第8話 夏希の思い出
夕暮れが差し込む図書室。
窓の外が青から赤にに染まる頃、空間に響くのはページをめくる音と、ペン先が紙を滑るわずか
な音だけだった。
私はその静けさが好きだった。
誰にも注目されず、誰とも比べられない。自分でいられる場所。
当時の私は、今とは正反対の“日陰の人間”だったと思う。
あの頃の自分を言い表すなら、まさにそんな言葉がぴったりだった。
本を読んでいた私の耳に、ふと紙をこする音が届いた。思わずその方向に視線を向ける。
そこには、真剣な目でスケッチブックに向かう男子生徒がいた。
名札の色で同じ学年だとわかったけど、当時の私は人と話すのが苦手で、声をかける勇気なん
てなかった。
(、、あの子、いつも絵を描いてる)
私は放課後、よく図書室に寄って帰っていたけれど、彼もまた、いつもそこにいた。
静かな空間の中で、誰にも気づかれないように、でも確かな熱を持って何かを描き続けていた。
数日が過ぎたある日。私は思い切って、話しかけてみた。
「ねえ、何描いてるの?」
驚いたように顔を上げた彼は、少し戸惑いながら答えた。
「、、僕、下手だからあんまり見ないでほしい」
「あっ、ごめん。変なこと聞いちゃって、、」
そう言って立ち去ろうとしたとき、不意に彼の声が背中を追いかけてきた。
「、、下手でもいいなら、見ていいよ」
そう言って、そっとスケッチブックを差し出してくれた。
スケッチブックには小さく名前が書いてある。
「ありがと、、冬馬君って言うんだ」
ページを開くと、そこには図鑑に出てきそうな鳥のスケッチや、机の上の文房具が繊細な線で描
かれていた。
「すごく上手、、」
そう呟きながらページをめくると、不意に“人の顔”が目に入った。
「あれ、、?」
見覚えのある横顔。驚いてもう一枚めくると、明らかに私だとわかる絵が現れた。
「わっ、、!」
彼は慌ててスケッチブックを閉じ、私の手から引き取った。
「、、そのページは、見ないでほしい」
「びっくりしたな。でも、、上手だったよ。」
「、、君に見せたら、申し訳ないと思って」
「、、まさか、私が本を読んでるところ、、描いてたの?」
彼は、ほんの少しうつむいてから答えた。
「うん。本を読んでるときの横顔、なんか、、よかったんだ。静かで、落ち着いてて、、綺麗だった」
その言葉が、心の奥まで届いた。
誰にも注目されない、透明な存在だった私を、彼は見ていてくれた。
「、、こんなふうに見えてたんだ、私のこと」
「髪が長くて、いつも下を向いてるけど。、、表情は、やわらかくて、綺麗だったよ」
それは、たった一言。
でも、その一言が
私の中の何かを、確かに変えた。
見てくれてる人が、いる。
そんなの、生まれて初めてだった。
その日の夜。私は鏡の前で、震える手で長くて目が隠れそうだった前髪を切った。
翌朝、教室で「雰囲気変わったね」とクラスメイトが声をかけてくれた。
そして放課後、図書室に行くと、彼がすぐに私の変化に気づいてくれた。
それが嬉しくて、私は少しずつ、髪型を変えたり、メイク動画を見てみたり、流行の服を研究した。
自分が変わっていくことが、彼に見つけてもらえる手段のように思えた。
そして私は少し離れた高校に進学しもう知り合いはいないと思っていた。
でも、入学式の日。
廊下の向こうにいた冬馬を見つけて、胸がぎゅっとなった。
しかも、同じクラスになったとわかった時は、心の中でこっそりガッツポーズをした。
また、話しかけてもらえるかもしれない。
そう思って、私は彼に見つけてもらえるように変わることを決意した。
メガネをやめて、コンタクトにした。
明るい子のふりをして、頑張って高校デビューを果たした。
でもその結果、冬馬とは、以前よりも距離ができてしまった。
きっかけをくれたのに。
世界を変えてくれたのに。
名前さえ呼ばれなくなった。
もう、名前も覚えてくれているのかもわからない。
あの時の言葉は、冬馬にとってはただの一言だったかもしれない。
でも、私にとっては、世界を変える魔法だった。
だから。
彼が別の誰かを見つめて、絵を描いているのが
少しだけ、悔しかった。
「、、君に見てほしかったのは、ずっと、私だったんだから」
淵本夏希(ふちもと 夏希)
冬馬とは中学校の同級生 元々はメガネで目立たないおとなしい子だったが垢抜けてクラスでも
人気な人物に変わった。
今でも、冬馬のことを覚えており話しかけたかったが、機会がなく残念に思っていた。冬馬のイラ
ストはたまたま、似顔絵を描いてもらったときのイラストの書き方を覚えており、それに似た書き
方をする人をフォローしていた。まさか、(冬馬本人)だとは知らずに。
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