Section_1_1c「それって、普段は普通じゃないってこと?」

## 4


「それって、普段は普通じゃないってこと?」


我ながら、ちょっとむっとした声になっていた。


「あ、いや、そういう意味じゃなくて——」


木下くんが慌てたように手をひらひらと振る。


「奏っちはいつもしっかりしてるから、なんていうか、同級生って感じがしなくて。もっと大人っぽいっていうか……」


「大人っぽい」


「うん。でも今日は、すごく年相応で可愛いなって」


可愛い。


木下くんは悪気なく言ったんだろうけれど、なんだか複雑な気分になった。普段の私は可愛くないってことなのかな。


「ちょっと木下くん、奏ちゃんを困らせないでよ」


彩乃が助け船を出してくれる。


「彩乃先輩、こんにちは」


「こんにちは。あんたも相変わらずデリカシーないわね」


「そんなことないですよー。俺、めっちゃ繊細です」


「嘘つけ」


二人の軽妙なやりとりを聞きながら、私はふと周りを見回した。航の姿は、もうなかった。いつの間にか図書室から出て行ったみたいだ。


よかったような、残念なような。


「奏っち、ボーっとしてどうしたの?」


木下くんの声で我に返る。


「あ、なんでもない」


「本当に? なんか上の空だけど」


「大丈夫だよ」


そう答えながら、さっき航が立っていた書架に目をやる。古典文学の棚だった。彼はあそこで何を探していたんだろう。詩集を返却したあと、また別の本を借りるつもりだったのかな。


「あ、そうそう」


木下くんが思い出したように言った。


「航もさっき来てたよね? なんか、いつもより長くいたような気がするけど」


「え?」


私の心臓が跳ねる。


「いつもより長くって、どういう意味?」


「いや、普通は本を返却したらすぐ出て行くじゃん。でも今日は、なんか書架の前でじっと立ってて……」


木下くんは首をかしげる。


「もしかして、本を探してたのかな。それとも——」


「それとも?」


「誰かの話を聞いてたとか?」


彩乃と私は、同時に固まった。


やっぱり聞かれてた。


「あー……」


また机に突っ伏したくなる衝動を抑える。でも、頬の熱は隠しようがなかった。


「奏っち、やっぱり顔赤いって」


「うるさい」


「ねえねえ、何があったの? 教えてよ」


木下くんの目がきらきらと輝いている。この人は根っから好奇心旺盛なのだ。


「別に何もないよ」


「嘘だー。絶対何かある」


「木下くん、しつこい」


「えー、冷たいなあ。俺たち、同じ図書委員なのに」


同じ図書委員。


その言葉で、航のことを思い出す。彼も私たちと同じ図書委員。でも、なんだか距離があるような気がしていた。


それは彼が無口だからというより、私が勝手に壁を作っているからかもしれない。


「奏ちゃん、また考え事?」


彩乃の声で現実に戻る。


「あ、ごめん」


「もしかして、中村くんのこと考えてた?」


「ちがうよ」


反射的に否定するけれど、図星だった。彩乃は私の表情を見て、すべてを悟ったような顔をする。


「ねえ奏ちゃん、今度一緒に本を選んでみたら?」


「本を選ぶ?」


「図書委員の仕事で、新刊の選定とかあるでしょ? その時に、中村くんと一緒に——」


「無理無理無理」


私は慌てて首を振った。


「そんなの恥ずかしすぎる」


「でも、話すきっかけになるよ?」


「きっかけって言われても……」


想像しただけで胃が痛くなりそうだ。航と二人で本について語り合うなんて、緊張で死んでしまう。


「大丈夫だよ、奏ちゃん」


彩乃が優しい声で言った。


「奏ちゃんが本について話してるときって、すごくいきいきしてるもん。きっと中村くんにも、その魅力が伝わるよ」


本について話すときの私。


確かに、図書委員会の議題で新刊について議論するときは、普段より饒舌になる。好きな作家の新作が出たときなんて、つい熱くなってしまうこともある。


でも、それは大勢の前での話。航と二人きりで、なんて考えられない。


「まあ、焦らなくてもいいけどね」


彩乃は私の複雑な表情を見て、苦笑いを浮かべた。


「でも奏ちゃん、せっかく同じ図書委員なんだから、もうちょっと積極的になってもいいんじゃない?」


積極的。


私には一番縁遠い言葉だった。


## 5


昼休みが終わり、午後の授業が始まる。


でも、なかなか集中できなかった。頭の中で、さっきの出来事がぐるぐると回っている。


航に聞かれた。


彼の顔が好みだということが、多分、バレた。


どうしよう。明日からどんな顔をして図書委員会に出席すればいいんだろう。


(落ち着け、綾瀬奏)


