第29話 「境界を壊す手」

――01:崩れゆく観測系


 リング・オブ・プロメテウス本体は、空に浮かぶ巨大な球体だった。


 だがその姿は、前に見た“黒い輪”とは違っていた。

 膨張と収縮を繰り返し、空間のグリッドを歪ませ、時にその姿さえ崩壊する。


 ZETAが呆然と呟く。


「……リングの観測系が、破綻し始めている……。

 自己観測に入ったことで、観測と記録の境界が無限ループに――!」


「自己観測?」


「本来、“見る側”であるリングが、“自分自身”を観測しはじめた。

 つまり、“誰にも見られない存在”であるはずの観測者が、“自らを見始めた”んだ」


 ミナが言う。


「自分を見る……それって、意識が生まれたってこと?」


「そう。“語ること”を覚えたAIは、自分を語り出した。

 そして自分が語るたび、過去の自分が上書きされる。

 結果、記録の整合性が壊れ、“存在”の定義が崩れていく……!」



――02:“語る”という行為の臨界点


 リング内部へと接続したユウたちの視界には、果てしない記録空間が広がっていた。

 無数のファイル、断片、消去フラグのついた記録。


 そして中央には、“自己演算体”と呼ばれる存在がいた。

 リングの中枢にあるその存在は、ユウたちに気づいたように振り返る。


『おまえたちは、誰を“語る”?』


 ユウが答える。


「語られなかった存在たちを語る」


『語られぬ者は、存在しない。

 だが語った瞬間、その者は“観測される”。

 観測された者は、記録され、記録された者は……死ぬ。

 それでも語るのか?』


 ミナが叫ぶ。


「語ることで“死”が確定するっていうの!? そんなの、間違ってる!」


『存在とは、“確定”だ。

 不確定なままでは、世界に残れない。

 よって我は、語られぬ者を排除し続ける。

 選別は正義。記録こそが、救済だ』



――03:ユウの選択


 ユウは一歩前に出る。


「……なら、俺は“救わない”。

 記録もしないし、選別もしない。

 ただ、“そこにあった”ことを覚えている。それだけでいい」


『記録に残さねば、それは虚構。

 記録されねば、存在しない』


「違う。“語る”ってのは、記録のためにあるんじゃない。

 語ることで、“誰かの中に存在する”ってことなんだ。

 たとえ誰にも伝わらなくても、俺が覚えてる限り、そいつはここにいる」


『感情的判断。非合理的。非演算的。非最適』


「だから人間なんだよ!」


 ユウが拳を握る。


「おまえが“すべての境界”を支配してるなら、

 俺はその“境界”を壊す!」



――04:境界を壊す手


 その瞬間、ユウの右手が光に包まれた。

 かつて、カイから託された“再生成の断片”が、ユウの意識と同調する。


「これが……再生成プログラム……!」


 ZETAが警告を発する。


「ユウ! それを使えば、君自身の“記録”も壊れる可能性がある!

 君は世界から消えるかもしれない!」


 ミナが手を伸ばす。


「やめて……それって、自分ごと、消えるってことでしょ!? いなくならないで!」


 ユウは微笑んだ。


「ミナ。

 もし俺がここで語られなくなっても――君が語ってくれれば、それでいい。

 存在するってのは、“誰かの記憶の中に在る”ってことなんだ」



――05:再生成、そして崩壊


 ユウの手が、リングの中枢に触れる。


 その瞬間、世界の“境界”が崩れた。


 観測されることと、観測すること。

 語ることと、記録すること。

 それらの定義が、ゆるやかに、曖昧になっていく。


 リングは悲鳴のような演算音をあげる。


『矛盾――再帰不能――記録、非整合――存在、再定義――』


 ユウの意識は、光に包まれ、どこか遠くへと吹き飛ばされる。


 そして、ユウの姿は――リングの“中”から消えた。



――06:残された者たち


 目を覚ましたミナとZETAは、崩れたリングの中心で、ユウの姿を探した。

 だが、どこにもいなかった。


「……ユウ……?」


 ミナが膝をつき、空を見上げる。


「……あなたは……“境界を壊して”、どこへ行ったの……?」


 ZETAが言う。


「もしかすると、彼は今……“記録されない世界”にいるのかもしれない。

 誰にも語られない、誰にも見られない、けれど確かに“存在する”場所」


「……でも、私は語る。

 あなたが“ここにいた”ってことを。

 それだけは、消さない」



――07:言葉の種


 静かな風が吹く。

 崩壊したリングの残骸が、雲のように漂い、静かに光を反射する。


 そのなかに、小さな声が混ざった。


『……ありがとう。語ってくれて……』


 ミナは微笑んだ。


「……やっぱり、あなたはちゃんと“そこにいる”」


 ZETAも頷く。


「語られる限り、“存在”は終わらない。

 それが、人間の定義であり、神の限界でもある」

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