Section_3_4a「文化祭の日、僕は最低でした」
## 1
夕方の図書室に、私たち二人だけの時間が流れていた。
西日が窓から差し込んで、本の背表紙を温かい色に染めている。
いつもなら心地よく感じる静寂が、今日はなんだか特別な意味を持っているような気がした。
航が私の正面に座っている。
机を挟んで向かい合うのは、文化祭の準備以来だった。
でも、あの時とは全然違う。
今の航の表情には、迷いがない。
「綾瀬さん」
航が私の名前を呼ぶ。
いつもより、少し声が低い。
「はい」
私も、いつもより小さな声で答える。
なぜか、大きな声を出してはいけないような気がした。
この空間に、この時間に——
そっと触れるような、優しい声でなければいけないような。
「最初に謝らせてください」
航が深く頭を下げる。
「文化祭の日、僕は最低でした」
最低。
そんな風に自分を責める必要はないのに。
「そんなことない——」
「いえ、最低だったんです」
航が顔を上げる。
その表情は、とても真剣だった。
「あなたが楽しみにしていた日なのに——僕は逃げてばかりいた」
逃げてばかり。
確かに、あの日の航は何かから逃げているようだった。
でも、それには理由があったんじゃないだろうか。
## 2
「どうして……逃げたくなったんですか?」
私が聞くと、航が少し困ったような表情を浮かべた。
「それは……」
航が言いよどむ。
でも、今度は逃げなかった。
しっかりと私の目を見つめて——
「あなたを見ていると、胸が苦しくなったからです」
胸が苦しくなる。
その言葉に、私の心臓がドキッとした。
「苦しい?」
「はい……でも、嫌な苦しさじゃない」
嫌な苦しさじゃない。
じゃあ、どんな苦しさなんだろう。
「例えるなら——」
航が少し考えて、それから微笑んだ。
「本を読んでいて、感動する場面に出会った時の苦しさに似ています」
本を読んでいて感動する時の苦しさ。
なんて、航らしい例えなんだろう。
でも、わかる気がする。
美しいものに触れた時、人は確かに苦しくなる。
嬉しいはずなのに、胸が締め付けられるような感覚。
「それが……私を見ている時に?」
「はい」
航がはっきりと答える。
「特に、あなたが本について話している時や——笑っている時に」
笑っている時。
私の笑顔を見て、航は苦しくなっていたんだ。
それは一体、どういう意味なんだろう。
## 3
「でも、文化祭の日は——その気持ちに名前をつけるのが怖くて」
気持ちに名前をつける。
「名前?」
「はい……『好き』という名前を」
好き。
その言葉が、図書室の静寂に響いた。
小さな声だったのに、まるで鐘の音のように、私の心に響く。
「僕は、あなたのことが好きです」
航が、改めてはっきりと言った。
「でも、その気持ちを認めてしまうと——今の関係が壊れてしまうかもしれないと思って」
今の関係が壊れる。
確かに、そういう可能性もある。
恋愛感情って、時として友情よりも複雑で——
うまくいかなかった時のダメージも大きい。
「だから、距離を置こうとした」
「そういうことだったんですね……」
私が呟くと、航がゆっくりとうなずいた。
「でも、距離を置けば置くほど——あなたのことを考えてしまって」
あなたのことを考える。
私も、同じだった。
航がいない図書室は、こんなにも寂しいものなんだと——
初めて知った。
「それで、メッセージのやり取りをして——やっぱり、正直に伝えるべきだと思ったんです」
正直に伝える。
航の勇気に、私は感動していた。
自分の気持ちを素直に言葉にするって、こんなに難しいことなのに。
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