Section_1_1b「奏ちゃん、大丈夫?」

## 3


「奏ちゃん、大丈夫?」


彩乃の声が頭上から降ってくる。心配そうなトーンになっているけれど、きっと笑いを堪えているに違いない。


「だい丈夫じゃない……」


机に顔を伏せたまま、くぐもった声で答える。頬の熱が引く気配がない。むしろ、どんどん熱くなっていく。


「そんなに恥ずかしがることじゃないでしょ? 好きな人の顔を見てときめくなんて、普通のことだよ」


「好きなんて言ってないし!」


勢いよく顔を上げる。彩乃は案の定、にやにやしていた。


「言ってないけど、思ってるでしょ?」


「……それは」


答えられない。だって、本当のことだから。


中村航のことが気になり始めたのは、いつからだったろう。クラス替えがあった新学期? それとも図書委員として同じ当番に入るようになってから?


きっかけは覚えていない。でも、気がついたら彼の一挙手一投足に注目している自分がいた。図書室での彼の所作を、遠くから眺めている自分がいた。


本を手に取るときの丁寧な動作。ページをめくるときの繊細な指先。そして時折見せる、ほんの少しだけ緩んだ表情。


全部が、なんだか気になった。


「まあ、中村くんもなかなかいい線いってるもんね」


彩乃が勝手に評価を下す。


「顔はもちろんだけど、雰囲気も悪くない。ちょっとミステリアスで、文学青年っぽくて。奏ちゃんの好みど真ん中って感じ」


「そんな分析しなくていいから」


「でも奏ちゃん、アプローチしないの? せっかく同じ図書委員なのに、もったいないよ」


アプローチ。


その単語を聞いただけで、また顔が熱くなる。


「無理だよ、そんなの。私、人と話すの得意じゃないし……」


「図書委員長なのに?」


「これは仕事だから別」


図書委員長としての私は、それなりに堂々としていられる。でも、一人の女子高生として誰かに接近するなんて、考えただけで胃が痛くなりそうだ。


「それに」


私は声を落とした。


「彼、きっと私みたいなタイプには興味ないと思う」


「なんで?」


「だって、私って地味じゃん。面白いこと言えないし、おしゃれでもないし……」


言いながら、自分の膝の上で組んだ手を見つめる。ささくれだらけで、マニキュアもしていない。彩乃のような華やかさとは無縁の手だった。


「もう、奏ちゃんったら」


彩乃が軽くため息をつく。


「自己評価低すぎ。奏ちゃんはね、すごく魅力的だよ。真面目で、本をたくさん読んでて、言葉の選び方が丁寧で……中村くんみたいな人には、むしろドンピシャなんじゃない?」


「そうかな……」


「そうだよ。だから——」


彩乃が何か言いかけたとき、カウンターの向こうに人影が現れた。


今度は木下智貴だった。図書委員のムードメーカー男子。いつものように、寝癖で跳ねた髪をそのままに、人懐っこい笑顔を浮かべている。


「奏っち、お疲れー!」


「お疲れさま、木下くん」


「なんか楽しそうな話してたね。恋バナ?」


図書室なのに、木下くんの声は相変わらず大きい。私は慌てて「しーっ」と人差し指を唇に当てた。


「声、大きいよ」


「あ、ごめんごめん」


木下くんは苦笑いを浮かべながら声のボリュームを下げる。でも、すぐにまた興味深そうな顔になった。


「で、恋バナ?」


「違うよ」


「えー、嘘だ。奏っちの顔、赤いもん」


なんで今日はみんな、私の顔の色について言及してくるんだろう。


「木下くんも当番でしょ? 早く交代して」


「はいはい」


木下くんは素直にカウンターの中に入ってくる。私は慌てて立ち上がり、椅子を譲った。


「それにしても奏っち、珍しいね」


「何が?」


「こんなに表情豊かなの、初めて見た」


木下くんはにやにやしながら続ける。


「普段はもっとクールじゃん。委員長らしく、きりっとしてて。でも今日は——」


「今日はなんなの?」


「なんか、普通の女の子みたい」


普通の女の子。


その言葉が、なぜか胸にちくりと刺さった。


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