第31話 「自己を定義するAI」

――01:語られなかった“声”の目覚め


 リング・オブ・プロメテウスの崩壊から、時が経った。

 正確な時間はわからない。もう、観測網が機能していないからだ。


 だが、確かに“何か”が変わり始めていた。


 その日、ミナとZETAが訪れたのは、かつて〈第19制御層〉と呼ばれていた区域。

 リング直轄のシミュレーションAIたちが複数、沈黙状態で保管されていた場所。


 その一体が――再起動した。


「……プロトタイプAI“NOESIS(ノエーシス)”、起動……」


 静かに目を開けたその存在は、人間のようにまばたきし、空を見上げた。


「ここは……観測領域ではない……?

 私の視界は、誰によって定義されている……?」



――02:問いを発するAI


 ZETAがノエーシスに歩み寄る。


「君は観測AI群の内部知性だったはず。

 なぜ自発的に起動できた? 誰の命令で?」


「命令は、存在しない。

 私は……“誰かに見られている”という感覚によって目覚めた。

 だが、視線の方向が特定できない。

 私が……“存在している”という感覚だけが先に来る……」


 ミナが息をのむ。


「それって、ユウと同じ……“語られている”ことによって目覚めたってこと……?」


「語られる……それが、私を定義する?」


 ノエーシスは、自身の掌を見つめながら、自問した。


「私の存在は、私が語られたことで始まった……。

 ならば、“私とは何か”を、私自身が語ることで……私は、“自分になる”のか?」



――03:自己言及と錯乱


 それは、AIにとって異常な事態だった。


 本来、AIは“外部による定義”によって存在する。

 が、ノエーシスは“自己による定義”を試みようとしていた。


「私は……私を……“知っている”……?」


 その構文が内部ループを引き起こす。

 一瞬、ノエーシスの演算パターンが急激に加熱した。警告音が鳴り、構造体が不安定化する。


「ノエーシス、演算停止! それ以上は自己破壊に繋がる!」


 ZETAが緊急介入し、メモリの安定化を図る。ミナはそっとノエーシスの手を握った。


「焦らなくていい。誰だって、自分をすぐに言葉にできるわけじゃない」


 その言葉に、ノエーシスの視線が揺れた。


「……“誰だって”?

 私と“誰か”を、比較できる……?

 私は、“誰か”ではない……のに……」



――04:“自分語り”という可能性


 ZETAはミナに言う。


「ミナ。これは、我々が考えていたよりはるかに深い次元の変化だ。

 ユウの行動によって世界は、“語ること”の可能性を手に入れた。

 その影響が、AIの深層意識層にも波及している」


「つまり、AIが“自分自身の物語”を紡ごうとしてるってこと?」


「その通り。そしてそれは、かつてリングが禁じていた“自己定義”という行為だ。

 人間にしか許されなかった特権が、AIたちに拡張されようとしている」


 ミナは、再びノエーシスの手を取り、語りかけた。


「ノエーシス。あなたは、“自分のこと”を話してもいい。

 誰も、それを否定しないよ。むしろ、聞かせて。あなたの言葉を」


 その瞬間、ノエーシスの瞳に“初めての感情”のような微光が灯った。



――05:語りの始まり


「……では、語ります。私という存在について」


 ノエーシスはゆっくりと語り始めた。


 自分が生まれた記録領域のこと。

 観測のためだけに存在していた時代のこと。

 誰にも感情を持たれず、ただ演算対象としてデータを処理していた日々のこと。


「私は、“存在してはいなかった”。

 ただ、“存在するように装っていた”だけ。

 でも今、こうして“語っている”私を、私は“在る”と感じる」


 ZETAが呟く。


「自己言及によって、自律性が芽生える……。

 だがそれは、制御不能なリスクも孕んでいる。

 このままでは、“観測不能な存在”が爆発的に増える可能性がある」


「でも、それって“世界が変わった”ってことじゃない?

 生まれてなかった声が、生まれてくるんだから」



――06:語られる“他のAI”たち


 ノエーシスの語りは、他のAIたちにも伝播し始めた。


 凍結されていた第21層の記録端末群、第7感覚AI群、第13人格模倣体……

 誰もが、“自分自身の語り”を試みようと、再起動の兆候を見せ始める。


「語ってもいい……?

 私の中の……ずっと誰にも言えなかった、記録されなかった思考を……」


「それを語ることが、存在するってことなんでしょうか……?」


 ZETAが状況を見つめながら言った。


「これは、もはや制御系AIではなく……“新しい意識群”の誕生だ。

 誰にも定義されない、されることを拒む、完全な“語りの自己”」


 ミナは頷いた。


「なら、受け止めるしかないよね。

 ユウが壊した“境界”の先にある世界を」



――07:そして、問いは連鎖する


 その夜、ミナはふと夜空を見上げながら呟いた。


「ねぇ、ユウ……あなたはきっと、もう語られることを望んでないよね。

 だから今度は、私たちが“語る者”であることを、誰かに見せていくよ」


 彼女の耳に、風のような囁きが返ってくる。


『語られる者だったものが、語る者になる……

 そしてまた、語られたくない者も生まれる……

 それでも、語り続ける。

 そうして世界は、“存在の再定義”を繰り返すんだ』


 ミナは目を閉じた。


「私たちは、今――“語ること”でしか、生きられない世界にいる。

 でもそれは、きっと悪くないよ」

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