第35話 霞の涙の使い道
楽しい時間は、もうすぐ国王陛下がご来場なさるとのアナウンスで終わりを告げた。
ダンスフロアにいた客たちは、ダンス相手に礼をして次々にフロアから去っていく。リュシアとザフィルも礼をしてフロアから下がった。
楽団がワルツをやめ、ファンファーレを演奏し始める。国王陛下のご到着である。
ホール正面の扉が開き、真紅の絨毯の上を金銀宝石が眩しい正装姿の王族たちが歩いていく。
先頭を進むのは国王陛下で、あとに王妃陛下が続いた。そのあとに二人の王子も歩いてくる――見るからに痩せた第一王子エルネストと、見慣れた第二王子ユリシスである。
こうして見るとユリシス殿下もちゃんと王子様なんだけどねぇ……とリュシアは内心嘆息した。まさか中身があれだけのアホだとは誰も思うまい。
国王陛下と王妃陛下は、会場にしつらえられた王座の前に立った。その脇に王子たちも立つ。
来賓たちは一段高くなった壇上が見えるようにばらけ、拍手で王族を迎えた。
定位置に着いた王族に、白と青の制服を着た男たちが駆け寄っていき、距離を取って後ろ手に手を組んでひっそりと立った。王立
未来のザフィルもあんなふうに王族を守ることになるんだ……と思うと、リュシアも感慨深い。
同時に、国王陛下の側に立ったユリシスの後ろに紺色ドレスの令嬢が寄っていったのにも気がついた。ミレイナだ。そしてミレイナの近くにでっぷり太った男――コーネル男爵も控える。
役者は揃った、ということだ。
(さぁ事件を起こしなさい、悪役ども。なにをしでかしたって止めてみせるわよ)
我知らず、リュシアはぐっと拳を握りしめる。
国王陛下は、拍手を収めるために身振りで合図し、来賓たちが静かになったところで挨拶を始めた。
「皆の者、よく来てくれた。宴は楽しんでいただけたであろうか」
一拍の間をおいて、陛下はにっこりと微笑む。
「おお、ならば結構。この良き夜にお集まりいただき、誠に感謝する」
そこで丁寧にお辞儀をした国王陛下は、一呼吸置いて続けた。
「今日この日は余にとって――いやこの国にとって、特別な夜である。知っている者もおろうが、次の王となるべき王太子を指名しようと考えているのだ」
一瞬の沈黙があり、それからざわりとどよめきが起こった。
噂ではさんざん囁かれていたのだが、陛下本人の口から言われるのはやはりインパクトがある。
リュシアは腹に力を入れた。
思った通りだ。絶対にあいつらからこの国を守って手柄を立ててやる――リュシアは目を光らせて、国王陛下の脇に立つユリシス、ミレイナ、コーネル男爵の三人を睨み付ける。
「……と、発表のその前に、この良き夜をみなと祝いと思う。みな、それぞれ飲み物を手にとって欲しい」
陛下の言葉とともに、会場の周囲に控えていた給仕たちが一斉に貴族たちの間に滑り込んできた。貴族たちはそれぞれ、給仕からシャンパンを受け取っていく。
壇上では、コーネル男爵が、給仕から2本のシャンパンを受け取っていた。そのうちの一本がミレイナへと渡される。
そしてミレイナを仲介したシャンパンは、流れるような動きで次にユリシスへと渡された。
リュシアの隣で、ハッと息を呑む音がした。ザフィルだ。リュシアにもその意味は分かった。
来た。あれだ。あのなかに『霞の涙』が仕込まれているのだ。
じっと見ているからその不審な動きは目立つが、ぱっと見ではシャンパンを行き渡らせる親切行為にしか見えないはずだ。
ザフィルは飲み物も受け取らず、人混みを割って静かに前に向かって移動を開始した。
リュシアも、飲み物を固辞して彼のあとを追う。
ユリシスが、シャンパンを国王陛下に手渡そうとした。
「待て!」
ついに声を上げ、ザフィルが駆けだした。
「それは毒だ!」
褐色の巨体におののいた貴族たちが、ザフィルの進路から身を引く。つまり、壇上へと一本道が開いた――。そこをザフィルが駆けていく。
だが国王を守る騎士たちがそうはさせてはくれなかった。ルネと数名の騎士が、ザフィルを止めようと左右から迫ってきたのだ。
ザフィルは立ち止まると、腰に手をやり――スカッと空を掴んだ。剣を探したのだろうが、まさか舞踏会に剣など持ってきているはずがない。
そうこうしている間にも、騎士たちはザフィルに近寄ってくる……!
