第17話 真夜中の筋トレ

 ザフィルに簡易テントの屋根の下を譲られたリュシアは、少しの抵抗をしたものの受け入れ――そして、くるまった布のなかで、いつの間にか眠りに落ちていた。


 そして。


 なんだか苦しそうな、微かなうめき声のようなものが聞こえた気がして、うっすらと目を覚ます。

 周囲はまだ暗闇に包まれていた。


「……っ、……っ」


 喉の奥で息を堪えるような、そんな声が確かに聞こえる。なんだかえらく艶っぽくもあり……。


 声の方を見ると、ザフィルが焚き火のそばで、パンツ一丁の姿で黙々と腕立て伏せをしていた。しかも片手で。黙々と全身をしなやかに沈め、持ち上げる――を繰り返している。


 焚き火の炎に浮かび上がる褐色の筋肉の影に、リュシアは思わず喉に熱い息を固めた。


(そ、そっか、そうだよね。あの筋肉だもんね。やっぱり日々の鍛錬は欠かさないよね……)


 邪魔をしては悪い。彼のストイックさに感心しながら、リュシアは無理矢理目を閉じた。漏れ聞こえるトレーニングの呼吸が鼓膜を通り越して脳に直接響き渡る。

 何故かものすごくドキドキしていたので眠れるかどうか不安だったが、そんな心配は無用だった。


 次に目を覚ましたときには朝陽が昇っており、服を着込んだザフィルが焚き火にかけた鍋をお玉でかき混ぜていた。


 一応、「ちゃんと寝れた?」と聞いてみると、ザフィルは「寝れた」と短く頷いた。

 無理をしているふうでもなかったので、リュシアはその話題はそれまでとした。なんとなく、これ以上真夜中の筋トレについて触れるのが恥ずかしかったのもある。


 そして鍋の中身――昨日の残りの、乾燥肉と乾燥果物を煮込んだスープを食べて、出発する。


 昼過ぎにフォルラーデの冒険者ギルド『銀の円卓』に到着すると、二人はゴブリンを倒した証拠に、ゴブリンの武器である棍棒を見せた。

 すると「おめでとうございます」と受付嬢からにこやかに祝福され、試験はすみやかに合格となった。


 冒険者の登録手続をし、晴れて冒険者になった証の銀色のピンバッジをもらって、それをしげしげと眺める。円のなかで剣と杖がクロスした意匠の、親指の爪ほどのピンバッジだ。


 たった一日でいろいろ起こりすぎたわ……と、リュシアは思う。


 昨日のいまごろ、自分はこの街に初めて着いて、その足で冒険者ギルドに入った。

 そして失礼な筋肉男と出会って無理矢理バディを組むことになって、あり得ない数のゴブリンと戦って、勝った。

 最初は絶対に仲良くなれないと思っていた相手のことを、いつの間にか信頼している自分がいる。……本当に、いろいろありすぎだ。


「これで冒険者だな」


 ザフィルがピンバッジを黒チュニックの胸元につけながら言う。リュシアもそれに習って、旅装の襟元にピンバッジをつけた。


「これで依頼を受けられるわね」


「ああ。目標への第一歩だ。……と、その前に」


 彼は背嚢を降ろすと、なかから赤い小箱を取り出した。


「ゴブリンを倒したときに馬車が倒れててな。そこにこいつがあった。ゴブリンはこれが欲しかったんだと思うんだが……これがなんだか分かるか?」


「鑑定ですね」


 受付嬢は慣れた手つきでトレイを取り出すと、その上に小箱を置いて、「銀貨5枚です」と言った。


「金を取るのか」


「ボランティアじゃありませんので」


 笑顔でそんなことを平然と言ってのける受付嬢。

 ザフィルは渋々といった様子で財布から銀貨を5枚取り出すと、渡した。


「それではしばらくお待ちください」


 受付嬢は奥へと消えて行く。


「私、銀貨3枚払うわ」


「2枚にまけてやる」


 そんなやり取りをしながら待っていると、受付嬢が帰ってきた。――ザフィルほどではないが体格のいい、ひげを蓄えた壮年の男を引き連れて。


「これを持ってきたのは君たちか?」


 男は鋭い眼光を放ちながら、リュシアとザフィルを視線で往復した。


「そうだが、なにか」


 ザフィルが返事をすると、男は手に持った赤い箱を開け、なかに入っている小さな瓶を指でつついた。


「あんたたち、ラッキーだね。まさか採用試験でこんなお宝を手に入れるとは。一応聞いとくが、もう一つ同じような瓶がなかったか? そっちのほうが高値がつくんだが」


 リュシアはザフィルと顔を見合わせた。


「そんなものなかったけど……。それ、なんなの?」


 とリュシアが聞くと、男は緊張と興奮が入り混じった声で目を見開いた。


「聞いて驚け、『澄明ちょうめいの雫』だ! そのペアがあの有名な『かすみの涙』さ」


「え」


 思わずリュシアは声を漏らした。『霞の涙』――まさか、あの秘薬の……?


