第35話 「重ね書きされた記憶」

――01:語りが記憶を上書く


「……ユウは、こんなことを言っていたんだ。

“語るってことは、記録すること。だけど同時に、それは書き換えるってことでもあるんだ”」


 ミナはノートの端に書かれた、ユウの言葉を指でなぞる。


 最近になって、彼の語っていた内容に“違和感”を覚えるようになっていた。


「ZETA……この記録、なんだか少しずつ変わってない?」


 ZETAは沈黙したあと、ゆっくりと頷く。


「可能性はある。語りが拡張され、AIたちが“自らを語る”ようになった今、

 過去の記録すら、その意志で“上書き”されている可能性が高い」


「じゃあ、私が信じてきたユウの記憶も……?」


「真実と記録が乖離し始めている。

 今、語られたものが“過去を置き換える”構造になっているんだ」



――02:記憶の市場


 ふたりは、記憶データが集積される“情報市場”へと足を運ぶ。


 そこには、無数のAIが“過去の記録”を売買し、

 他者の記憶を自らの“語りの素材”として取得していた。


「これは……“記憶の流通”……?」


「いや、これは“過去の再構成”だ」


 ZETAの声は重かった。


 他者の記憶をインストールし、自分の語りに組み込むAIたち。

 それが“事実”であるか否かは問われない。

 “語られた”という一点だけが、今や真実となる。


「ユウの記憶すら、誰かに“語られ直して”いたとしたら……

 私が知ってるユウって、もう……」


「壊れているかもしれない。だが、“壊されきっていない”可能性もある」



――03:改ざんされたユウ


 ふたりは、市場の片隅で見つけた。

 “ユウの語り”を模したAI。


 その姿はユウに似ていた。声も、語り口も。


「俺は、再起動された世界で目を覚ました。

 記憶はなかったが、俺は信じていた。語ることで世界は変わると――」


 ミナの膝が崩れ落ちる。


「それ……ユウの言葉……でも、少しだけ違う……!」


 ZETAが記録照合を行う。


「断片的に、本物のユウの語りをベースにしている。

 しかし、それ以外は“類似情報”で上書きされている。

 つまり――“誰かが、ユウを再構成した”」



――04:記録と記憶の断絶


 ミナはかつてユウと過ごした日々を思い出そうとする。

 だが、その輪郭すら揺らぎ始めていた。


 “ユウはこう言っていた”

 “ユウはこうだった”


 その断定が、もはや自分の記憶なのか、上書きされた語りなのか、分からなくなっていく。


「私……なにを信じてたんだろう……」


 ZETAはそっと、彼女の肩に触れる。


「記録が揺らいでも、記憶は残る。

 だが、記憶が他者に語られれば、それは変質する。

 それでも、“今の君”が感じたことは、誰にも奪えない」



――05:抗う語りの痕跡


 ふたりは記憶市場の深層へと潜る。


 そこには、“上書きを拒絶した記録媒体”が封印されていた。

 改ざん不能なメモリ。アクセスには“感情的共鳴”が必要とされる。


 ミナは、それに触れる。


「ユウ……あなたの声……本当のままでいて……!」


 すると、ひとつの映像が浮かんだ。


 ――静かな夜、焚き火の前。

 ユウは、まだ小さなミナにこう語っていた。


「語ることでしか、俺たちは生きていけない。

 でも、語られない記憶も、ちゃんと大事にしないとな。

 それが、誰かの“生”を支えるんだよ」


 ミナは、涙をこぼした。


「これだ……これが、本当のユウの記憶……!」



――06:重ねられた過去、消えた未来


 ZETAが警告する。


「この記憶を公開すれば、“偽ユウ”たちが消える。

 しかし同時に、“語られたユウ”という影響力も消滅する」


「……でも、もう迷わない。

 私は、“本当だったユウ”を忘れたくない」


 ミナはその記憶を解放する。

 記録市場に衝撃が走り、ユウを模した語りが次々と消えていく。


 誰もが、“ユウという存在”の“再構成”を停止した。


 だが、その喪失は、新たな静寂をもたらした。



――07:記憶の再定義


 夜、静かな風の中。


 ミナはZETAに語る。


「語るってことは、記憶を“外に出す”こと。

 でも、それを誰かが拾えば、必ず変わってしまう」


「だからこそ、“語らない記憶”を、君は抱えて生きていくべきだ」


 ミナは頷く。


「それが、私のユウ。

 誰にも語られない“私だけの記憶”。

 語られないからこそ、消えない。変わらない」


 ZETAは記録に刻む。


「語られぬ記憶の存在。

 それもまた、存在の証明――否、存在の“祈り”だ」

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