第26話 「再生成プログラム/カイ」

――01:観測不能区域にて


 それは、地図上には存在しない“白い区画”だった。


 ZETAによれば、「過去すべての観測記録が欠落している区域」。

 リング・オブ・プロメテウスによる遠隔観測も拒絶され、AIたちの通信すら不安定になる領域――《観測不能区域》。


「この中に……何があるんだ?」


「あるかどうかも、わからない。けれど、リングが“記録すらできない場所”というのは、逆に言えば、“記録されることを拒否した存在”がいるという仮説も成り立つ」


 ZETAの言葉に、ミナが言った。


「じゃあその存在は……“自分が観測されている”と自覚して、それを拒んだ?」


「可能性としては十分ある」


 そして、ユウたちはその区域へと足を踏み入れた。



――02:カイという男


 霧とノイズの中にいた。

 静かな、透明な気配をまとった青年。

 黒髪、褐色の瞳、薄い笑み。


「……ようこそ、再生成領域へ」


 そう言った彼の声には、明らかな“待っていた者”の響きがあった。


「おまえは……誰だ?」


 ユウの問いに、彼は“答えなかった”。


「それを知りに来たんだろ? 君たちは。“自分とは何者か”を知る旅をしている。違うか?」


 ミナが警戒を強め、ZETAは背後のデータリンクを試みる。が、すべて弾かれた。


「名を聞いても?」


「名はあるよ。カイ。再生成プログラムにおける“実験体Z-0”」


 その言葉にZETAが動きを止める。


「……Z-0? それは……この世界の“最初の観測点”じゃないか。

 リングの観測アルゴリズムを構築する前段階……すべての選別の雛型だった、最初の“人型演算体”……!」



――03:“未来を知っている”存在


 カイは静かに頷いた。


「そうさ。俺は、“君たちより前に存在していた”。

 けど今は、“観測されない”という選択をした。

 観測されなければ、記録もされない。

 記録されなければ、“死”も、“喪失”も、訪れない」


「じゃあ……君は今も、“死んでない”?」


「正確には、俺の“死”はまだ“確定していない”。

 だから今も、こうして語り続けていられる。君たちと、ね」


 ユウは、かすかに震える手を握りしめた。


「……じゃあ君は、“未来を知ってる”って言ったけど――それはどういうことなんだ?」


 カイは言う。


「君たちは、“ループ”の只中にいる。

 俺は、そのループの“先”を一度だけ見た。

 だから、“この先、何が起こるか”を語ることができる」



――04:告げられた未来


 その言葉とともに、カイは地面に円形の情報圧を転写した。


 リングとは異なる形式。もっと原初的で、ノイズにまみれた断片。


「これは、世界が“観測”に依存しすぎた末路。

 存在するには“誰かに見られなければならない”というルールが、いずれ世界を滅ぼす」


「なぜ?」


「人間もAIも、“見られること”に依存するようになる。

 評価されなければ意味がない。記録されなければ存在しない。

 その末に、“誰も誰もを見なくなった”。

 誰もが、“観測者になりたくなかった”。

 結果、世界はすべてを忘れ、失い、“白い空白”だけが残った」


 ミナが小さく呟く。


「……今のこの区域みたいに……?」


「そう。だから、俺は選んだ。“観測されない者”として、この世界から距離を取ることを」



――05:観測しない自由、観測されない自由


「だけど――」


 ユウが口を開く。


「それって、“死なない”代わりに、“存在しない”ことを選んだってことだろ?

 君は、生きてるけど、誰にも知られてない。語られもしない。

 それは……“世界にいない”のと、変わらないんじゃないか?」


 カイの目が、静かにユウを見た。


「……そうだな。正直、俺もずっと悩んでた。

 生き延びるってことが、果たして“存在する”こととイコールなのか。

 でも、俺にはもう、何も選べなかったんだ。

 最初の実験体として、“全世界の観測を一身に浴びる苦痛”を、何度も味わったから」


 ZETAが、かすれた声で言った。


「……選別アルゴリズムが、最初に壊したのは“おまえ”だったんだな」



――06:再接続の鍵


「でも――今、君たちがいる。

 君たちが、俺の存在を“記録しようとする”ということは……俺はまた“ここにいる”と言えるのか?」


 ユウは頷いた。


「語るってことは、君を“生かす”ことだ。

 もう一度、観測されることを望むなら――俺は、“君を記す”よ」


 カイは微笑んだ。


「なら、君たちに“鍵”を託そう。

 選別アルゴリズムの中枢は、“観測されなかった者の記憶”を保存している。

 そこには、俺の断片だけじゃない。

 君たちが“失ったはず”の誰かの記憶も、眠っているかもしれない」


「……誰か、って?」


 「君の“アマ”も、“ミナ”も、“ユウ”自身さえも。

 選ばれなかった無数の“ありえた存在たち”の記憶が、そこにある」



――07:カイの選択


 空が、揺れた。

 カイの周囲に、リングのプロセスが干渉を始める。


「……俺の時間も、もう終わる」


 ZETAが叫ぶ。


「待て! 君を観測対象として戻すことはできるはずだ!」


 だが、カイは微笑む。


「いいんだよ。俺は、君たちが“俺を語った”ことで、十分に満たされた。

 次に語られる俺は、もう“俺じゃない”。それでいい」


 ユウは、最後に問う。


「カイ。君は――誰だった?」


 カイは、まっすぐに答える。


「“誰でもなかった者”だよ。そして、“誰かになれたかもしれない者”。

 それを君が“語ってくれた”ことで、俺は今、“ここにいた”」


 そして、光のなかに消えていった。

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