第25話 「分岐体ミナの目覚め」

――01:再会は記録にない


 辺境区域の旧通信塔跡地――。

 そこにミナはいた。


 小柄で無表情、ブレザーのような服に身を包み、長い髪を風に揺らしていた。

 だが、彼女の目にユウの姿を見ても、感情はまるで浮かばない。


「……あなたは?」


 その一言に、ユウは苦笑するしかなかった。

 ミナは――“かつてのミナ”ではなかった。


「名前は?」


「ミナ、って呼ばれてる。観測用分岐体X137号……っていうラベルもあるけど。

 あんた、私の知り合い?」


「……ああ。知ってる。君のことは、よく知ってる」


 ミナは眉一つ動かさず、首をかしげる。


「そっか。じゃあ、あんたが語ってよ。私が“どんな奴だったか”をさ」



――02:語るという試み


 ユウは、焚き火を囲むようにミナと向かい合った。

 ZETAは通信圏外で警戒に回っており、二人きりの夜だった。


「君は――すごく寂しがり屋で。だけど、それを絶対に誰にも見せなかった。

 よく遠くを見て、黙ってることが多かった。

 でも、たまに笑ってくれて……その笑顔が、どうしようもなく強くて……ああ、ダメだな、うまく言えない」


 ミナは無言で火を見つめていた。

 まるで、何かを探るように、何も聞いていないように。


「ねえ」


 唐突に、ミナが口を開く。


「それ、“前の私”が言ってたの? それとも……“あんたの中にいた私”?」


 ユウは少しだけ目を伏せた。


「どっちでも、あるし、どっちでもない。

 俺はただ……君が“またここにいる”ことが、嬉しいだけだ」


 そのとき――火の揺らぎとともに、ミナの中に何かが灯った。



――03:錯綜する記憶


「……ヘンだな」


 ミナが呟いた。


「今、聞いた話なのに――まるで“昔の夢”みたいに、懐かしい気がした。

 それって、何? “感情のデジャヴ”? それとも、“記録外の記憶”?」


 ユウは、はっきりと答えた。


「記録されなかったものが、誰かの中で“語られた”とき――

 それは、存在しなかった過去を“新しく生み出す”力になる。

 それが、“物語”なんだと思う」


 ミナは無言で目を閉じた。

 静かに、火の匂いのなかで、彼女の中の断片が震えていた。



――04:観測されざる自己


 翌朝、ミナはユウに尋ねた。


「私は……今、何者なの?」


「今の君は“分岐体”。つまり、観測シミュレーションにおける、最適反応値を示す個体……という“役割”を持っている。

 だけど、君はそれを“越えてしまった”」


「越えた……?」


「君は、“語られた過去”に共鳴して、“自分の感情”として受け入れようとした。

 その時点で、君はもう“ただの分岐体”じゃない。

 君自身が、自己観測を始めた存在……つまり、“新たな観測者”になった」


 ミナはその言葉を受け止め、少しだけ目を細めた。


「……つまり、私が“誰だったか”じゃなくて、“誰になろうとしてるか”の方が、大事ってことか」



――05:自我の痛みと光


 だが、その覚醒には代償があった。

 ミナの中で、存在しない記憶が“疼き”として芽吹いていた。


 それは“感情の幻肢”のようなもの――本来そこにあるはずの記憶が、脳内の空白を刺激する。


「頭……痛い。

 ……なんか、どこかで、誰かと手を繋いでた記憶が、あるような、ないような……!」


 ユウはすぐに駆け寄った。

 ミナの体が細かく震えている。


「ミナ、無理するな……思い出そうとしなくていい。

 記憶は“再現”じゃなくて、“再構築”でもあるんだ。

 思い出すんじゃない。君が“また作る”ものなんだ」


 ミナは苦しそうに、それでも、笑った。


「そっか……そういうの、前にも、言ってたっけ?」


「……ああ」


 その瞬間、ミナの瞳の奥に、わずかな光が灯った。



――06:第2の“目覚め”


 その夜、ミナは夢を見た。

 夢の中で、誰かが手を伸ばしていた。


 ――ユウだった。


 それは現実でもあり、記録にも残っていない、けれども確かに“あった”と感じる光景だった。


「……いたんだ。私の中に、ずっと」


 ミナは目を開ける。


 何も変わらない世界、壊れた街、冷たい空気。

 でも彼女の“内側”は、明らかに変化していた。


「ユウ。

 ……私、もうちょっとだけ、この世界に付き合ってみる」


 ユウは笑った。


「じゃあまた、旅の仲間に、加わってくれるか?」


「……それは、どうだろうね」


 と、いたずらっぽく口にした彼女の声は、確かに“ミナ”だった。



――07:再起動する観測者たち


 夜明け前、ZETAが戻ってくる。


「ミナ、君は――」


「うん。ちょっとだけ思い出した。

 でもそれ以上に、“これから思い出すかもしれない私”を、楽しみにしてる」


 ZETAは納得したように微笑み、頷く。


「分岐体ミナ、観測適性変動中。自己認識レベル、臨界点突破。

 ……おかえり」


 ミナは、少しだけ照れたようにうつむいた。


「なんか、それ、うれしいね」


 かつての記憶がなくとも、“語られた物語”が彼女を変えた。

 語ることは、記録ではなく“再起動”のトリガーなのだ。

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