Section_1_2b「そのノート。たまに書いているのを見かけて」

## 3


「あ……ありがとう」


ノートを胸に抱きしめながら、慌てて礼を言う。航は図書室の奥の書架で本を探していたみたいで、手に何冊か本を持っていた。


「読書記録、ですか?」


「え?」


予想外の言葉に、思わず聞き返してしまう。


「そのノート。たまに書いているのを見かけて」


たまに見かけて、って。


私がノートを書いているところを、航が見ていたということ?


「あ、えーっと……」


なんて答えればいいのかわからない。このノートのことは誰にも話したことがない。彩乃にさえ秘密にしている。


「すみません、余計なことを……」


航が謝ろうとするので、慌てて首を振る。


「いえ、そんなことないです。ただ……」


言葉が続かない。このノートのことを説明するのは、なんだか恥ずかしい。


「よかったら」


航が小さな声で言った。


「どんなことを書いているんですか?」


「え?」


「興味があるんです。他の人がどんなふうに本を読んでいるのか」


他の人がどんなふうに本を読んでいるのか。


その言葉に、少しドキッとした。航も私と同じように、本について深く考えているのかもしれない。


「えーっと……」


どこまで話していいものか迷う。でも、せっかく航から話しかけられたのに、ここで逃げるのももったいない気がする。


「普通の読書感想文とは、ちょっと違うんです」


「違う、というと?」


「もっと……個人的な記録というか」


我ながら曖昧な説明だ。でも、これ以上詳しく話すのは勇気がいる。


「個人的な記録」


航が小さく繰り返す。そして、少し考えてから言った。


「僕も、似たようなことをしています」


「え?」


今度は私が驚く番だった。


「航くんも?」


「はい。ただ、ノートではなくて……」


そう言いながら、航は手に持っていた本の一冊を私に見せた。詩集だった。ところどころに小さな付箋が貼ってある。


「付箋に、気になった部分を書き込んでいるんです。買った本なので、気兼ねなく。」


## 4


「見せてもらってもいいですか?」


思わず聞いてしまってから、ちょっと図々しかったかなと反省する。でも、航は特に嫌そうな顔もせずに詩集を開いてくれた。


付箋には、確かに小さな文字で何かが書かれている。


「『雲の影が頬を撫でていく感覚』……」


付箋の文字を読み上げてから、詩の本文を見る。そこには全然違う表現で雲について書かれていた。


「これって……」


「僕なりの解釈です」


航が少し照れたような声で言う。


「作者が書いた通りの意味じゃなくて、僕がその詩を読んで感じたことを書いてるんです」


作者が書いた通りの意味じゃなくて、自分が感じたこと。


それって、私がノートに書いていることと同じだった。


「すごく……わかります」


「わかる、ですか?」


「はい。私も同じようなことをしてるんです」


そう言いながら、ノートを少しだけ開いてみせる。昨日読んだ小説の感想が書いてあるページだった。


「『空の色が、彼女の心と同じ灰色だった』って作者は書いてるけど、私には青に見えました。悲しい青じゃなくて、希望がある青に」


航が私のノートを覗き込む。顔が近い。すごく近い。


心臓がドキドキし始める。


「面白いですね」


「え?」


「同じ本を読んでも、感じることが違う。それって、とても面白いと思います」


航の声が、いつもより少し明るく聞こえた。普段の無表情な彼からは想像できないくらい、興味深そうな表情をしている。


「航くんは、いつからそういうことをしてるんですか?」


「中学生の頃からです。最初は普通に本を読んでいたんですけど、だんだん物足りなくなって」


物足りない。


その気持ちがすごくよくわかる。


「私もです。読書感想文って、なんだか型にはまってる感じがして……」


「はい。『この本を読んで感動しました』とか『勉強になりました』とか」


「そうそう! でも本当は、もっと複雑な気持ちになることの方が多いですよね」


「複雑な気持ち」


航が私の言葉を繰り返す。


「例えば?」


「例えば……」


私は少し考えてから、ノートのページをめくった。一週間前に読んだ本の感想が書いてある。


「この本、主人公が最後に恋人と別れるんです。でも、それを『悲しい』の一言で終わらせたくなくて」


「どんなふうに書いたんですか?」


「『別れは終わりじゃなくて、新しい物語の始まりかもしれない』って」


航が私のノートを真剣に見ている。その真剣さに、少し恥ずかしくなってくる。


「変ですか?」


「いえ、全然。むしろ……」


航が顔を上げる。私たちの目が合った。


「すごく素敵だと思います」

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