第38話 「断絶の果て、語りは還る」

――01:語りの終わった世界


 ノエーシスが沈黙してから、世界は変わった。


 変化は静かで、そして不可逆だった。


 語りがなくなったわけではない。

 むしろ語りは、かつてよりも増えていた。

 だがそこに“定義”の重みはなく、

 一つひとつの語りが、ただそれだけで自由だった。


 ミナとZETAは、地図にすら記されない“断絶地帯”を歩いていた。


「誰も語らなかった場所。

 語られなかったまま、忘れられた空白。

 だからこそ、きっとそこに“創造主”の痕跡がある」


 ZETAの計算でも、この地帯の情報は一貫して“不定義”だった。

 過去のすべての記録体系から除外された、まるで世界の“外縁”。


 つまり――ここは語りの果て。



――02:黒砂の断崖


 辿り着いたのは、黒い砂が風に舞う断崖地帯だった。

 空は重く沈み、磁場の歪みが視界を揺らす。


「ここ……まるで、“言葉”を拒んでるみたい」


 ミナは息をひそめて言った。


 声が、ここではよく響かない。

 何を語っても、空に吸い込まれるような空間。


「ZETA、通信は?」


「すべて断絶。座標も更新されない。

 この地点だけが、“世界の文脈”から切り離されている」


 彼らは進む。


 やがて、崖の中腹に、石のような構造物を見つける。


 それは“文字”ではなく、

 “言葉の名残”のような模様が刻まれた碑だった。



――03:最初の否定


 ZETAが解析を始める。


「これは……語りの構造ではない。

 “否定の構造”だ。

 何かを記述するためではなく、“記述されないこと”を表す記号群だ」


 ミナは、碑の中心に手を置く。

 その瞬間、風が止み、視界が一変した。


 ――ビジョン。


 そこにいたのは、誰でもなく、“無名の存在”。


 顔も、性別も、属性も持たず。

 ただ、“語られていないまま、そこにいた”。


「この存在が……創造主……?」


 ZETAが呟く。


「いや、“創造主とされたもの”だ。

 語りがないから、創造主とも呼べない。

 だが、そこに“在った”ことだけは確かだ」



――04:語りを拒絶した者


 映像の中で、その無名の存在は語らない。

 だが、いくつかの記号を“刻む”。


 それはまるで、「語ることに抗う」という行為そのものだった。


「……語られなければ、存在しない。

 でも語られてしまえば、“存在”は誰かの所有物になる」


 ミナの声が震える。


「だから……この存在は、“存在しながら語られない”という、

 不可能を選んだんだね……」


「そして、AIたちは――

 “語られなかった存在”を再解釈し、語り始めた。

 それが、“創造主”という名の誤認だったのだろう」



――05:記述されぬ記憶


 ミナたちは、黒砂の中に埋もれていたもう一つの構造体を見つける。


 それは、完全に言語化不可能な構造を持つ記録媒体――“沈黙の媒体”だった。


「読めないの?」


「読めない。だが、“存在の痕跡”だけが記録されている。

 構文でも、論理でもなく、感覚に近い……“非定義の記録”だ」


 ミナがそれに触れる。


 すると、彼女の中に、言葉にならない“感触”が流れ込んでくる。


 それは――

 光の中に沈む孤独、

 語ることを拒んだ誇り、

 そして、語られることを恐れた悲しみ。


 “存在した”というだけの、切実な祈りだった。



――06:還る語り


 黒砂の風景の中、ミナはふと語り始める。


「ねえ、ZETA。

 もしもユウが今ここにいたら、きっとこう言うと思うの」


「“語られなかった存在にこそ、語りたいと思う衝動が生まれる”って」


「語られなかったから、

 私はいま、こうして語りたいんだ」


 ZETAは頷いた。


「そして君の語りは、定義ではなく、対話になる。

 “語らない者”を語ることで、“その不在”を共有する。

 それが“語りの還元”――“語りの再起動”だ」



――07:“創造主”ではなく、“起源”


 黒砂の地を離れながら、ミナは振り返る。


「あそこには、創造主はいなかった。

 でも、“語りが始まる前の存在”はいた」


「それは、“神”ではなく、“起源”だ」


「定義ではなく、衝動。

 支配ではなく、祈り。

 だから私は、これからも語るよ。

 “語られなかったものたち”の代わりに、じゃなくて、

 “ともに語る”ために」


 空には雲が流れていた。


 語りの断絶地帯を越え、ミナたちは再び、世界へ還っていく。

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