終章
第34話 独白、墓前にて
アブラゼミとミンミンゼミの大合唱が、四方八方から飛んで来る。ここに来るまでにかいた汗で張り付いたTシャツの感触が気持ち悪い。
最近本当に暑すぎる。涼しいのは、今手にしている桶に入った冷たい水だけだ。こいつを頭から被れたらさぞ気持ちいいだろうけど、生憎これは俺が涼む為のものじゃない。
斜面に沿って作られた共同墓地を少し彷徨い、俺はそれを見つけた。
高校生になって初めてのお盆。そして初めて向き合う、渚の墓。
「...来たよ、渚。ごめんね、こんなに遅くなって」
お墓参りをする前に、皆があれからどうなったのか、教えておこうと思う。
まずは優悟。渚と二人で俺の家に来た日の夜、優悟はお風呂場で意識を失っているのを母親に発見された。直ぐに救急車で搬送されたけど、命に別状は無かったようで、次の週には普通に学校に登校していた。高校生の今でも相変わらずのバスケ中毒者だ。
次に篠宮。篠宮も俺が澱神に喰われかけた日に駅のバスターミナルで気を失い、そこにいたサラリーマンが呼んだ救急車で病院に。こっちも身体に異常は無く、直ぐに退院した。今では頻繁に欠席する事も無くなり、至って普通の高校生活を送っている。美術部にも再入部したらしい。
それとこの人も忘れちゃならない。事故を起こした松原さんは命こそ助かったものの、全治半年という大怪我を負ってしまった。車も当然お釈迦だ。
優悟達とお見舞いに行った時、松原さんは何度も何度も、俺達に謝っていた。今回の件は全て自分の至らなさのせいだ。本当に本当に申し訳ないって。
申し訳ないだなんて、とんでもない。松原さんがいなければ俺は今ここにいないんだから、感謝してもしきれない。
俺のせいで苦しい思い、辛い思いをした人達。だけど俺が日常を取り戻せたように、皆それを跳ね除けて、それぞれの生活をまた送っている。...たった一人、俺の大好きな人を、除いて。
俺は桶を地面に置き、真新しいその墓石に柄杓でそっと水をかける。死んだ人間も、流石にこの暑さは堪えるだろう。
「最近さ、優悟と篠宮が付き合いだしたんだよ。優悟が告ったんだ。最初はびっくりしたんだけど意外にお似合いでさ。こないだは一緒に水族館に行ったんだって。何だか、親友を取られちゃった気分だよ」
渚に近況を報告しつつ、墓石の大部分を濡らした俺は、持ってきた新しい雑巾でそれを拭き始める。額から吹き出す汗が目に入ってヒリヒリ沁みてくる。
目を瞬かせながらその痛みに耐え、墓石を磨き終える。そしたら次は、お花とお線香だ。俺は備え付けられた筒状の花瓶に桶の残りの水を入れ、それに買ってきたお供え用の花を差す。
次に鞄から線香とチャッカマンを取り出すと、線香に火をつけ、香炉にそっと置く。細い煙が上り、熱い空気に溶けてゆく。俺は目を瞑り、静かに合掌する。
(本当に、ごめん。俺があの時告白なんてしなければ、渚は...)
渚は秋山神社の拝殿の、扉の前の階段に腰掛け、眠るようにして亡くなっていた。突然の豪雨に見舞われたあの日、神社の管理人が境内の様子を見に行った時に見つけたらしい。直ぐに救急車を呼んだが、手遅れだった。渚の心肺は救急車に乗せられたその時点で、完全に止まっていたそうだ。
発見された時、渚は南京錠の付いた黒い箱を抱いていた。それは俺を救う為に松原さんが京都から持ってきた、渦雫剣という宝具が入った箱らしい。
大破した松原さんの車に載っていたそれが何故渚の手にあったのかは、誰にも分からない。直前まで渚と一緒にいた篠宮も、事故現場を見て、ショックで泣き崩れてからの記憶が無いらしい。
ただその事実を知った時、優悟や篠宮、松原さんは皆、口を揃えてこう言った。
渚はきっと、姫神に剣を任されたんだ。だけど剣を秋山神社に持っていく最中に、それを妨害しようとした澱神に、殺されてしまった、と。
当然の予想だと思う。だが俺は、決してそうは思えない。
瞳をゆっくりと開ける。太陽の光を反射してキラキラ光っている墓石の前で、俺は鞄からあの小説を取り出した。文化祭の時に渚が貸すと約束してくれたやつだ。もう二度と、返すことは出来ないけれど。
「最近読み終わったんだ。もうずっと動画とマンガしか見てないせいかな、児童書なのに読むのに結構時間かかっちゃった。でも、凄い面白かったよ。ありがとう、渚」
そこで俺は、一度呼吸を整える。後夜祭でも、あの夢の中でも返せなかった、それを伝える為に。
「あのさ。夢の中で渚は、自分の事忘れてくれなんて言ってたけど、やっぱそんな事出来ない。俺は今でも渚のことが大...」
シュシュシュ...
耳元で、蛇の威嚇音が囁いた。
やっぱり、ダメか。俺は出かけていたその言葉を引っ込め後ろを振り返る。いつも通り、背後には誰にもいない。
大好きだ。渚が死んでから、彼女の思い出の品や彼女の写真に対してその言葉を告げようとする度、必ずこの音が耳のすぐ傍で響くようになった。まるで、俺の言葉を遮らんとするかのように。
秋水河姫神。蛇の姿をしたこの神様が俺を救ってくれたのは紛れも無い事実だ。そして今も昔もこれからも、姫神は有難い神様として秋山神社に祀られ続け、訪れる人々にご利益を与えるのだろう。
けれども、少なくとも俺にとっての姫神は、唯の善い神様では無くなってしまった。
夢の中でキスをされた時。いや違う、多分もっとずっと前から、俺は姫神にとって特別な存在になっていたんだろう。
そしてそんな彼女からすれば、俺の横で笑っていた渚はきっと、目障りで仕方なかったんだろう。だから渚は...
「それじゃ、俺は行くよ。さようなら、ゆっくり休んでね」
空になった桶に柄杓と雑巾を放り込み、小説を鞄の中にそっと入れ、俺は墓を後にする。
鳥居の前で一礼を怠ったあの日に聞こえた鈴の音は本当に、警告だったのだろうか。一度澱神に想い人を殺された姫神が、そんなヘマをするのだろうか。
いや、今となってはどうでもいいか。あの鈴の意味も、誰が渚の命を奪ったかも。それらが仮に分かったところで渚はもう、帰っては来ないんだから。
拝殿の上の赤い月 完
拝殿の上の赤い月 空を飛ぶジンベエザメ @kabocyanoamani
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