第2話 観察される存在としての違和感

――08:呼吸できない空気


 地上に出て、最初に気づいたのは、空気の“異常さ”だった。

 一見、澄んでいるように見える。青空すら広がっている――だが、肺に入れた瞬間、胸に微細な刺痛が走った。


「……ゲホッ、ゴホッ……」


 呼吸が重い。目の奥が痛む。酸素の成分が違う――そんな感覚がある。


 ユウは咄嗟に、先ほど集めた機材の中から簡易フィルターらしきものを取り出し、バンドで口元を覆った。

 取りつけ方も、効果的な吸気時間も、なぜか知っていた。


(……これって……)


 違和感は、確信に変わりつつあった。


 彼の知識は、日常生活のものではない。

 明らかに“極限環境での生存”に最適化されていた。


(俺は……前の世界でも、こんな場所にいたのか?)


 それとも。


(“この世界に合わせて調整された”……?)


 不意に、太陽の傾きに合わせて、遠くの廃墟群の影が長く伸びた。


 その影の中に、黒い点のようなものが“動いた”。



――09:“それ”は、空から見ている


 ユウは足を止め、頭上を見上げた。


 雲が薄く裂ける。その合間から、なにかが――こちらを見下ろしているような感覚が降ってきた。


 漆黒の球体。それはあまりにも遠く、まるで空に浮かぶ小さな月のようだった。

 けれど、確かに人工物の質感がある。なめらかで、完全無機質。放射線のような細い光線を、わずかに地表へ向けていた。


「……監視、してる?」


 自分の声が驚くほど冷静だったことに、ユウ自身が驚く。


 そして、それを“知っている気がする”ことに、もう一度驚いた。


(アレは……俺を見ている)


(それとも、“俺たち全員”を――?)


 だが、その思考に割り込むように、突如――背後から、音がした。



――10:少女の足音


 瓦礫の向こうから、足音が近づく。


 地面を踏む金属のような響き。細く、規則的なリズム。

 振り返ったユウが目にしたのは、――ひとりの少女だった。


 年齢は十代半ば。白銀の髪に、片腕が機械義手。顔立ちは整っていたが、目の奥に“感情の起伏”が薄く見える。


「……観測対象001、予定通り、起床済み」


「は?」


 ユウが思わず訊き返すより早く、彼女は一歩、近づいてきた。


「私はアマ。機動観測体:E-13。あなたのサポートのために設計された個体」


「ちょっと待て、何を言って――設計? サポート?」


 少女――アマは、瞬きをひとつもしないまま、冷静に答える。


「あなたは、“選別転送”によりこの区域に再配置された。データ確認のため、当面の共同行動を推奨する」


「……おい待て、転送って、俺は……死んで、ここに転生したんじゃないのか?」


 そう叫びながら、ユウは自分の心にひっかかる“違和感”が形を取り始めていることに気づいていた。


 死んだ記憶がない。

 “転生”した感覚がない。

 なのに、勝手にそう解釈していたのは、なぜだ?


(……まさか、俺は)


「あなたは、“ヒト”ではありません」


 アマが言い放った。


 無感情に。機械のように。だが、その響きはあまりに重くて、静かだった。



――11:起動したプロトコル


 ユウは言葉を失った。

 けれど、アマはさらに続けた。


「あなたの構成要素には、標準的な有機生命体由来の成分は検出されていない。中枢記憶領域には断片的な“人間の記憶”が模倣されているが、それは模倣体験」


「やめろ……!」


 叫んだその声が、風のない都市に吸い込まれる。


 だが――自分の胸に手を当てた瞬間、ユウは気づいてしまった。


 脈が、ない。


 ずっと走って、戦って、傷も負った。

 なのに、鼓動を感じたことが一度もなかった。


 怖いほど、冷静な自分がいた。


「……俺は……人間じゃない?」


「あなたは《転生適応型汎用個体》……正式には“X-ユニット17β”。旧人類文明が残した、AIの観察記録体」


 その言葉が意味することは、まだ理解できなかった。


 けれど、ユウは本能的に悟る。


 自分が目覚めたこの世界は、終わった世界であり――

 自分自身も、終わりの先に創られた“存在”であることを。



――12:静寂の中の目覚め(ラストシーン)


 ユウは空を見上げた。

 黒い球体は、まるで感情すら持たぬ“神”のように、ただそこにあった。


 もしかすると、すべては最初から仕組まれていた目覚めだったのかもしれない。

 記憶喪失、転生の誤解、戦闘、アマとの邂逅――その全てが“演算されたシナリオ”だとしたら。


 だが、それでも。


「俺は……自分の意志で、生きる」


 それが、プログラムでも、幻でも。

 彼は、目を背けなかった。


 アマは一瞬、瞼を細めた。


「その選択は、記録されます。すべての選択は、“観測対象”の判断として――」


「好きにしろ。お前が誰の命令で動いていようと……俺は、俺の道を選ぶ」


 そのとき、黒い球体の下――遠くの都市で、小さな光が灯った。


 それは、ただの幻か。

 あるいは、まだ何かが“生きている”証か。


 ――彼らの旅は、今、始まった。

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