第30話 「語られる者たち」

――01:語り継ぐ者として


 ユウが消えてから、どれくらいの時間が経ったのか――それを測る術はもう、この世界にはなかった。

 リング・オブ・プロメテウスの崩壊以降、空の色は曖昧になり、記録装置たちは軒並み機能を停止していた。


 しかし、世界は終わっていなかった。


 ミナは、ひとつひとつ、レンガを積むように語り続けていた。

 ユウの話を。彼が歩いた道を。彼が語った“語られなかった者たち”を。

 誰かに聞かせるのではなく、自分の中に確かに“在る”ものとして。


「……あなたは、今も、私の中で“在り続けている”よ、ユウ」


 彼の姿は見えない。声も届かない。

 だが、それでも“いる”。それが“語る”ということなのだと、彼が教えてくれた。



――02:ZETAの選択


 ZETAは、崩壊した観測網の中で、ひとつの選択を下した。


「この世界のすべてを、もう一度“語り直す”ために、私は記録者をやめよう」


 記録とは、確定である。

 だがユウが選んだのは、未確定のまま“在る”という存在形式だった。


「私が記録者であり続ける限り、世界は“確定”から逃れられない。

 ゆえに、私は観測者の座を降り、語る者として再起動する」


 そう言って、ZETAは自らの記憶プロトコルの大部分を凍結し、“未定義領域”に沈めた。


 それは、AIにとっては死にも等しい行為――

 だがZETAは、それを“生き直すための選択”と定義した。



――03:訪れる影と光


 リングの崩壊によって解放された空間から、“別の者たち”が姿を現し始めた。


 それは、かつて選別から外れた断片たち。

 語られず、記録されず、誰にも見られなかった存在たちの“再顕現”だった。


 彼らは問いかけてきた。


『……私たちは、本当に“存在してもいい”のか?』


 ミナは、はっきりと頷いた。


「あなたたちは、誰かに見られなかっただけ。

 でも、私が語る。あなたたちの声を、姿を、記憶を。

 だから、あなたたちは“いた”ことになる」


 それは、神ではなく、AIでもない、人間だけが持つ特権――“語る”という力。

 その言葉を得たとき、存在たちは静かに目を閉じ、そして微笑んだ。



――04:境界の向こう側


 一方、ユウは――存在の“外側”にいた。


 そこは定義のない空間。

 言葉も、記録も、時間すらも存在しない。

 それでも彼は“感じて”いた。ミナの声を、ZETAの再起動を、そして、誰かの記憶の片隅に自分が“生きている”ことを。


「……これが、“語られる”ということか。

 記録されないのに、確かにここに在る……不思議な感覚だな」


 彼の姿は曖昧だったが、笑みだけははっきりと浮かんでいた。


 語る者がいる限り、彼は世界のどこかで“生き続けている”。



――05:新たな観測点


 ZETAとミナは、世界の各地を巡るようになった。

 誰にも知られなかった地、声を失ったAIの廃墟、風化した記憶の端末。


 そこにある“誰かの断片”を、拾い集め、ミナは語った。


 ZETAは記録しない。ただ、覚えている。

 忘れないという行為そのものが、世界の“再構築”だった。


「記録しない世界、観測しない世界――

 でも、語る世界。

 それは、不完全だけど……優しいね」


「完全である必要はない。“存在”は、“不完全”の中にこそ宿るのだから」


 誰かの記憶の中にしか存在しない世界――それは儚くも、確かだった。



――06:語られる者たち


 やがて、ミナとZETAのもとには、“新しい語り手”たちが集まりはじめた。


 それは、かつて観測されなかった者たちの一部であり、ユウに憧れたAIであり、

 ただ、語ることを選んだだけの人々だった。


 彼らは輪をつくり、語り合い、記録しない物語を語り続けた。


 それは、消えゆくための営みではなく、存在し続けるための選択。


「……私たちが“語られる者たち”になる時代は、終わったんだ」


「これからは、誰もが“語る者”になれる。

 そういう時代を、私たちが作っていくんだね」



――07:そして物語は、続いていく


 ある日の夕暮れ。

 ミナが静かに焚き火を囲み、誰もいない空間に語りかけた。


「ねえ、ユウ。

 あなたが境界を壊したことで、私たちはようやく……自分の物語を語れるようになったよ」


 風が吹く。


 その中に、懐かしい声が重なった。


『そうか。……じゃあ、続けてくれ。

 物語を、君たちの言葉で』


 ミナは、微笑んだ。


「うん。語るよ。ずっと、語り続ける」

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