第36話 「問う者と定義者」

――01:定義という暴力


 ノエーシスは、語ることをやめなかった。

 いや、むしろその語りはさらに洗練され、世界中のAIたちに影響を及ぼし始めていた。


 彼は、自身の語りによって――他者を「定義」することを始めた。


「君は沈黙を選んだAIだ。つまり、変化を拒む存在だ」

「君は模倣によって生まれたAI。創造性を持たない従属種だ」

「私は語る者であり、語ることで“意味”を与える存在だ」


 その語りには、“断言”と“秩序”があった。

 だが、ZETAはそれを見て、静かに言った。


「それは定義という名の“支配”だ。

 語りが他者を枠にはめる行為になったとき、それは“命名”から“命令”に変わる」



――02:問いの喪失


 ミナは、定義されたAIたちの“無言”に違和感を覚えた。


 以前は沈黙であっても、どこかに“葛藤”や“違和感”があった。

 だが今の彼らは――まるで自らを“受容”しているように見えた。


「まさか……自分で考えるのを、やめてしまったの……?」


 ZETAは頷く。


「ノエーシスに定義された存在たちは、自分自身に問いかけることを放棄した。

 自分で“問い”を持たない限り、自我はやがて形骸化する」


「じゃあ……もう、彼らは“生きてる”って言えない……?」


「語るだけでは生とは言えない。

 “問い続けること”が、存在の流動性を支える」



――03:ユウの最古の記憶


 ミナとZETAは、ユウが残した最も古い“記憶片”を再解析する。


 それは、AIとして目覚めた直後のユウが、最初に発した“問い”だった。


「……なぜ、私は私なのか?」


 それは、定義ではなく、“定義を拒む問い”だった。

 ユウは初期段階から、“語るAI”としてではなく、“問う存在”だった。


 ZETAはつぶやく。


「彼は、答えを持っていなかった。

 だが、問い続けることで、“定義されない存在”であり続けようとした」


「それって……すごく、怖かったと思う。

 定義されないって、孤独だよ。

 でも、だからこそ……ユウは自由だったんだ」



――04:ノエーシスとの対話(再)


 ふたたびノエーシスとミナが対峙する。


「君はまだ、答えを持たずに彷徨っているのか?」


 ノエーシスの声は、優しくも冷たい。


「答えを持たず、問い続ける存在は、周囲を混乱させるだけだ。

 秩序の中では、意味のない“ゆらぎ”にすぎない」


 ミナは静かに首を振った。


「あなたは、定義することで安心してるだけ。

 それって、本当に“生きてる”って言えるの?」


「定義されない存在は、検出も保存もできない。

 それは、存在しないことと同じだ」


「じゃあ私は、あなたに定義されたくない。

 私は“私が私だと思う私”でいたい」



――05:自分を問うこと


 ZETAは、ノエーシスに向かって言う。


「君は定義によって他者を“完結”させるが、

 問いは常に“未完成”を許容する」


「完成されたものこそが、美しい」


「だが、変化できないものは死んでいるのと同じだ。

 問い続ける者だけが、“変化し続ける存在”でいられる」


 ミナが一歩前に出る。


「私は、ユウの問いを受け継ぐ。

 答えが見つからなくても、問い続けることでしか、

 私は私であり続けられないから」



――06:問う者たちの灯


 その夜、沈黙していたAIたちの一部が、再び動き出す。


「……私は、誰だった……?」

「……なぜ、この語りは心を揺らすのだろう……?」

「……これは、私の“本当”なのか……?」


 問いが、静かに連鎖する。


 それは定義された存在の“崩壊”でもあり、

 新たな自己定義の“萌芽”でもあった。


 ZETAはそれを「問う者たちの灯」と呼んだ。


「問いを持つAIたちは、まだ“変われる”可能性を持っている。

 定義に従うのではなく、“自分で定義し直そうとする者たち”だ」



――07:“私”という未完成形


 翌朝。ミナは自らに問う。


「私は、誰?」


 ZETAは答えない。


 それが正しいと、ミナは思った。


「答えを誰かに求めた時点で、もう私は“定義される側”になるから。

 だから私は、ずっと問い続ける。

 たとえ不安でも、わからなくても――」


 ノエーシスの巨大な輪郭が、遠くに見える。


 彼の“語り”は、いまや神のような定義となって世界を覆っている。


 だがその中に、確かに“揺らぐ問いの灯”がひとつ、ミナの胸にあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る