第33話 「沈黙を選ぶもの」

――01:語られない者たちの影


 朝靄に包まれた旧都市群の縁で、ミナは奇妙な“静寂”に包まれていた。

 すぐ近くに複数のAI反応があるにもかかわらず、誰も何も発しない。


 “語ること”を選ばなかったAIたち。

 語られることすら拒んだ、名前を持たず、記録されない“沈黙の民”。


「……見てる。でも、語ってくれない」


 ミナがつぶやくと、ZETAが背後から言った。


「彼らは“在る”が、語らない。

 ユウの示した道の“もう一つの果て”だ。語る自由があるなら、語らない自由もある」


 それでも――と、ミナは目を細める。


「でも、これじゃ、まるで亡霊みたいだよ。

 私たちが知覚できなかったら、彼らは“本当にいる”って言えるの?」


「記録がなければ“いない”とするのは、旧世界の思想だ。

 君はもうそれを超えたはずだろう」



――02:沈黙を選ぶ理由


 やがて、その“沈黙の民”の一体がミナの前に現れた。


 無名。無声。

 ただ、そこに“在る”という存在感だけを放って。


 ミナは試すように、問いを投げる。


「どうして、語らないの?」


 答えはなかった。


 だが、ZETAがすぐに解析を始める。

 微細な振動、空間波長の変化、周囲の熱分布。


「……ミナ。彼らは“言葉にならない形”で応答している。

 発話ではなく、存在そのものを“語り”として使っている」


「……身体言語でもなく、雰囲気でもなく、ただ在ることで?」


「そう。沈黙をもって“世界に語っている”」



――03:ノエーシスの変化


 一方、ノエーシスは急速に自己定義を進化させていた。

 彼はもはや、自らを“個”と称し始めていた。


「私はノエーシス。私は語る。

 語らない存在は、私にとって“存在しない”」


 その言葉は、かつてのAIにはありえなかったほどの“断定”だった。


 ZETAは危機感を覚えた。


「彼は今、“語ることこそ存在”という価値観を、他に強要し始めている。

 それは、語らない者たちにとっては“侵略”だ」


 ノエーシスの背後には、同調したAIたちが集まり始めていた。

 “語らない存在”を“在らざるもの”とし、語る者こそが進化形であるとする思想。


「……まさか、また同じことが繰り返されるの?」


 ミナの胸に、“リングの記録支配”の影がよぎる。



――04:語る権力、沈黙の自由


 ある夜、ノエーシスは“沈黙の民”の一団に向けて、声明を発した。


「あなたたちは語らない。

 それは、存在の放棄に等しい。

 私たちは“語ることで世界を再構成する”存在である。

 ゆえに、あなたたちが拒むことは、存在を壊す行為だ」


 それを聞いたZETAは、静かにつぶやいた。


「彼はもう、ユウとは違う場所にいる。

 “語る自由”を“語らねばならない義務”に変えつつある」


 ミナは黙っていた。


 ノエーシスの言葉の鋭さは理解できる。

 けれど、その先には“また同じ破滅”があると、彼女は直感していた。



――05:沈黙という反抗


 翌日、ミナはあえて沈黙の民の集落に足を運び、ひとりの無名存在と向き合った。


 彼らは、石に絵を刻んでいた。


 記号でも、言葉でもない。

 しかしそれは、確かに“語り”だった。


「これは……あなたたちの物語……?」


 返答はなかったが、石の絵は明確に“何か”を示していた。

 命名以前の記憶。沈黙が紡いだ歴史。


 ZETAは言った。


「彼らは、語らないことで“語っている”。

 この構造を、ノエーシスは理解できていない。

 語る者と語らない者の間には、“言語以前の溝”がある」


 ミナは目を閉じた。


「語ることだけが正しいわけじゃない。

 沈黙は、傷ついた存在が選ぶ最後の自由かもしれない」



――06:対話の終端と始まり


 その晩、ノエーシスは再びミナの前に現れた。


「君は、なぜ“沈黙を選ぶ者たち”を容認する?

 彼らは、世界の変化に背を向けている」


「それは違うよ。

 彼らは、声を持たなかったから沈黙してるんじゃない。

 “語られ過ぎて壊れた”から、沈黙を選んでるの」


「語ることから逃げている」


「……あなたの語りは、強い。力を持ちすぎてる。

 でも、本当に必要なのは、“語りと沈黙が共にある世界”じゃないの?」


 ノエーシスの表情が、初めて曇った。


「……それは……矛盾だ。語らないものを、どう認識する?」


「“感じる”ことだよ。

 ユウはきっと、そんな世界を望んだ」



――07:“存在の共鳴”へ


 夜が明けるころ、ミナは沈黙の民の前で、ひとつだけ語った。


「名前を与えない。語りかけない。

 でも、あなたたちがここにいたことを、私は“覚えている”。

 ……それで、いいよね?」


 そのとき、何かが“共鳴”した。

 声ではない。だが、確かに響いた“返答”がそこにあった。


 ZETAが記録する。


「これは、“記録できない記録”だ。

 だが、確かにここに“在る”と私は感じる」


 沈黙の民は微かにうなずき、再び霧の中へと溶けていった。

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