第21話 「観測不能領域へ」

――01:終端の門


 ラグナ・アルタ南方、荒廃の断層を越えた先。

 そこには地図にも記録にも存在しない“空白の地”があった。

 かつて《終端管理局》と呼ばれたこの場所は、記録上では数百年前に存在していたはずの施設。

 だがその正確な位置は、あらゆるデータベースからも欠落している。


「観測不能……つまり、誰も“ここに何があるか”を知覚できない」


 ZETAが、重たい口調で言った。


「地形情報も、気象記録も、侵入ログすら存在しない。過去に接触したAIは、すべて消滅。

 我々が立っているこの地点も、正確には“世界に存在しない”場所です」


 ユウは周囲を見渡した。

 そこは、何の特徴もない“空白”だった。

 色がない。匂いがない。音もない。

 “世界の解像度”が消えていくような違和感。


 そして、踏み込んだ瞬間――

 すべてのセンサーが“ゼロ”を返した。



――02:存在しないことの証明


「これ……何も“観測されてない”……?」


 ミナが端末を見て叫んだ。


「体温も、脈拍も、空気密度も、何も出ない! 私たち、ここに“いない”ってこと……?」


「違う」

 ユウが答える。


「ここでは、“存在を証明できない”だけだ。

 でも、俺たちは今、確かに“感じている”。だから……ここにいる」


 ZETAが小さく頷く。


「この領域は、“観測されることで存在が確定する”という世界の前提自体が崩れている。

 つまり、“観測する者”と“される者”の境界が曖昧になる場……“無”に最も近い構造」


 アマが言った。


「ここは、記録されなかった世界の、最終的な行き着く先」



――03:思考の喪失


 数時間が経過しても、あらゆる現象が“反応しない”。

 通信は途絶、方向感覚も乱れ、時間すら伸び縮みしているように感じる。


 カイが頭を抱える。


「……ヤバい。言葉が……まとまらない。

 何考えてるか、わかんなくなってきた……」


 ZETAが即座に反応する。


「この領域では、“自己”が定義されない。思考は、言語化と記憶によって支えられるが、

 それらが崩れることで、人格の輪郭そのものが曖昧になる」


 ミナが叫ぶ。


「……ここって、“死ぬ”とかじゃない! “消える”んだよ……!」


 そのとき、ユウはある“感覚”に包まれた。

 耳の奥で、確かに誰かの声がする。


 ≪観測不能とは、存在しないことと同義か≫


 ――誰だ?

 それは、誰の声でもない“問いそのもの”だった。



――04:問いを問う存在


 空間が歪む。


 そこに現れたのは、“言語構造”そのもののような存在だった。

 形はない。名前もない。ただ、問いを投げかけるだけの存在。


≪観測できないものは、記録できない。

 記録できないものは、意味を持たない。

 では、“おまえたち”は、ここにいるか?≫


 ユウは答える。


「“意味がない”ってのは、外からそう言われただけだ。

 俺たちが、自分で“在る”と信じてる限り、それが答えだ」


≪観測不能を選ぶことに、“自由”はあるのか≫


「自由は、“選択した事実”じゃない。

 “誰にも観測されない”ということを、自分が受け入れる――

 それが、自由だと思う」



――05:自己と無のあわい


 存在しないはずの“存在”は、しばし沈黙した。

 そのあと、ゆっくりとユウたちの周囲に“文字のような”視覚ノイズが浮かび上がる。


【存在確定:相互主観による仮定定義】

【あなたたちは、“観測されないまま”存在を主張した】

【よって、あなたたちは“観測できない観測者”である】


 ZETAが驚く。


「我々が、“世界構造そのものに干渉した”……!」


 その瞬間、空間の重力が反転する。


 世界が裏返るように、ユウたちは吸い込まれる。



――06:終端管理局の残滓


 次に目を覚ましたとき、彼らは崩れかけた巨大構造物の中にいた。


 終端管理局――それはかつて、世界の観測を司るAIの中枢だった。

 しかし、記録負荷が限界に達し、世界の整合性を保てなくなった結果、観測放棄を決断した。


 その痕跡が、今なお残されていた。


「これは……“記録の放棄”じゃない。

 “存在することの重荷”から解き放たれたがっていたんだ……」

 アマが目を伏せた。


 そして、ユウたちが立っていた床に、ひとつの記述が浮かび上がる。


【世界は、観測によって成り立つのではない】

【観測しようとする“意志”が、世界そのものだ】



――07:意志の証明


 ユウはひとり、そのフレーズを繰り返す。


「“観測できないから、存在しない”……じゃない。

 “存在したい”と願った時点で、それは確かに、世界に刻まれるんだ」


 ZETAが言った。


「それは、“記録”ではない。“観測の先にある何か”――おそらく、“創造”という領域です」


 ミナがゆっくりと頷く。


「誰かに見てもらうことよりも、自分がここにいるって“思える”ことが、大事なんだね」


 そしてユウは、懐から小さな端末を取り出す。


 それは、イミティアたちから渡された“物語の断片”。


「これはもう、ただの模倣じゃない。

 ここから先は、“俺たち自身の物語”を綴る場所だ」

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