心の中で自分に言い聞かせる。


(そもそも、本当に聞かれたかどうかもわからないじゃない)


でも、あの時の航の様子を思い出すと、確実に聞いていたような気がする。彼は表情を変えないから余計に分からないけれど、きっと内心では困惑していたに違いない。


(あー、やっぱり恥ずかしい)


頬がまた熱くなってくる。授業中なのに、またあの時の感覚が蘇ってきた。


「綾瀬さん」


突然名前を呼ばれて、びくりとする。英語の田中先生が私を見ていた。


「は、はい」


「このパッセージの訳をお願いします」


「え、あ、はい……」


慌てて教科書を見る。どこを訳すのかも分からない。隣の席の子が小声で「23行目」と教えてくれた。


「えーっと……」


英文を読みながら、頭の中で必死に訳を組み立てる。でも、さっきまで航のことを考えていたせいで、全然集中できない。


なんとか辞書を引きながら、でたらめな訳を答える。先生は苦笑いを浮かべて、正しい訳を教えてくれた。


「もう少し集中しましょうね」


「すみません……」


席に座り直しながら、周りからくすくす笑い声が聞こえてくる。恥ずかしい。授業中にぼーっとしているなんて、普段の私らしくない。


でも、どうしても航のことが頭から離れなかった。


放課後、図書委員会がある。今日は月一回の定例会で、新刊の選定についても話し合う予定だ。


航も当然参加する。


顔を合わせたとき、彼はどんな反応をするんだろう。いつも通り無表情なのか、それとも少し気まずそうな感じになるのか。


(考えても仕方ない)


私は深呼吸をして、英語の教科書に視線を戻した。


でも、やっぱり集中できなかった。


## 6


放課後、図書室に向かう足取りが重い。


普段なら図書委員会は楽しみなのに、今日はどうしても気が進まなかった。航と顔を合わせるのが気まずくて仕方ない。


図書室の扉の前で一度立ち止まり、深呼吸をする。


(大丈夫。いつも通りにしていれば、きっと相手も何も言わない)


そう自分に言い聞かせて、扉を開けた。


「お疲れさまです」


図書室には既に数人の委員が集まっていた。木下くんは相変わらず元気よく手を振ってくれるし、二年生の女子たちも普通に挨拶してくれる。


でも、航の姿はまだなかった。


「奏ちゃん、お疲れさま」


司書の田村先生が声をかけてくれる。三十代前半の女性で、いつも優しく接してくれる。


「お疲れさまです。今日の議題は——」


「新刊選定とポスター制作ね。資料は用意してあるから」


「ありがとうございます」


委員長として、今日の進行について確認する。いつもの仕事をしていると、少しずつ緊張がほぐれてきた。


そうだ。私は図書委員長。今日も委員会をきちんと進行しなければいけない。


「それじゃあ、人数が揃ったら始めましょうか」


振り返ると、ちょうど航が図書室に入ってきた。


目が合う。


一瞬、時が止まったような気がした。でも、航はいつも通りの表情で小さく会釈してくる。


「お疲れさまです」


「お、お疲れさま」


声が少し上ずった。でも、とりあえず普通に挨拶できた。


航は私から視線を外すと、いつもの席に座る。私もホッと息をついて、委員長席に着いた。


さあ、図書委員会の始まりだ。


「それでは、定例会を始めます」


私は委員長として、いつものように会議を進行し始めた。でも、心の片隅では航の存在をずっと意識していた。


彼は本当に、昼休みの会話を聞いていたんだろうか。

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