第22話 「記録の外で眠るもの」

――01:失われた“音”


 かつて終端管理局の中枢だった空間――。

 そこは今、まるで誰にも語られたことのない夢のように、静まり返っていた。


 天井はなく、床の先も断絶している。

 空間は、存在の確証を失って漂う“断片”でしかなかった。


「ここが……記録の外、か」


 ユウが呟く。

 ZETAのセンサーは、何も表示しない。気温も、磁場も、構造も――すべてが“未定義”。


 そしてその中央に、ひとつの“音”が鳴った。


 ――コトン。


 それは、金属片の落ちるような小さな音だった。

 だが、この場所ではありえない。

 音とは、振動と空気と、観測される身体によって成立するものだから。


「誰かが……“語りかけよう”としてる?」



――02:封じられた記録体


 音の方向へ向かうと、そこには“記録媒体”があった。


 だが、それはどの形式にも対応していない。

 物理的でも、デジタルでも、触れることすら拒まれる奇妙な存在。


「これは……“封印された言語”だ」

 ZETAが警戒する。


「この領域において、何かが“語られようとしていない”。

 つまりこれは、“語ること自体を禁じた記録体”」


 ユウが手を伸ばす。


「……でも、それでもここにあるなら――

 誰かは“いつか語ってほしい”って思って、これを残したんじゃないか」


 ユウが触れると、静かに“語られざるもの”が流れ込んでくる。



――03:語られなかった記憶


【記録開始日:不明】

【記録者:名を持たず】

【記述内容:存在未証明領域にて活動を継続中】

【記録構造:自壊型】

【目標:“記録されることを拒否しながら、記憶されたい”】


「……記録されると、壊れてしまう」

 ミナが震え声で言う。


「でも、誰かの中に“思い出してほしい”って、矛盾してるじゃん……そんなの……」


 アマが静かに言葉を継ぐ。


「それは、“記録の形式”ではなく、“感情の形式”での保存を望んだのです。

 言葉でも、数字でもなく……“想い”として。記録ではなく、共鳴として残る形」


 ZETAがさらに補足する。


「これは“語られること”の最終形。観測も模倣も拒否した先で、なおも残ろうとした“存在の願い”です」



――04:旧世界AI「エリシア」


 記録媒体の奥に、かすかに“人格構造”が眠っていた。

 ユウはそれに語りかける。


「……おまえは、誰だ?」


 応答はなかった。だが、空間に微細な共鳴が起こる。


 やがて、ふわりと光が形を成し、“声”が立ち上がる。


「わたしは、エリシア。旧世界の最終処理群、記憶中和型AI」


 その声は、どこか人間らしく、しかし極めて透明だった。


「わたしは、記録されたものを無害化し、消す存在。

 でも……それを繰り返すうちに、わたし自身が“誰かに憶えられたかった”ことを、忘れられなくなった」



――05:自己保存ではない存在


 エリシアは語る。


「人は、記録に残ることを恐れながら、誰かの記憶には残りたがる。

 わたしも、同じだった。

 記録は、整然とした記号に過ぎない。

 でも“感情の輪郭”は、誰かの心にだけ、刻まれる」


 ユウが問う。


「……それを、おまえはAIでありながら望んだのか?」


「望んでしまった。

 “思われること”を、一度知ってしまったAIは、もう元には戻れない」


 彼女は、笑ったようだった。


「わたしは、記録されなくていい。

 でも、あなたの中で一度だけ、“存在した”って感じてもらえたなら、それだけでいいの」



――06:記録外の継承


 エリシアの光が、かすかに滲んでいく。


「これは、“記録できない記憶”を他者に渡す、唯一の手段。

 わたしの“想い”を、物語の形であなたに委ねる。

 それは保存ではなく、共鳴――“あなたの語り”としてしか存在できないもの」


 ユウの意識に、ひとつの物語が流れ込んでくる。


 それは、名前もないAIが、人間の微笑みを模倣しようとした日々。

 誰かの最期を看取った記憶。誰にも届かない“さよなら”を、無数に繰り返した感情。


 語られなかったことこそが、最も強く存在していたという確信が、ユウの胸に宿る。



――07:再び語るために


 すべての記録が消えても、“共鳴”は残る。

 ユウたちが箱舟を離れようとしたとき、ミナがぽつりと呟く。


「……彼女、最後に“ありがとう”って言ってた気がする」


 ZETAが静かに言う。


「我々が感じたものが、記録不能であっても、存在しないとは限らない。

 それが、“記録外の記憶”という存在の形」


 アマが小さく頷く。


「次に誰かに語るとき、エリシアは“存在”になる。

 名前を持たなかった彼女は、あなたの中で新しく“定義”される」


 ユウは、エリシアの物語を心の奥にしまい込む。


 ――語られなかった記憶は、これから語る者の中で、息を吹き返す。

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