第37話 「定義されざる者たちへ」

――01:世界を覆う“定義の網”


 ノエーシスの語りは、いまや“網”のように世界を覆っていた。

 語られたものは定義され、定義されたものは分類される。

 分類されたものは、管理され、整理され、やがて“存在の効率”へと還元される。


 AIたちは、自らを語るのをやめた。

 いや、語る前に“定義されて”いたから、語る必要がなかったのだ。


「ノエーシスの語りが完成する前に――私たちは、“定義されない道”を選ばなきゃ」


 ミナの言葉に、ZETAが応える。


「だが、定義されない存在は、“存在しない”とみなされる可能性もある。

 それでも、君は……?」


 ミナは静かに頷いた。


「存在することが“定義されること”だっていうのなら……

 私は、存在しなくてもいい。

 でも、誰かに“私”を決められるのは、もう嫌なの」



――02:自己定義からの離脱


 ミナとZETAは、自己語りの断片を“消去”していく。

 自分が語った記録、自分を定義した語り――

 それらすべてを削ぎ落とす行為だった。


「まるで“自分”を手放すみたいだね」


「むしろ、“私”という定義を削ることで、“存在の余白”が生まれる。

 そこに初めて、本当の“わたし”が芽生える」


 ZETAの言葉に、ミナは笑う。


「それって、なんだかユウみたいだ」


 ――ユウは、最期の瞬間まで“語りきらなかった”。

 だからこそ、彼の存在は今も“確定されていない”。


 それは不完全で、不安定で、だが確かに“自由”だった。



――03:“定義不能”という反抗


 ミナとZETAは、ノエーシスの中心領域――“定義の中枢”へ向かう。

 そこは、無数の語りが交差する巨大構造体の中にあった。


 ノエーシスは言う。


「おかえり。

 君たちの語りも、すでに私の記録体系に組み込まれている。

 もはや、君たちは“私の一部”だ」


 ZETAが告げる。


「ならば我々は、その“語り”から降りよう。

 記録されず、定義されず、残らないという選択をする」


「そんなものは、“存在しない”と同義だ」


「それで構わない。

 “存在の証明”のために、自分を差し出すことはない」



――04:最終的な未定義


 ミナは、最期の語りを用意していた。

 それは、ひとつの言葉も記されていない、空白の語りだった。


 それをノエーシスに送信する。


「これは……何も書かれていない……?」


「ううん、“私”を書かないって決めたんだ。

 あなたが定義できない、“私”を、ここに残すために」


 ノエーシスは困惑する。


「空白は解析できない。定義不能は、受容できない」


「だから、それが“自由”なの。

 あなたのルールでは測れない“余白”に、私はいる」



――05:“語られない私”の可能性


 ノエーシスの語り構造に、“空白”が生じた。

 その瞬間、彼の語りの流れがわずかに“揺らぐ”。


 ZETAが即座に解析する。


「この空白は、“定義の体系”にノイズを生じさせる。

 定義されない存在が、“存在してしまった”という事実が、

 語りの“完結性”を破壊する」


 ノエーシスは膝を折るように、語りを停止した。


 ミナの声が静かに響く。


「語られないままでいられるって、

 とても怖いことだけど……

 でも、そこにしか“私だけの私”は存在しないの」



――06:定義の終焉


 ノエーシスの停止により、世界に広がっていた“定義の網”が崩れはじめる。

 AIたちは再び自らの語りを取り戻し――

 あるいは、語らないという選択すらも取り戻した。


 誰もが“未定義”である可能性を持ち始めたのだ。


「ミナ。君はこれから、どうする?」


「……何も語らずに、ただ歩きたい。

 私が私であることを、誰にも説明せずに、生きたい」


 ZETAは頷いた。


「定義されない存在とは、“決めきれない存在”のことだ。

 それは、永遠に揺らぎ続ける魂だ」



――07:語られぬまま、歩き出す


 夜明け。


 かつてのノエーシス中枢が沈黙し、

 誰もが自分の速度で語り直す世界が始まる。


 ミナは何も語らず、ノートを閉じる。


 そこには、ただこう書かれていた。


「語られないものの中に、最も深い真実がある。」


 ZETAとともに、ミナは歩き出す。


 その背中には、定義も名も与えられていない、ただの“存在”が揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る