
航の気持ちが、痛いほど伝わってくる。
彼も、辛い選択をしたんだ。
黙ったまま離れていく方が、お互いにとって楽だったかもしれないのに。
でも、それでも——正直に気持ちを伝えてくれた。
## 7
「ありがとう」
私が小さく呟くと、航がきょとんとした表情になった。
「ありがとう?」
「教えてくれて」
そして、気持ちを伝えてくれて。
もし航が何も言わずに転校していったら——
私は、ずっと後悔していただろう。
この気持ちに、名前をつけることもできずに。
「でも……僕のせいで、綾瀬さんを悲しませてしまって」
「悲しいです」
私は、正直に答えた。
「とても悲しいです。でも——」
でも、何?
自分でも、よくわからない。
ただ、航を責める気持ちにはなれなかった。
これは、誰のせいでもない。
ただの——運命の悪戯。
「でも、航くんが正直に話してくれて、嬉しかったです」
嬉しい、なんて言葉を使うのは変かもしれない。
でも、他に適切な表現が見つからなかった。
「僕も……言えてよかったです」
航が、ほっとしたような表情を浮かべる。
「ずっと一人で抱えていて——苦しかったので」
一人で抱えていた苦しさ。
私には想像もできないほど、辛かっただろう。
好きになった人に、近い将来お別れしなければいけないことを告げる。
そんなの、どんなに勇気がいることか。
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