第36話 なんでも望みを叶えよう
どれくらい気を失っていたのか――。
リュシアが目を開けると、ベッドに寝かされていた。頭を巡らせて確認すると、そこは王城の客室だった。
赤い絨毯を敷き詰められた室内には見事な調度品が並べられ、ベッドのシーツに至るまできらびやかである。
だがいちばんリュシアの目を引いたのは、ベッドの傍らで腕を組んで顎を引いて眠っているザフィルの姿だった。
「ザフィル」
声を掛けると、彼は顎を上げる――その暗い琥珀色の瞳がリュシアを探し、目が合うと、嬉しそうに微笑んだ。
「気がついたか」
「いったい、どうなって……」
確か、重力を使ってザフィルを助けて、ルネに捕まって、それから――。
リュシアは頭に手をやりながら思い出そうとする。綺麗にセットしていた髪が乱れていることに気づいて手櫛で簡単に整えた。着ているのはシンプルな翠のドレスのままだ。あのままここに運ばれてきたのだろう。
「大活躍だったな、お疲れさん。ゆっくり休むといい」
「そうもいってられないわよ。国王陛下は? ご無事なの?」
だが、床に足を下ろして立ち上がろうとしたところで目眩が襲ってきた。
思わずよろけるが、ザフィルがすかさず腕を伸ばしてきてくれたので、リュシアの身体はあっという間に逞しい腕に抱き留められた。
しかし、そのザフィルも凄い格好である。黒の正装は縫い目に沿って裂け目を走らせているし、胸元のボタンは力尽きたように取れている。
ユリシスを取り押さえた際に可動域を大きく超えて動いたせいだろう。だが、布地の隙間から覗く褐色の肌が妙に色っぽいのも事実で……。
「無理をするな。あんたは魔力を酷使しすぎて身体が参っている状態だ」
「ああ、これ……魔力切れかぁ……」
自分の状態をようやく正確に把握できて、リュシアはほうっと息をついた。
確かに、いつにも増して落とし穴を開けまくった。それに初めての使い方もした――重力の力を逆方向に働かせて、ザフィルから敵を弾き飛ばしたのだ。それだけいろいろ使ったのだから、魔力が底を突いたのも納得である。
「……ていうか、あれからどれくらい経ったの?」
室内には太陽光が入り込んできている。舞踏会は夜に行われていたから、少なくとも夜は明けている。
「一晩だ。国王陛下は無事だ。……呼んでくる。あんたが起きたら呼ぶようにいわれている」
ザフィルはリュシアをベッドに寝かせると、自分は裂けた服を身にまとったまま客室のドアを出て行った。
リュシアは窓を眺める――カーテンの隙間から薄明るい光が差し込んでいる。時間的には早朝だろうか。
ザフィルったら、もしかして一晩中私の寝顔見てたのかな。
そう考えると、なんだかこそばゆい。
……まあ、でも。それも悪くないか。
天蓋付きのベッドのなか、くすぐったいような気分でふかふかの枕で寝返りを打つと、絹の掛け物がさらさらと肌に心地よかった。
リュシアが目を閉じてしばしの休息を楽しんでいると、ザフィルが国王陛下を連れて部屋に戻ってきた。
陛下は昨夜の正装ほどではないが、それでも豪奢な服装をまとっていた。
「リュシア嬢」
「陛下……」
慌てて起き上がりかけたリュシアだったが、陛下に「そのままで」と制された。だがさすがに横たわったままでいるわけにもいかず、上半身だけは起こした。
リュシアの頭に、いくつかの疑問が同時に浮かぶ。
あれからユリシス殿下たちはどうなりましたか? そういえば最後に壁や天井に弾き飛ばしたミレイナとコーネル男爵は無事ですか? 『霞の涙』は検出されたのですか?
だが、あの大舞踏会場の後継を思い出したリュシアは、別問題で胸中が苦々しくなっていくのを覚えた。
王城のパーティで魔力を大解放したのだ。しかも国王陛下の御前で。その結果、床に穴がボコボコである。派手にやらかしてしまった――。
リュシアは、深々と国王陛下に向かって頭を下げた。
「昨夜はとんだご無礼をいたしました、陛下。お城の床の修繕費はウォルレイン家に……」
「何を言う、そなたのおかげで難を逃れたのだぞ。礼をいうこそすれ、責めるようなことはしない」
国王陛下はリュシアの身体を案じてか膝を折って目線を合わせると、頬に優しい笑みを浮かべた。
「昨夜のお主の力は大したものだった。久しぶりに余の中に眠る少年心がうずいたわ。余も昔はああやって大活躍する妄想をよくしたものだ。まさかそれをこの目で見ることができるとは……」
それから陛下は、リュシアが気絶してからのことを話してくれた。
舞踏会は即刻中止となったこと。
すぐに飛び散ったシャンパンの検査が行われ、『霞の涙』が検出されたこと。
壁と天井に吹き飛ばされたコーネル男爵家のものたちは、それぞれ肋骨を折る大怪我を負っていたこと。捕らえられたユリシス、コーネル男爵は「自分は何も知らない、騙されただけだ」と罪をなすりつけ合っていること、ミレイナだけが父を庇おうとしていること。
そして、魔力を使い切って倒れたリュシアを、顔色を変えたザフィルが案内されるがままに客室まで運んだこと――。
ザフィルは恥ずかしそうに頬を赤らめ、視線を逸らした。
「あの場にあんたを置いておくわけにもいかないだろ」
崩れた前髪を掻き上げながら、ザフィルがボソボソとぼやいている。
国王陛下はそんなザフィルの様子を楽しそうに眺めていたが、ふと悲しそうな顔色に沈んだ。
「……ユリシスは王の器ではない。なのに無い物ねだりを極限まで膨張させて良からぬ連中とこのようなことをしでかすとは。もしあのまま私が『霞の涙』を飲んでユリシスを王太子にしていたらと思うと、ぞっとする……」
40代前半らしき歳のわりに小さく丸められた背が、昨晩から急激に老けたように感じられた。
アホ王子であったとしても、陛下にとっては掛け替えのない可愛い息子だったのだ。ここまで裏切られた以上、もうそれは過去のものとなってしまっただろうが……少なくとも陛下は自分の子供を愛していた、それは事実だ。
「これからユリシスたちには厳しい尋問が下るが、そなたたちのおかげで、余は――ひいてはラグナリード王国は難を逃れた。そなたらの働きに感謝する、リュシア嬢、ザフィル殿」
立ち上がると、国王陛下は微笑みを浮かべてゆっくりとリュシアとザフィルの顔を見比べた。
「そこでだ。この国を救ってくれた褒美として、そなたらの望みをなんでも叶えようと思う。そなたらはそれに相応しい活躍をしたのだから遠慮することはない。まあ余にできる限りのことにはなるが」
そのおとぎ話のようなご褒美に、リュシアは思わずザフィルに目をやった。
――なんでも願いを叶えてくれるなら。しかも、国王陛下の権力で可能なことの内で。
それならリュシアが願うことはただ一つだ。
この状況でなら、ザフィルも同じことを願うだろう。
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