13
しばらく美雨は、クッションを振り回して滉青を殴り続け、滉青は美雨の身体を抱きかかえるようにして彼女をなだめ続けた。
永遠とも感じられる攻防の後、ぱたん、と、美雨が力をなくした。そのまま全体重を、滉青に預けるみたいにだらんと力を抜く。滉青が一瞬、彼女は気を失ったのではないかと思うくらい、それは突然のことだった。
「美雨さん? ……大丈夫?」
慎重に、滉青は低く沈めた声で、美雨の耳元に囁いた。美雨は数秒間黙りこんでいたけれど、ふわりと、硬い花のつぼみがほどけるように、口を開いた。
「……家なんて、いらないの。」
滉青は、なにも言い返さず、ただ彼女の言葉を聞いていた。ちょっとでも滉青が我を出したら、それっきり二度と口を開かなくなりそうな、そんな雰囲気が美雨にはあった。
「家は、いらない。だから、家具は置きたくないの。」
滉青は、彼女がそれ以上口を開く気配がないのを確認してから、そっか、とだけ呟いた。
家は、いらない。だから、家具は置きたくない。
滉青には、彼女のその言葉が、とても悲しく聞こえた。とくに、滉青が買ってきたものたちがどれも安物で不揃いで、まともな家具とは言えないようなものだったから。
美雨は、滉青の腕の中で、じっとしていた。俯いた彼女の表情は、乱れた長い髪に隠れてうかがえないけれど、その体温は、少し滉青を心丈夫にした。だから、その問いを口にすることができたのだ。
「……函崎さんと、住んでた家は?」
性交もなく、結婚していたという函崎と美雨。滉青には理解できないなにかが、二人の間にはあるのだろう。滉青が、どんなに理解しようとしても、届かないなにかが。
「……あの頃だけよ。私に家があったのは。」
美雨が、ぽつんと言った。滉青はやっぱり、そっか、と応じた。それだけの言葉を口にするのにも力が必要なくらい、胸が痛んでいるのが不思議だった。函崎とは、一度会って、なんの意味もないセックスをしただけの関係なのに。美雨とだって、好奇心でちょっと、一緒に暮らしてみようと思っただけの仲なのに。それでも滉青の胸は、痛むのだ。多分、二人の間には絶対に入れないから。二人の間には確かな絆があって、その中に滉青が割り込める隙間なんて全くないから。
こんなふうに、誰かに手が届かないということで、胸が痛むのははじめてだった。これまでずっと滉青はひとりきりだったし、それを悲しいとか寂しいとか思うこともなかった。
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