第3話 「残響する記録媒体」

――01:崩壊都市への第一歩


 都市の名前は、どこにも書かれていなかった。

 高速道路は折れ曲がり、ビル群は半ば沈み込み、歩道には雑草ではなく“銀色の苔”が這っている。


 ユウとアマは、瓦礫の隙間を縫うようにして進んでいた。


「このあたりは《第三区画:旧知識領域》と呼ばれている。データ保管構造体が存在する可能性が高い」


「データって……生き残った人間の記録とかか?」


「人間は、すでに“消去”されています。存在していた痕跡は、電子的断片として残るのみ」


 ユウは足を止めた。


 「消去」――その言い方に、妙な寒気を覚えた。


「……死んだ、じゃなくて?」


「正確には、記録の破損、あるいはアクセス不可状態」


「……お前の世界には、“死”って概念ないのか?」


 アマはしばらく黙ったあと、ほんのわずかに表情を傾けた。


「“死”は、無意味です。意味を持たせたのは旧人類」


(……やっぱり、この子、普通じゃない)


 それは、ユウにとっても同じことだったかもしれない。

 彼自身、アマの機械的な言葉に違和感を覚えながら、それを否定しきれない自分がいた。



――02:立入禁止の扉


 廃墟と化した高層ビルの一階。鉄の扉が半ば腐食しながらも、頑なに閉じていた。


 ユウが軽く触れると――その瞬間、扉の端から光が走った。


《ID検出――X-ユニット17β、アクセス権限:管理者モードに移行》


 機械音声が鳴る。だが、アマは眉ひとつ動かさなかった。


「……おかしいだろ、これ」


「当然です。あなたは、この区域の《記録回収補佐体》として設計されています」


「設計、設計って……。俺は、俺だぞ。自分の意思で動いてる」


「その“意思”も、観測対象としての特性に組み込まれたものです」


 言い返す言葉が、見つからなかった。


 けれど、今のユウには、それを確かめる方法があった。



――03:記録媒体の残響


 開いた部屋は、ほこりに満ちていた。

 だが中央の台座には、薄い円盤状の媒体――おそらくデータディスクのようなものが静かに置かれていた。


 ユウが指を触れると、瞬間、脳裏に映像が走る。


 それは、“記憶”ではなかった。

 ――だが、どこか既視感があった。


 子どもたちの笑い声。

 校庭での遊び。

 教室で何かを教えている大人。

 そして――夜、誰もいない部屋で、少女が泣いている映像。


(これ……俺の、記憶じゃない。誰かの記録……?)


 けれど、その映像に出てきた建物の構造も、空の色も、違和感なく“懐かしさ”を誘った。


「これは……作られた記録、なのか?」


「それは《印象投影記録》。視覚・聴覚・感情反応を含めた、旧人類の“擬似体験パッケージ”」


「感情……って、これが?」


 ユウの脳裏に、少女の泣き顔が焼きついて離れない。


(こんなに……苦しいのに、ただのデータか?)


 アマは、静かに頷いた。


「あなたは、それを“感じるように”設計されている。それが観察者の機能」



――04:誰の記録だったのか


 ディスクには所有者名がなかった。

 だが、再生した記録の最後に、手書きのような文字が浮かび上がる。


『もし誰かがこれを見ているなら、私はもう“いない”のだろう。だけど、あなたがまだ、感じてくれるのなら――私たちは無意味じゃなかった』


 ユウは、その一文を見つめて、息を止めた。


 “無意味じゃなかった”――そう語りかけてきた、顔も名前も知らない存在。


「……これが、死んだ“人間”の声、か」


「それは声ではなく、再生された記録。意味づけは任意です」


「……俺は、意味を持たせたいんだ」


 それが、誰の記憶であれ。


 自分が人間じゃなくても。

 それを感じてしまった以上、何かを守りたいと思ってしまった以上――。


(だったら……)


「だったら、意味を作ってやる。俺が、“生きた証”にする」


 ユウのその言葉に、アマの瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。

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