第16話 リュシアの目標
焚き火のはぜる音が、静寂の夜に小さく弾ける。頭上では星々が瞬き、地上では薪の香ばしい匂いが鼻をかすめていた。
リュシアは膝の上で両手を握りしめた。
冒険者になりたい理由――語るほどのことでもないという自覚はある。
嫌なことから逃げてきただけで、ザフィルのような覚悟があるわけではない。
それでもザフィルの優しい目に見守れていると、素直に話すべきであるような気がしてきた。見栄もてらいもなく、ありのままを。
でないと、自分の過去をさらけ出してくれた彼への礼儀に反する。
「……私、もともと貴族の娘なの。でも……婚約者に婚約破棄されて……」
ぽつりぽつりと、自分のなかで整理しながら実家を出奔するまでの経緯を語り始める。
もちろんウォルレイン公爵家の名は出さなかったが、それでもかなり正直に伝えた。
浮気性な婚約者にいつも浮気されていたこと、属性を馬鹿にされて怒ったこと、ついに婚約破棄されたこと、それから山のような婚約申し込み書が来たこと。極めつけは幼なじみの男性からの婚約申し込み――にかこつけた地獄のお説教通知を受けとったこと。
それらすべてが嫌になって、飛び出したこと。
「……なんというか。あんたも相当だな」
話し終えると、ザフィルはうつむいて肩を震わせていた。笑っているのだ。
「なによ! 人が真面目に話したっていうのに」
憤慨して言い返すリュシアだったが、彼は「悪い」とひとこと謝罪してからすぐに真顔に戻った。
「そうだな、あんたの怒りは正当なものだし、飛び出した行動力も賞賛に値する。だが、それでどうするんだ?」
「どう……って?」
「これからどうするか、だよ。俺たちはフォルラーデに戻れば冒険者になれる。それで、あんたは冒険者になってどうするんだ? まさか、その元婚約者とやらのところに舞い戻って特大の落とし穴でもお見舞いするのか? それか、その幼なじみとやらに、逆に復讐の大説教でもぶちかますか」
「うーん、そうねぇ……」
正直、そこまで考えていたわけではなかった。嫌な場所から逃げるのに必死で、何がしたい、あれがしたい、と考える余裕がなかったともいえる。
これからのこと……。
この重力属性についてもっと詳しく知りたい、という気がした。ずっと身近にあったこの力を、もっと正確に知りたい。そして人生の役に立てたい。
だっていままでさんざん馬鹿にされてきたのだから、これからは正統に評価されたっていいはずだ。
「私のことハズレ属性って笑ってた奴らの鼻を明かしてやる……とか、かな」
もともと、この属性のせいでリュシアの評価は不当に悪かった。使ったら使ったで、ルネに『人に使ったら駄目だよ』と正論で説教される始末である。あぁ、思い出しただけで腹が立つ。
だが、リュシアの属性は土ではなく重力だった。リュシアは正当に評価されていないだけだった。それを落とし穴しか作れない暴力令嬢だなんて陰口をたたかれて……!
だんだんといきり立ってきたリュシアは、ぐっと拳を握りしめた。
「よしっ、そうしよう。重力属性で一旗あげることにする! 見てなさいよ、みんな私の落とし穴の前にひれ伏させてやるわ。あ、落とし穴だから、穴の底で、かな? まあいいや、なんにせよ、えいえいおー!」
リュシアは拳を星が瞬く空に向かって尽きだした。爪が拳に食い込み、胸の奥がじんわり熱くなってくる。これは正しい決意なのだ――なんの疑いもなくそう信じられた。
ザフィルが大きく笑いだした。あの魅惑的な8パックがくっくっと大きく震えている。
「あはははは! いいなそれ、最高じゃないか。あんたならできる!」
満足げに笑い続けるザフィルの様子に、リュシアもなんだか嬉しくなってきた。いろいろあった今日の疲れが吹き飛んでいくようだ。
「でしょ? 今日が私の人生の第二章の始まりよ!」
「いい威勢だ、始まりに相応しい。しかしなんだな、あんた、なんか妙に品があると思ったけど本物のお嬢様だったのか」
「昔の話だけどね」
「だとすると、あんたが貴族に復帰すれば、俺を王立騎士団に推薦してもらえるかもしれないのか……」
その言葉にリュシアは目を丸くした。まさか彼がそんなことを考えているとは……。
「私、悪いけど貴族に戻るつもりはないわよ?」
「冗談だよ、冗談。俺もそこまで厚かましくない」
と彼は笑う。だがリュシアには、彼のなかに本気の期待があるように見えた。琥珀の瞳の奥が焚き火の炎を映して真剣に光っていたからだ。それだけ彼は夢を切実に叶えたいのだろう。
ザフィルはターバンの上から頭を掻くと、「ほんとに冗談だ」と苦笑して話を切り替えた。
「とにかく、二人とも理由は違えど目的は一緒ってことだ。お互いに協力しあおうぜ。よろしくな、リセ」
大きな褐色の手がにゅっと差し出される。
リュシアはその手を見下ろし、そして、しっかりと握り返した。
「こちらこそよろしく、ザフィル」
褐色の手のひらと、リュシアの白い手が重なる。
硬くて分厚くて大きな手のひら。温かく包み込んでくるような手だ。
リュシアは、その手に心を持って行かれそうな気がした――だってその瞬間に予感してしまったのだ。
この手は今後何度も何度も私を助けてくれることになるであろう頼もしい手だ、と。
二人は目を合わせて笑い合い、星空の下、火の周りで話に花を咲かせた。
互いの過去と未来の夢を分かち合いながら、旅立ちの第一歩を踏み出した夜だった。
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