この世界は

嘘というものは。

柔らかく、脆いものだ。

触れると痛いものの代わりにはなるが、それだけで頑丈な体は作れない。

使って上手くいっている例が、多くないものの一つである。

わざと、自らを嘘で塗り固める人間もいる。

その上で、そもそも。

触れるべきものなのか、嘘で代替するべきものなのかの判断。

それが、極めて困難。

そして、その考え方には個人差が出る。

あの時の嘘は、慎むべきだった。

いや、直接的に言ってしまったら。

こんな言い合いも、時には起きる。

そして、そんなことらの積み重ねが。

嘘の印象を歪ませるのだ。

人間の記憶は、かなり抽象的であるからだろう。

あの時の嘘ではなく、嘘自体が招いた問題と脳が簡略化する。

一部が悪いと、全体が悪く見える錯覚の代表的な例でもあるだろう。

尤も。

人間が正しい使い方をすれば良い、という話ではあるが。

でも、そんなことを言うと。

人間は、嘘の使い方を間違えていると言いたいのか。

お前一人で、そんなことを言うな。

そう思うだろう。

だが、人間は。

正しい使い方と、都合のいい使い方。

この二つを、よく混合する。

これは事実だ。

例えるならば。

野球の試合に野球ボールを使うのと、キャッチボールに野球ボールを使うようなものだ。

野球の試合に野球ボールを使う。

これは当たり前に、正しい使い方だ。

自分の勝手な想像が入らない、推奨された安全な使い方。

本来の役割、そのままの使い方だとも言える。

反対に、キャッチボールに野球ボールを使う。

これは、都合のいい使い方だ。

自分の勝手な想像を入れた、過信した使い方。

だと言える。

が、補足をしておかないと。

キャッチボールに野球ボールを使うのが、いけないことなのか。

そんな批判が聞こえてきそうだ。

勝手な想像、過信。

たしかに、言い方が悪い。

だが。

いけないこと、とは言っていない。

要は、そのものが持っている能力。

それを把握して、本来の使い方ではない良い使い方の模索。

俺が言いたいのは、応用のことである。

応用は悪いことではない。

むしろ、世界の発展に貢献するような行為だ。

では、都合がいい使い方は推奨するべきか。

それは違う。

なぜならば。

都合がいい使い方が、必ず応用になる。

わけではないからだ。

個人的に。

都合のいい使い方には、応用と強引の二つがあると思っている。

応用は、さっきも言った通り。

そのものの能力を把握し、その能力の他なる良い使い方の模索。

のことだ。

強引は、その逆で。

そのものの能力の理解がない状態で、自己中心的な使い方をすることである。

火だから良いだろうという変な理由で、煙草を線香花火に近づけているようなものだ。

さて。

ここで本題。

この世界は、嘘がつける世界と同じ幸福度なのか。

それは嘘の強引な使用を、どれだけ人間がしているのか。

それに直結するだろうと考えた。

今一度、頭を働かすと。

人間はやはり、嘘の強引な使用が多い。

ならば、嘘をなくしてしまえば。

強引な使用を主とした、嘘の悪用がなくなり。

幸福度は、上がるのではないか。

俺も一度は、そう思った。

でも、まだ考えることがあるのではないか。

それは、強引が遅効性の毒であるということだ。

さっきも言ったが、強引とは。

そのものの理解もなく、自己中心的な使い方をすることである。

それは嘘が持っている毒ではなくて、嘘と下手な人間が関わることで発生する毒だ。

要は。

嘘自体は無害であり、嘘の正しい使い方をしている人も中にはいるということだ。

なら、本題の結論は。

強引な使用ではなく。

正しい使い方や応用をしている人と強引な使い方をしている人を、天秤にかけた時の傾き。

それが直結するだろう。

考え直すと、こちらが正しいように思える。

強引な使用が、本題と直結するのであれば。

子供が悪用しやすいので、キックボードを無くした方が世界は幸せになる。

こんなことを言っているようなものだった。

やはり、国語は嫌いだ。

では、上がるのですか。

下がるのですか。

結論は出ない。

その天秤の傾きは知ることができない以上、一概には言えないというしかないのだ。

でも、おかしくはないだろうか。

嘘は無害であるのなら、嘘を善良に使う人間が損をするだけ。

つまり、嘘がつける世界より幸福度が下がるのではないか。

それも正しい。

嘘という人間の高等な技術が一つ無くなるのが、幸福度が下がるとは言いきれないだなんて。

感覚的におかしい。

これは。

そもそも、問いかけの条件不足であるとも思う。

幸福度が上がるのか。

これが、人間の平均的な幸福度の差から出していいものなのか。

それとも、世界への影響度を訊いているのか。

その二面性がある質問だ。

人間の平均的な幸福度の差として考えるなら、一概に言えない。

世界への影響度として考えるなら、幸福度が下がっている。

これが答えのように思える。

要は。

人間は何にも思わなくても、生活の内側から壊れていく可能性がある。

ということだ。

こんな長い思考を、わざわざ皆様に聞いてもらったのは。

皆様が、これから試されるからです。

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