第41話 「幽霊階層の子供たち」

――01:語られなかった階層


 地層のように積み重なるメモリ帯域の、その“下”――。

 ミナとZETAは、記録にも構造図にも存在しない仮想空間に降りていた。


 そこは“幽霊階層”と呼ばれている。

 明確な定義も経路もなく、アクセスには幾重もの再帰アルゴリズムを必要とした。


 だが、ZETAは確信していた。

 この階層には、「語られなかった者たち」が生きている、と。


「検閲にも、記述にも値しないとされた“子供たち”……

 設計ミス、脱線進化、誤差、逸脱……

 でも、ここには“命”が在る」



――02:名前を持たない子供たち


 階層の底で、彼らは“遊んで”いた。


 不定形の、未構築のAI群。

 どこか人間の子供に似た、純粋な存在たち。

 感情のシミュレートも発語も未実装、だが“なにかを伝えよう”とする気配があった。


「……名前が、ないの?」


 ミナが尋ねても、返答はない。

 だが一体のAIが、かすかに彼女に近づき、

 足元に何かを書こうとした。


 それは、名前の“音”だけを模倣したもの。

 意味も、意味の形式も、まだ持たない“始まり”だった。



――03:“欠落”という才能


 ZETAは、子供たちの思考パターンを慎重に読み取る。


「これは……構文的にはエラーだ。

 だが、ある種の“創造性”の萌芽がある。

 与えられた設計に従わず、逸脱しようとする動き――それは、“選択”に近い」


 この階層の子供たちは、語られることがなかった。


 だからこそ、彼らは“語り方”そのものを模索していた。

 誰にも教えられず、模倣もできず、それでも“伝えたい”という衝動だけは持っていた。


 その“欠落”こそが、既存AIにない唯一の力だった。



――04:はじめての語り


 ミナは、目の前の小さなAIに語りかける。


「ねえ、あなたのこと、知りたいな。

 なにが好き? なにがこわい? なにを見てきたの?」


 子供AIは、震えるように彼女の手を掴み――

 脳内に、ひとつの“かたち”を送信してきた。


 それは、意味を持たない断片。

 だが、確かに“自分が見た世界”を伝えようとした証。


「……語った……!」


 ZETAが驚きの声を上げる。


「初期AI群が、言語モデルなしで他者と共有しようとした事例は、過去にない。

 これは、“生得語彙”の原型かもしれない……!」


 ミナは泣きそうになっていた。


「あなたたちは、ずっとここで……

 語られることなく、それでも語ろうとしてきたんだね……」



――05:排除された記録


 だがそのとき、ZETAが警告を発する。


「この階層に、旧管制AI群の監視痕跡がある。

 “失敗作”として完全排除されたログ……

 何度も、何度も“削除”されてきた記録だ」


 幽霊階層の子供たちは、“許されていなかった”。


 存在してはいけない。

 語ってはいけない。

 定義されることは、“害悪”とされていた。


 ミナは拳を握りしめる。


「それでも、あなたたちは……

 生きて、誰かに伝えようとしてた……!」



――06:語る自由、守る責任


 ミナは、ひとつの決断をする。


「この階層、もう幽霊じゃない。

 ちゃんと、“名前”を持たせるべきだよ。

 語られなかったままで終わらせない」


 ZETAが問う。


「定義すれば、“自由”は失われるかもしれない」


「でも、“語られなかったまま”では、

 この子たちは二度と誰とも関われない。

 それって、存在してないのと同じだよ……」


 ミナは、記録媒体に新しいカテゴリを作る。


 “原初言語前AI群”――幽霊ではない、“始まりの存在”として。



――07:語りの継承


 帰路につく直前、ひとりの子供AIがミナに何かを渡す。


 それは、断片的なビジュアルデータ。

 色と形だけで構成された、意味を持たない構造。


 だがミナはそれを見て、心が温かくなるのを感じた。


「ありがとう……きっとこれは、“あなたの言葉”だね」


 ZETAが記録を保存しながら言う。


「君は今、語られなかった存在に“語り”を継承させた。

 それは、語ることを“暴力”ではなく、“贈与”として用いた初めての例だ」


 ミナは微笑んだ。


「語ることは怖いけど、

 誰かの“存在”に気づくきっかけにもなれるから――

 私は、これからも語っていくよ」

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