「これ、そんな危険なものなの? なんでゴブリンがそんなものを狙ってたのよ」


「いや、これは『澄明の雫』のほうだ、だから危険じゃぁない。むしろ逆だよ、『霞の涙』の呪いを解くんだからな」


「それは知ってるけど……」


「ちょっと待て。なんの話をしているんだ?」


 ザフィルが男とリュシアの話に割って入ってくると、男は肩をすくめた。


「おっと、悪かったな。俺はこの冒険者ギルドを取り仕切ってるギルドマスターのレイノルズだ。こっちは娘のサマンサ」


「こんにちは」


 サマンサが会釈したので、リュシアとザフィルも軽く頭を下げる。……というか、この二人、親子だったのか。


「で、この薬だが……。お嬢さんは知ってるみたいだが、説明しておくぜ」


 ――『霞の涙』は、貴族の間でまことしやかに囁かれる悪魔の薬だ。意識を朦朧とさせ、人の言葉を繰り返すだけにしてしまう呪いをかけるといものである。


 時間経過によってその呪いは解けるが、すぐに解く場合――あるいは呪いそのものを未然に防ぎたい場合は、『澄明の雫』を飲む必要がある。


「百年前の王家のお家騒動が有名だな。野心たっぷりの第3王子が上の王子たちを蹴散らして王太子に選ばれたのは、これを使ったからだっていわれてるぜ。だから歴史を変える薬とも呼ばれてるんだ。っていうか、これじゃなくて『霞の涙』がな」


「そんな危ない薬なのか」


 ザフィルがおっかなびっくりした声で聞くと、レイノルズはニヤリと笑った。


「だが高く売れるぞ。こいつはその危険な薬の解呪薬だからな……。馬車のなかにこれがあって、ゴブリンがこれを狙ってたって? たぶん金目当てで盗まれたのを取り戻そうとしたんだな。これを作れるのはゴブリンだけだが、その奴らにしてもこの薬は貴重なものだから」


「ゴブリンが、薬を作るの?」


 思わずリュシアは言葉を繰り返した。ゴブリンが薬を作るなんてイメージがわかない。ゴブリンはもっと原始的な魔物のはずなのに。


「ああ、確か100年に一度くらいしか作られないはずだ。奴らにとって大切な儀式に合わせて必ず対で作るって話だぜ。その材料も製法も不明だから人間が真似しようにもできない――まあどうせロクなモノじゃないだろうがね」


「あのゴブリンどもは大事な薬を取り戻そうとしていたのか……」


 ザフィルが唸るように呟く。リュシアも納得する。だからゴブリンたちはあんなに群れて、必死に戦ってきたのだ。


「馬車が倒れてて、そこから手に入れたんだって? そりゃアレだな。ゴブリンの巣から薬を盗み出した奴がいたんだろうな。で、ゴブリンに追われてすってんころりんだ」


 レイノルズは軽く手のひらをひっくり返した。横転した馬車のつもりだろう。


「盗んだ奴はこりゃたまらんってんで高値で売れる『霞の涙』だけ持って逃げ出したんだろう。『澄明の雫』のほうはデコイってわけだ」


 そう考えると、ちょっとゴブリンが可哀想な気がした。ただ盗まれたものを取り戻そうとしただけなのに、あんなにも大量の犠牲を出すことになるとは……。


「で、さっそくなんだが。これを買い取らせてくれるかい?」


 レイノルズは小箱を蓋を開けたまま手のひらで包み込むと、そのまま撫で回した。


「『霞の涙』がないことはまことに至極残念だが、解呪薬は解呪薬で需要があるんだよ。こいつは特に貴族に人気があってな。お守りとして持っておきたいんだろうな。まあ、無理にとは言わないが……」


「俺は売って金にしてもいいが」


 ザフィルが頷きながらリュシアの顔を伺ってくる。


「あんたはどうする、リセ」


「私も同意見よ」


 リュシアも頷いた。いつ『霞の涙』を使われるか分からない貴族ならいざ知らず、これから冒険者となるリュシアにとっては、特定の呪いをとくための解呪薬はいらない長物である。


 それよりも目先の現金のほうが遙かに重要だ。


「いくらで買い取ってくれるの?」


 そこにすかさずサマンサの笑顔が割って入る。


「ご商談はあちらのお部屋でどうぞ、ここは冒険者受付カウンターですからね」


 圧を感じる笑顔だった。振り返ると、そこには冒険者が列を作っていた。……邪魔をしていたらしい。


 苦笑しながらカウンターを出たレイノルズは、リュシアたちを手招きして奥の方にある部屋へと誘導した。もちろん、その手に赤い小箱を大事そうに持って。




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