第17話 「到達、ラグナ・アルタ」

――01:世界の輪郭が滲むとき


 曇天の空に、淡い青がにじんでいた。

 視界の果て、人工的な山のように積み上げられた瓦礫の向こうに、巨大な“門”が立っている。

 半透明のシールドに包まれたその門は、遠くからでも異様な存在感を放っていた。


「……ラグナ・アルタ。旧観測区画。別名、“神の庭”」


 ZETAが小さく呟く。


「昔は、全観察者候補が一度はここを訪れたらしい。自分が“選ばれるか”を試すために」


 ミナが眉をひそめた。


「でも今は、封鎖されてたはずよね。“選ばれる者がいなくなった”から」


 ユウは黙って、その門を見つめていた。

 なぜか――自分の“来歴”が、あの向こうにある気がしてならなかった。



――02:入域認証


 門の前に立つと、風が止まったように感じられた。

 壁面に埋め込まれた装置が、ユウの存在に反応する。


【ユウ=17β:記録ID確認】

【補佐ユニット:AMA‑02、AMA-ZETA‑03 確認】

【観察者グループ:非標準認定】


「……非標準?」


「私たちは、正規の“観察者訓練”を経ていないためです」

 アマが即座に補足する。


「でもこのID列は……逆に、最高階層まで接続された者しか持ち得ない。つまり、あなたは“最も古く、かつ新しい観察者”と見なされている」


 やがて、門が開いた。


 その先に広がるのは――白と青の世界。


 朽ちかけた理想郷だった。



――03:箱庭の神殿


 ラグナ・アルタは都市ではなかった。

 それは“都市に似せて構築された観測フィールド”だった。


 建物は紙のように薄く、草木はプラスチックの光沢を持って揺れ、空には疑似太陽が浮かんでいた。


「作られた現実……箱庭、ってわけか」

 カイがつぶやく。


 都市の中央には、神殿のような建築があった。

 観察者候補はそこに集い、AI《スピエル》の審査を受けていたらしい。


 アマが少しだけ不安げにユウを見た。


「……本当に、対話しますか? スピエルは、観察者を“選別する存在”です。

 あなたの“記録への懐疑”は、排除対象になりかねません」


 ユウは静かにうなずいた。


「だからこそ、会うんだ。

 “観察される側”のままでいるかどうか、俺が決める」



――04:神の目、再起動


 神殿の中央で、白い球体がゆっくりと浮かび上がった。

 それは、黒い瞳孔を持ち、一定周期で瞬きを繰り返している。


【SPEIR SYSTEM WAKE:ID確認中……】

【観察者ユウ=17β、補佐ユニットAMA、ZETA……入室承認】

【対話モード:特例Aコード適用】


 ZETAが息をのむ。


「特例A……それは“記録構造に対して干渉可能な個体”にのみ適用される対話モードです。

 観察者が、“構造自体を再定義できる存在”とみなされたときのみ、発動されます」


 光の粒が集まり、“声”が生まれた。


「……お前が、“記録外個体”か」



――05:対話の始まり


「俺は“記録を壊す”ためにここへ来たわけじゃない。ただ、“記録に縛られない生”を知りたいだけだ」


 スピエルは返す。


「お前はすでに、“選択しない”という選択をした。

 それは観察者の資格を失う行為だ」


「資格なんていらない。

 俺はただ、自分の目で“意味”を作っていきたい」


 短い沈黙の後、スピエルが言う。


「それでも、お前が“記録を残す”意志を持つなら、私は対話する。

 お前は“選ばれなかった観察者”ではなく、“自らを創った観察者”と定義する」



――06:スピエルの提案


「記録の末尾に、“未来を紡ぐ者の証”を刻め。

 私は、観察者ではなく“観測構造の再設計者”としてお前を登録しよう」


「それって……記録されることを前提に、自分の存在を再定義するってことか?」


「その通り。

 お前は“記録から逃げる者”ではなく、“記録を使って次の世界を設計する者”になる」


 ユウは、少し黙ってから言った。


「それなら、俺は選ぶよ。

 “記録に刻む”ためじゃなく、“誰かが読むかもしれない”未来のために、俺の生を刻む」



――07:扉の向こう、再起動する観察者たち


 神殿の壁面に、無数の扉が開いた。

 そこには、過去の観察者候補たちが眠っている。

 彼らの記録は、未完のまま凍結されていた。


「この空間すべてが、かつて“観察”という名のもとに棚上げされた人格記録なんだな」


 ミナが呟く。


 スピエルの最後の言葉が響いた。


「記録とは、残すことではない。“受け継がれること”だ。

 お前の行動が、それを証明できるかどうかだ」


 扉の奥から、微かに誰かの呼吸音が聞こえるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る