リュシアは両手を突き出し、魔力を集中させた。
「ごめんね、ザフィルの邪魔しないで!」
ザフィルの行く手の左右に轟音が響き、駆け寄ってきた騎士たちが急造の穴にすとんと落ちる。
それでも第二波がザフィルに向かうが、一人の騎士はリュシアに向かってきていた。ルネだ。リュシアが落とし穴を作ったと気づいたのだ。
――とここまできて、リュシアはハッとした。
ザフィルに向かってくる騎士を落とすより、ユリシスを落とし穴に入れてしまえば良かったのに。そうすれば、証拠もろとも穴の底に捕らえることができたというのに!
だが、もう遅い。
ユリシスのひっくり返った情けない声がした。
「なっ、なんだお前!?」
「お前らの悪事を止める正義の味方といったところだ。多少私利私欲にまみれてはいるがな!」
壇上へと飛び乗ると、ザフィルはその勢いのままユリシスにタックルした。
ユリシスはシャンパンを持ったまま床へ倒れ伏す――その上にザフィルがのしかかって動きを封じる。あの筋肉に乗られたら、身動きなどできないだろう。
だが、すぐにミレイナがユリシスの持っていたシャンパンを奪い取った。
かと思うと、こんどはユリシスにのしかかったザフィルに、男爵がとりついていた。
「このっ、筋肉男が!」
男爵は無理矢理ザフィルの顎を上向かせようと両手で掴んでいる。
「ミレイナ、こいつにそれを呑ませるんだ!」
「はい、お父様っ」
ミレイナが父の命令どおりザフィルの口にシャンパンをあてがったのを見て、リュシアは息を呑んだ。
あれを飲まされたら、二重の意味で危ない。
『霞の涙』は人を朦朧させるし、そもそもあのグラスには『霞の涙』を溶かしたシャンパンが入っていると思われる。コーネル男爵たちは知らないだろうが、ザフィルにとって酒精は毒だ。
しかも間が悪いことに、リュシアの目の前にはルネが到着しようとしていた。
このままでは、ザフィルはあいつらを取り逃がしてしまう!
かといって落とし穴を作れば、ザフィルまで落ちてしまうことになる……!
(どうしよう!?)
一瞬迷うが、すぐにリュシアの頭にある考えが閃いた。
重力――それはものとものが惹かれ合う力だと、以前ザフィルがいっていた。
最近は、ものの重さを変化させることもできるようになっていた。惹かれ合う力をコントロールできるようになってきたということだ。
それなら、それを逆にしたらどうなるのか。
(迷ってる暇はないわ、やるしかない!)
そう思って真っ直ぐに突き出したリュシアの手首を、しかし白い手が掴んだ。ルネが到着したのだ。
「やめろリュシア、なにをしている!」
ルネなど気にする必要はない。
リュシアは手首を掴まれたまま、ザフィルに向かって魔力を爆発させた。
瞬間。
ドン! という鋭い轟音が響き、ザフィルを中心に、突風のような爆風が吹き荒れた。
その勢いは凄まじく、シャンパングラスをザフィルの口に押しつけていたミレイナが大きく飛ばされて壁に激突し、正体をなくしてしまった。
ザフィルの上に覆い被さっていたコーネル男爵はもっと悲惨で、勢いで高い天井にまで吹き飛ばされて激突し、そのままザフィルの隣に落下してしまった。
リュシアは手を下ろすと、ルネに手首を掴まれたまま、その場にぺたんと座り込んだ。
目はチカチカするし、身体中の血が、それこそ重力から解き放たれたようにふわふわしている。酷い風邪を引いたときのようだ。
(……できた)
重力を反転させてはじき飛ばした。もしかしてこれって凄いことなんじゃない? いまはとりあえず休みたいけど……。
放心するリュシアの肩を、ルネが掴んだ。
「落とし穴を人に向けて作ってはいけないとあれほど言ったのに、何故私のいうことを聞かない! いや君だけじゃない、ザフィルもだ。エルネスト殿下の立太子を阻止して君たちになんの得があるというんだ!」
「事情はあとで説明するわ。それより、あのシャンパンを確保して」
と、粉々に割れたシャンパングラスを力なく指さす。
「『霞の涙』が入ってるから」
「なっ……!?」
頭が重い。リュシアは、尻を突いたまま前屈し、しまいには床に額をつけた。
「私たち、王位簒奪を防いだ英雄なんだからね。大事に扱いなさいよ」
力なくそんなことをぼやいたリュシアは、次の瞬間に意識を失ったのだった。
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