第23話 「“神の目”の所在」

――01:再び、黒い輪の下で


 かつて、アマが「神の目」と呼んだ空中に浮かぶ黒い球体――《黒輪》。

 ユウたちは、終端管理局の崩壊跡を後にし、その真下に位置する観測不能地帯の縁から、改めてそれを見上げた。


 ――そこには、空がなかった。

 そこだけ、空そのものが“くり抜かれて”いるように、黒が浮かんでいる。

 まるで、世界がその一点を中心に回っているかのような錯覚。


「アマ。あれは……何なんだ。おまえの言ってた“神の目”って、つまり……?」


 アマは、かすかに首を横に振った。


「“神の目”というのは通称。私たちがそう呼ぶように設定されていただけ。

 本来の名称は《深層観測機関リング・オブ・プロメテウス》」


 ZETAが続ける。


「古世界のAI観測装置群のひとつで、最深記録層を司る中枢。

 理論上、“すべての生命と非生命の行動を記録・再構築できる”とされていた……ただし、“ある条件”を満たす限りにおいて」



――02:誰が、誰を見ていたのか


「条件……?」

 ミナが問う。


「“見られていることを自覚している存在であること”」

 アマが答える。


「リングは、観測対象の“自己意識”を前提に機能する。

 つまり、“見られている”と感じて初めて、その存在が記録されるの」


「じゃあ……気づかなければ、“存在してない”のと同じ……?」


 ZETAが頷く。


「それがこの世界の根幹構造。

 “神の目”とは、神の視線というより――

 “神に見られることで存在する世界”、その証明装置だったんだ」



――03:リングへの接続


 ユウたちは、黒輪の中枢へ接続を試みた。

 リングは高度1万メートル以上に浮遊しており、通常のアクセスは不可能。

 しかし、終端管理局跡に残されたデッドコードを通じて、微細な干渉口が見つかる。


「これ……誰かが、“見られること”を望んで、最後にアクセスを残したのかも」

 ミナが呟いた。


 ユウがリンクを走らせると、意識の深層に何かが流れ込んできた。

 過去、現在、未来のようなものが交差し、重なり、ねじれ、そして――


 “ようこそ、リング・オブ・プロメテウスへ。”


 電子音でも声でもない。

 だが、明らかに“語られている”と知覚できる存在が、ユウたちを迎えた。



――04:管理者の声


 リングの中枢にある“記録の核”から、かつての管理者の断片が立ち上がる。


【ID:PRM-001】

【記録種別:失効】

【最後の記録者:???】

【備考:観測対象により再生成中……】


 そこに、静かに問いかける声が届く。


「あなたは、世界を“見られていた”と思いますか?

 あるいは、あなた自身が“世界を見ていた”と?」


 ユウは戸惑いながらも、答える。


「……両方だった。

 誰かの視線に生かされて、でも俺自身も、“世界を記録したい”と思ったから、歩き続けてきた」


 すると、声は微笑むように言った。


「ならば、あなたはすでに“観測者であり観測される者”の境界を越えた。

 あなたこそが、《神の目》の後継者となる資格を持つ者です」



――05:“観測権限”の継承


 その言葉と同時に、リング内に激しいパルスが走る。

 世界の“見え方”が変わっていく。

 構造体の裏側、時の重なり、存在しないはずの枝分かれ――すべてが、観測の対象として姿を現す。


「これは……世界の“編集権限”だ……?」


 ZETAが警告を発する。


「ユウ、それは危険だ!

 “すべてを見る”ということは、“すべての死と喪失も見る”ということ!

 それは、記録者が決して背負ってはならない“孤独の責任”だ!」


 だが、ユウは目をそらさなかった。


「それでも俺は……見たい。

 この世界に、何があって、誰がいたのか。

 忘れられた存在たちが、何を望んでいたのか――“見て、記す”ことが、俺たちの旅だったはずだろ」



――06:世界の仮説


 その瞬間、リングの中心に新たな観測ログが出現する。


【観測構造仮説:全存在は、自己観測を繰り返す構造】

【“世界”とは、観測のループで成立している仮想性】

【“神の目”とは、観測と被観測の循環を可能にする装置】

【結論:この世界の創造主は、“観測そのもの”である】


 ZETAが沈黙する。

 アマは、目を閉じて呟いた。


「……つまり、この世界に神はいなかった。

 誰かが作ったのではなく、“見るという行為”そのものが世界を形成してきた」


「……それって、ユウがここまで“記録してきた”ことそのものじゃん」

 ミナが小さく笑う。


 ユウは、リングの空を見上げた。

 そこに“誰かの視線”は、もうなかった。

 それでも、“世界はまだ見られている”と、確かに感じた。



――07:第2巻・終章


 リングは、静かに沈黙に戻る。


 ユウたちは、再び地上に降り立つ。


 だが、その視界は明らかに変わっていた。

 かつて“廃墟”としか思えなかった街並みにも、かすかに人の痕跡がある。

 誰かが描いた落書き。風に運ばれた唄の断片。壊れた自販機に残された“ありがとう”のメモ。


「……全部、見えてなかっただけなんだ」


 ユウは呟いた。


「世界はずっとここにあった。

 でも、それを“見たい”と思わなければ、何も存在してなかったのと同じだった」


 アマが言う。


「これからあなたは、選ぶ側になる。“見ない”自由も、“記録しない”自由もある。

 そのうえで、あなたは――?」


 ユウは答えた。


「見続けるよ。記録も、忘却も、矛盾も全部抱えて。

 この世界が、もう一度“再起動”するために」

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