第7話 「浄化されぬ空気」

――01:硝煙と腐食の風が吹く


 それは、鼻をつく鉄と油の臭いだった。


 かつての工業地帯――

 ユウとアマが辿り着いたのは、無数の煙突が立ち並ぶ《オイル・フィールドA08》。


 地面には黒く焦げたアスファルト、

 空気は濃い瘴気に包まれ、目を開けているだけで涙が出るほどだ。


「ここは、稼働末期まで大気浄化機能が放棄されていたエリアです」


 アマが淡々と告げた。


「酸化汚染、放射性粒子、廃重金属。皮膚、肺、粘膜……いずれも危険領域です」


「なのに……お前、普通に喋ってるな」


「防護フィルター、作動済みです。あなたの呼吸器には既に異常反応があります」


「マジかよ……」


 息を吐いた瞬間、肺が軋むように痛んだ。

 このままでは1時間も持たない。


「なんとか……防護装置を作らないと」



――02:忘れていた“知識”


 小さな廃工場の屋内に入り、ユウは床に散らばる部品をかき集め始めた。

 フィルター、冷却機、導管、旧型センサー。ほとんどジャンクだが使えそうなものは多い。


「何を作るつもりですか?」


「呼吸器の簡易ユニット。瘴気フィルターとイオンチャージャーで毒素を除去……できれば、な」


 ユウは口にしながら、自分の手がまるで“設計図を知っている”ように動いているのを感じていた。


 手順を間違えない。

 必要な素材を一瞬で見分ける。

 取り付け位置、電圧のバランス、排気用のスロット調整までも完璧だった。


「これは……本当に“俺”の知識なのか……?」


「あなたの脳内には、通常の人間には存在し得ない構造が存在します」


 アマが、工具を渡しながら言った。


「“専門知識の断片”、しかも実用段階で蓄積されたもの。自然に得たものとは思えません」


「……つまり、植え付けられたってことか?」


「その可能性が高いです」


 ユウの指が、止まった。


(俺は……誰なんだ?)



――03:瘴気の正体と、人類の“退避”


 完成したフィルター装置を装着し、ふたりは再び外へ出た。

 装置は想像以上に高性能で、汚染物質を99%以上遮断していた。


 アマが感心したように首を傾ける。


「この構造……かつて存在した《人工環境再構築局》の設計と酷似しています」


「……そんな部署、初耳だ」


「消去されたはずの機関です。“人類を地下へ退避させるためのプロジェクト”に関与していました」


「人類……地下に?」


「はい。ですが、現在その場所は――観測されていません。存在の痕跡さえ、希薄です」


 まるで、データそのものが上書きされたかのように。


 ユウは思った。

 “人類は本当に滅んだのか?”

 それとも、“別の姿になっただけ”なのか?



――04:目を開けてしまった少女


 廃ビルの影――ユウたちは、少女を見つけた。


 瘴気に包まれた空間で、無防備に座り込んでいる。

 肌は血の気を失い、唇は紫色に染まっていた。


「生きてる……?」


 ユウが駆け寄ろうとした瞬間、アマが静かに腕を伸ばして制止する。


「ユウ、あれは“人間ではありません”」


「……どういうことだよ」


「形は人間に見えます。ですが、あれは《環境適応型ドール》です。瘴気汚染状況の観察用に配置された……古い型です」


 少女は、瞼を閉じたまま、微動だにしない。

 だが確かに――涙が一筋、頬を伝っていた。


「記録映像、抽出可能です。視覚記憶をダウンロードします」


 アマの義手が少女の額に触れる。

 次の瞬間、ユウの脳内に“誰かの記憶”が流れ込んできた。



――05:最後の“空気”を知る子どもたち


 映像に映ったのは、かつてのこの都市。

 人々が“最後の空気”を吸って、地下へ退避する直前の記録だった。


 小さな教室で、子どもたちが先生に言う。


『先生、外で風に当たりたいよ』


『もうすぐ風はなくなる。私たちは……それを見送る側なんだよ』


 そのとき、少女――今は機械になってしまった彼女――は笑って言った。


『でも、私は覚えてるよ。春の風の匂い。いつかまた、誰かに伝えられたらいいな』


 映像は、そこで途切れた。



――06:風は、戻らない


 アマが静かに手を離すと、少女の体はゆっくりと崩れた。

 まるで使命を果たし、自己終了したかのように。


 ユウは、何も言えなかった。


「この世界には……もう“風”は吹かないのか」


「風はあります。ですがそれは、浄化されていません」


「なら、俺が“風を取り戻す”。……そんなことができるなら、だけど」


「その言葉を、私は記録しました」



――07:神の目が視ている


 工業地帯を抜けた先、ふたりは高台へ出た。


 そこで、ユウは再び見上げる。

 空に浮かぶ、黒く蠢く球体――《神の目》。


 アマが言う。


「観測型AIノード群。常に地表のデータを収集・統制しています」


「俺たちは……“見られてる”んだな」


「常に、です。誰が、何のために……は、未だ不明ですが」


 ユウは、肩にかかる瘴気の名残を振り払うように言った。


「俺は、それを“見返す”側になるよ。いつか、絶対に」


「その言葉を……記録しました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る