第2話 牛味ちゃんのシフト、それは希望の羅針
牛丼の汁が、ごはんにしみしみになっている――
いつも通りの三種のチーズ牛丼、いつも通りの並盛り、いつも通りの味噌汁。
しかし、味はまるで違って感じられる。なぜなら、今日も彼女がいたからだ。
牛味ちゃん。
制服のシャツの上からでも隠しきれない肉厚の果実と、笑うと目尻が下がる無防備なその表情。
一挙手一投足がすべて、僕の視界のピントを合わせ直してくる。もう何度見たか分からないはずなのに、見るたびに心臓が持っていかれる。
こんな“牛丼屋限定の恋”があるなんて、誰が思っただろう。
でも、最近の僕にはひとつ、大きな悩みがあった。
「……彼女のシフトが、読めない」
つい先週までは、月・木・金の夕方、土曜の昼にもよく見かけた。
僕なりに統計を取って、「これは完全にシフト固定型だ!」と踏んでいた。
なのに、今週に入ってから急に見かける日がズレてきたのだ。
日曜の昼、彼女はいなかった。
月曜の夜、姿なし。
火曜の夕方、いなかった。
水曜――いた。突発的な光の出現に僕の心はバグった。
「つまり……ランダム……!?」
この牛丼屋の裏で神はサイコロでも振っているのか。それとも牛味ちゃんは、気まぐれな旅人のように好きなタイミングで現れているのか。
とにかく、安定して牛味ちゃんに会えないことが、僕の胃袋にダメージを与えていた。牛丼はうまい。けれど、彼女がいないと何かが足りない。タレか、チーズか、違う。愛だ。愛が足りない。
そんなある日。木曜の夕方、いつものように店の前まで来た僕は、そっとガラス越しに中を覗いた。
いた。いたいたいた。
ツインテールがふわっと跳ねるように揺れていて、シャツのボタンが、なんだかもう、気持ちの主張が激しかった。今にでも吹っ飛んでいきそうだ。
僕はすぐさま自動ドアに吸い込まれるように入った。
「いらっしゃいませ〜!」
今日も明るい声。厨房奥から現れた牛味ちゃんは、いつもと同じ笑顔でカウンターに立っていた。
「三種のチーズ牛丼、並盛りと味噌汁で……」
そう告げると、彼女は「はいっ」とにっこりしてトレーを用意する。
その一瞬の仕草すら、僕には超スロー再生に見える。どうかしてる。
渡されたトレーを受け取るとき、僕は勇気を出して聞いてみた。
「あの、……その、最近あんまり、いない日もあって……その、牛味ちゃん、シフトってどうなってるんですか?」
聞いた瞬間、自分の声が震えていたことに気づいた。店内のBGMよりも小さい、蚊の鳴くような声だったかもしれない。
でも、彼女は少しだけ目を丸くして、すぐにふわっと笑ってくれた。
「ああ、テスト期間で学校の都合なんです。今はちょっとシフトばらばらで」
「そ、そうなんですね……」
やばい、“学生”だ。そうだよね、バイトだもんね……ってことは、高校? 大学? 専門?
とにかく「そうなんですね」以外の語彙力が死んだ僕は、急いで席につく。
それでも――
牛味ちゃんは、僕の質問に答えてくれた。笑ってくれた。それだけで、僕はこの牛丼を一生忘れない。
テスト期間か。つまり、今の不安定なシフトは一時的ということだ。
またあの規則正しい光が、定期的に僕の人生に差し込んでくる日が来るかもしれない。
「いただきます」
牛丼を口に運ぶ。
とろけるチーズとタレのしみた牛肉がご飯に絡まって口の中を満たしていく。しかし、僕の心を満たしているのは、牛味ちゃんのあの笑顔だった。
少しずつ、会話の距離を詰めていく。名前を覚えてもらうのもいい。顔を覚えてもらうのもいい。
やがて、もしも、僕の存在が“お客さん”以上のものになれたなら――と何度も夢に見る。
その日を夢見て、僕は明日もこの赤と黄色の看板の下に立つ。
牛味ちゃん、今日もありがとう。
そして、明日も会えますように。
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