12
滉青の母親は、結局父親に殴り殺された。滉青はそれを、部屋の隅で身を縮めながら見ていた。もう、昔の話だ。
過去の亡霊を、頭を一度軽く振ることで追い払い、滉青はスマホの時計を確認した。そろそろ、美雨が帰ってくる時間だ。それまでまた少し寝よう、と、滉青はベッドに倒れ込んだ。彼は、いくらでも寝られた。不思議なくらい、いつでも、いくらでも。寝ている間は考えたくないことを考えなくてすむから、得な体質だと自分で思っている。白いシーツの中で目を閉じ、深い呼吸をして、すぐに眠りに落ちた滉青が次に目を覚ましたのは、とんでもない騒音のせいだった。なにか重たいものがひっくり返り、陶器が割れる音がする。驚いて身体を起こし、身構えると、目の前には美雨がいた。彼女が、白いテーブルを蹴り倒し、散らばった食器類を壁に投げつけたのだ。
「美雨さん!?」
「なにこれ。」
「え?」
「なによ、これ。」
美雨が、拾い上げたクッションを掴み、それで滉青の頭を殴った。クッションなので痛くはないが、呆気にとられた滉青は、ただ美雨を見上げることしかできない。
「勝手なこと、しないでよ。」
美雨の言葉は、大声こそ出してはいないが、振り絞られた悲鳴に聞こえた。喉の奥でひしゃげた声が、滉青に投げつけられる。それは、大声でない分、なおさら痛々しくも聞こえた。
「ごめん。」
滉青は、両腕で頭を庇いながら、謝った。自分がなにに対して謝っているのかもよく分かっていなかったけれど、とにかく、美雨の機嫌を損ねたのだと、それだけは分かっていたし、美雨の気魄には、クッションを放り捨てて、次は皿か茶碗で滉青を殴りつけてきそうな危うい迫力があった。
「ごめん、美雨さん、ごめん。」
何度でも繰り返し謝りながら、滉青は美雨を押しのけて逃げ出さない自分に内心驚いていた。おんなに切れられるのは、慣れている。だから適当に謝りながら隙を伺い、タイミングがきたらおんなを押しのけて逃げ出すのが、滉青のいつもの手だった。後は、おんなが疲れて冷静になった頃合を見計らって部屋に戻り、セックスでもしてアフターケアとすればいい。それなのに今、滉青は、じっと美雨にクッションで殴られながら、美雨の怒りが収まるのをただ待っている。一番面倒くさいタイミングを、逃げ出さないで、なんとか彼女をなだめようとしているのだ。
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